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小泉純一郎(Junichiro Koizumi)
は、歴代の総理大臣の中でも、人気度の高い首
相であると言ってもよいだろう。小泉が首相であっ
たとき、自身の年金問題について国会で追及さ
れたことがあった。そのとき小泉は、次のように答弁
した。
「人生いろいろ。会社もいろいろ。」
議場は大爆笑の渦に巻き込まれた。小泉の人気
の秘密の一端を、垣間見せてくれる答弁である。
これは、国会中継としてテレビやラジオで放送され
た。国会の議場は、真剣勝負の場であるはずで
ある。われわれが通常、会議において発言するよ
りも、国会での発言は何十倍もの重い意味を持
つものであるはずである。総理大臣が国会でふざ
けた発言をすることが許されるはずがない。「人生
いろいろ。会社もいろいろ。」とは、浜口庫之助が
作詞作曲し、島倉千代子が歌って大ヒットした曲
の歌詞をもじったものである。これが、一国の首相
が国会で行う答弁か。あまりにも幼稚で情けない
ではないか。ものを考える力のない者が、総理大
臣になっていたのである。歴代の日本の首相で比
較的立派でまともな人物と思われる人を、2・3
人思い浮かべてみるがいい。その首相は、人気が
あったか。僕が思い浮かべた首相は、人気がなか
った。つまらぬ人物、過去に犯罪を犯したような人
物、ものを考える力のない人物が、えてして人気
者になることがある。僕が思い浮かべた立派でまと
もな首相は、人気はなかったけれども、小泉のよう
な人をおちょくったようなことは言わない。あのとき、
国会の議場で笑い転げた議員は、バッジをはずせ
。選挙のとき、投票者はもっと真剣に候補者の人
物を見極めないと大変なことになる。小泉や安部
晋三(Shinzo Abe)のような、ふざけた首相
が誕生してしまったではないか。しかも、この国民
をおちょくる首相が、結構人気が高いとは、どうい
うことだろう。
子どもの遊び仲間の間では、剽軽な子に人気
が集まるという傾向がある。小泉純一郎は、その
首相版だ。あまりにも情けないのではないだろうか
。こうして空っぽ頭の総理大臣が、日本を駄目に
していくことになった。小泉進次郎(Shinjiro
Koizumi)とかいう小泉純一郎の息子が、
次期首相候補に名を連ねているようだが、父親
譲りの軽佻浮薄、空っぽ頭のふざけた人気者に、
またまた日本の運命を委ねてしまうという愚挙を
繰り返してはならない。
創価学会の池田大作(Daisaku
Ikeda)は、収集が趣味である。収集と言って
も、記念切手やコインではない。外国の勲章なの
である。外国の勲章?それは立派ではないか、と
考えてはいけない。外国のほうから贈呈しますと申
し出てくれたのではない。貧しい信者から巻き上げ
た金でもって、勲章を買い漁っているのである。そ
れで悦に入っている。実に幼稚な精神・思考力で
はないか。子ども時代に既に、考える力の発達が
停止してしまったのではないだろうか。不思議なの
は、貧しい信者がどうして怒らないのかということで
ある。
河合隼雄(Hayao Kawai)は、ある著書(
「カウンセリングを語る」だったかもしれないし、別の
題名だったかもしれない)で書いている。あるとき
人から、「河合さんは、よく努力なさいますね」と言
われた。それに対して河合は、「他にすることがな
いので、努力させてもらっている」と答えた。これを
読んだ河合ファン、例えば、今までものを考えたこ
とが一度もないような愚者の集まりである創価学
会の会員は、「さすが、河合さんは言うことが違う
なあ」と、ただただ敬服し、信仰の念を厚くしてい
たにちがいない。そりゃあ、言うことが常人と違うに
決まっている。人間離れした、暖かい人間の血が
通っていない、いわば化け物のようなものなのであ
るから。しかも、“日本ウソツキクラブ会長”を自
任するという幼稚でふざけた野郎なのである。京
都大学教授とは聞いてあきれる。考える力がある
のか。河合俊雄(Toshio Kawai)といい、
京都大学とは空っぽ頭の集まった最高学府か。
そもそも努力とは、暇つぶし、すさびごと、遊びご
とでするものではない。やむにやまれぬ、それこそ執
念のような情念に突き動かされて行うものである。
原始時代の人々は、生きていくために獲物をと
る技術を磨かなければならなかっただろう。その技
術を、弓矢の腕だとする。原始人が、毎日、弓矢
を射る練習をしていたかどうかは分からないが、と
にかくその技術の向上は自分や家族、その属する
共同体の死活問題であった。まさに命がかかって
いたのである。この技術の向上は、河合のように
暇つぶしで達成されるものではない。熱く燃え上
がる炎のような情念によって成し遂げられるもので
ある。河合隼雄も小泉純一郎同様、実にふざけ
た、人を馬鹿にした人物ではないか。
現代のわれわれにとって、原始人の弓矢を射る
技術に相当するものは何であろうか。それは、考
える力であろう。思考力の程度が、生きるか死ぬ
かに関わってくる場合もあるであろう。したがって、
子どもを育てるときには、いかにして子どもが考え
る力を伸ばすのを援助するかが重要になってくる。
学校教育においては数学も大切であるが、それ
にもまして有効なのは国語(Japanese)の現
代文である。ひとつの文章を丹念に読む。ゆっくり
と何度も繰り返し読むことは、思考力を発達させ
る上で、王道だと思う。それは、もちろん良質な文
章でなければならない。特に、ユング派やユングか
ぶれのした人の文章であってはならない。ユング派
の思考法というものは、画一的で短絡的であるか
らである。そのくせ、何を言っているのかよく分から
ない。ユング派が基本におく立脚点自体が、あや
ふやなものだからである。従って、やつらの主張す
ることは論理的ではない。感情でものを言っている
からである。だから、何を言っているのか理解でき
ない。読んでいると頭が痛くなってくる。こんなもの
を国語の教材に使ってはいけない。
質の高い文章を、真剣勝負のつもりで何度も
何度も読んでいると、初めに見えなかったものが見
えてくることがある。このときやっと、筆者が本当に
言いたかったことをつかむことができたのである。考
える力は、このようにして身についていくものと考え
られる。速読術は役に立たない。より多くの知識
を得るためだけならば、それも悪くはないかもしれ
ないが、考える力をつけるためならば、速読しても
無意味である。
学校教育においては、国語科の現代文の指導
に優秀な人材を確保するように努めるべきだと思
う。国語の指導者が考える力のない人だったら、
子どもの考える力を伸ばすことは難しくなる。道徳
教育を云々する前に、考える力の育成に努める
べきではないだろうか。これを怠ると、人気者だが
空っぽ頭の首相や国会議員が日本の進路を誤
らせることになる。小泉純一郎や河合隼雄が人を
馬鹿にしたふざけた発言をするのは、やつらの道
徳性・倫理性がどうかということ以前に、やつらの
頭の中が空っぽだからである。そのためには、第一
に国語科の現代文、第二に数学科である。
安部晋三(Shinzo Abe)が何故人気が
あるのか、さっぱり分からない。安部晋三は、どう
やら国民を馬鹿にしておちょくる小泉純一郎と密
接な関係があるようである。だけど安部晋三が人
気がある理由が納得できないのである。見ている
と、個性がないのが個性という感じではないか。つ
らつら考えてみるに、やはり父親の安部晋太郎が
原因であろう。内閣総理大臣になる目前で急死
した。その父親の悲劇に対する同情が、息子に
向けられたのである。いわば、判官びいきである。
日本国民の皆さん。このような無個性の、国民の
ほうを向いていない、国民を大切にしない(このこ
とは身にしみて分かったでしょう)、実体のない幽
霊か影武者のような人物を、首相の椅子から転
げ落ちさせようではありませんか。源義経の場合は
、天才的な戦略家でしたから、判官びいきをされ
るのも無理はありません。ところが、安部晋三とき
たら、空っぽ頭の何の取り柄もない人物ではあり
ませんか。安部晋三に判官びいきするのは間違っ
ています。
安部晋三は、何故再び首相になったのか。昔、
棄てた女が、また恋しくなっただと?馬鹿者。今
度はお前が袖にされる番だ。仕返しされるに決ま
っているではないか。
どうか目下、野党の皆さん、圧倒的な数の力に
負けないで頑張ってください。何としても、総選挙
を行ってください。何の力もない僕でさえ、孤立無
援の中で頑張ってきたのですから。
阿修羅の皆さんにお願いがあります。「安部晋
三に対する間違った“判官びいき”をやめよう」と
いう趣旨の投稿を、2ちゃんねる等の掲示板にお
願いします。僕は外国に逃亡中ですので、2チャ
ンネルには投稿できないのです。外国からの書き
込みを認めていないのです。
(表示がおかしいと思いますが、これは僕のパソコンに問題があるようです。)
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