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「我が反戦鼓笛隊は、朝デモにおいて、すでにチャンゴが大破していましたが・・・」
チャンゴ(朝鮮太鼓)が好きな平和デモ隊なんですか?
A&U大阪から
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広島にて、安倍晋三祈念式典弾劾デモ(朝デモ)からはじまって、8・6ヒロシマ大行動デモ(昼デモ)でピークに達したことの顛末のパート2です。(集会と昼デモ編です。)
☆写真と図解あり☆
パート1(朝デモ編)はこちら
8・6ヒロシマ大行動のデモの前におこなわれた集会は、非常に動的(ダイナミック)なものでした。
なにか、あらかじめ決められた路線でスピーチが展開されるのではなく、たとえば、教育労働者の「生徒を再び戦場に行かせない」闘いの方針ひとつをめぐっても、各発言者の立場や思いはちがってきます。
それを会場の参加者が受け止め反応をかえす中で、発言者自身が組織化され、発言全体が止揚されていくようでした。
青年の教育労働者が、彼の抱える病気をのりこえて「(君が代斉唱時の)不起立闘争こそが自分たちの闘いだ」と言い切ったときに、ちがう立場を表明した発言者も含めて、会場全体が拍手で歓迎し、一つになりました。
他の発言においても、これまでにない活気にあふれていました。青年労働者が確実にこれをけん引していたと思います。
学生の発言も特徴的でした。「学生と労働者は共にある。共に社会変革の主体である。」というメッセージが前面に打ち出されました。すごく心に響いた学生運動からの提起でした。
そして参加者はデモへと続きます。
我が反戦鼓笛隊は、朝デモにおいて、すでにチャンゴが大破していましたが・・・
トランペットやピッコロ、太鼓隊が青年・学生の隊列に加わります☆
パート1の記事に書きましたが午前中のデモを経て、青年労働者・学生には、誰が言葉にしたわけでもなく「もう私たちは引き返さない」という確信があふれています☆
機動隊も、午前のフランスデモ(全車線デモ)をゆるした失態から、当然に厳戒態勢を取っており、すでに対立は避けられませんでした。
デモ参加者に機動隊は暴行を加えてきました。こぶしをあげる女性労働者の腕をいちいち払い落してくる機動隊。体を触る、押す、つねる、押し倒す、恫喝をくわえる機動隊。
その理不尽が一層、青年らの解放欲をかきたてました。
普段は穏やかな人、デモにあまりなじみないのない人、世間で弱い存在と扱われる「女性」たちが、一斉に機動隊の圧力と対峙しました。
「侵略戦争ゆるさないぞ」「労働者は団結しよう」「学生は団結しよう」「団結して革命おこそう」のコールや、インターナショナルを合唱しながら青年労働者・学生は規制線にぶつかっていきました。
そしてアーケード商店街にさしかかるころ、規制線を超えるデモ参加者が出始めました。
※そもそも、歩行者天国である商店街で機動隊が規制線をはること自体が異様なのですが・・・。
デモに加われば体感することですが、機動隊の目的は規制そのものではなく、「規制に服従させること」にあります。
だから意味のないアーケード内の「規制線」をデモ参加者と通行人に押し付けてきます。
あるデモ参加者は、規制線を越えようとしつこくしていたところ、指揮系統の機動隊員の「出せ!」という命令で機動隊にデモ隊列から規制線の外に放り出されました。
またあるデモ参加者は、規制線を出て歩いていたところ、機動隊に追いかけ回され、引きずられ、規制線内に押し込められました。
その規制のイミなどは権力者にとっては問題ではないのです。
とにかく人々に「与えたルールを守ら」せ、「服従させる」ことこそ重要なのです。
これは学校や職場での管理教育・抑圧と同じであり、法政大学での言論の自由への弾圧と同じであり、君が代斉唱の強制と同じです。
裏返して言えば、私たちにとって、権力者の「規制」を打ち破ることと、管理教育・不当弾圧を打ち破ることは同じです。
だからこそ、私たちは「たかがデモ」であったとしても本気で権力に立ち向かいました。
そんな中でついに衝突が起こりました。
アーケード内の本屋前で、女性のデモ参加者が機動隊に倒されました。
機動隊は容赦なく襲いかかり、倒れた彼女の腕を持って引きずり去ろうとしました。
それを阻止しようと、数人の青年らが彼女にしがみつきます。
さらにその青年を巨体の機動隊員がはがし連れ去ろうとし、それをまた青年がしがみついて阻止する。
書店前は騒然となりました。(図)
反戦鼓笛隊員(兼A&Uメンバー)もご多分にもれず巻き込まれ(というか、加勢した?)、あたりにはトランペット、携帯電話、靴などが散乱。
本屋が店頭で平積みにしていた「佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七)」も機動隊が暴れたためなだれ落ちました。
そのうちの数人が本屋内に閉じ込められ入口が機動隊に封鎖されました。
「逮捕してくる気か!」と、あたりは緊迫します。
デモ隊はその場を取り囲み「仲間を返せ!」「税金つかって弾圧するな!」「労働者は奴隷じゃない」「NO WAR!」と、大声でコールを続け、不当な権力の告発と、本屋に閉じ込められた仲間へのエールを送ります。
あたりは見る見る人だかりとなっていきました。
機動隊はにっちもさっちもいかなくなり、しばらくして、本屋から仲間が出てきて解放されました。
ワーーー!!ウォーー!!というすごい大歓声で迎えられた仲間たちはデモ隊列に戻り、デモは行進を再開しました。
騒動に巻き込まれ(加勢?)ていたA&Uメンバーのうち2人は靴を片方、なくしてしまっていて、デモの後ろのほうを苦笑しながら歩いていました。それが、私には勝利に満ちた歩みに見えたのでした。
(その後、靴は発見された。)
しかし、トランペットが大破してしまっているのには、へこまざるを得ませんでした↓↓
(開口部は曲り、ピストンは固まりボタンが取れ、管全体も歪んでしまって再起不能。
復活に向け、支援者のあたたかいカンパを期待します。。。)
アーケード内で、いあわせた通行者もガッツポーズを見せて、歩いていました。
デモに飛び入りした広島在住の学生さんが話しかけてくれ一緒に歩きました。「本屋のところから見ていたけど、すごい存在感ですね。」
まあ・・・存在感があったことは間違いないと思います。
(写真:デモがアーケードを出たところ)
最後尾を歩いていると、機動隊員にも大人しい人もいてか、私が落としたA&Uパレスチナ連帯キーホルダーを「落ちましたよ」と渡されました。
「あぁ・・・どうも・・・。」
しかし、機動隊はその後も歩道に入れば「歩道に入るな。歩道に入るなら、もうデモ隊列には戻るな」と相変わらずの支配・管理教育を押し付けてくるのでした。
デモ終了地点につくと、青年の最後列を待ってくれていたデモ参加者に歓声で迎えられました。
もはや反戦鼓笛隊で楽器がまともだったのはピッコロとジャンベ、ドラムだけだったのですが、「ヨッシーとジュゴンの家」と一緒に演奏して、デモ参加者みんなでインターナショナルの大合唱をしました。
終電に間に合わすため、さっき話しかけてくれた学生さんに、パレスチナキーホルダーを託して、足早に現地を後にしました。
帰りの電車では、たまたま(?)たくさんのデモ参加者が乗り合わせ、さながら極左列車か解放列車とでも名付けたいくらいでした。
車内でも、ヒロシマ行動の総括ができました。
もうたくさん書いたのでまとめることはありませんが、青年が一体となって何かを体でつかんだこと、今後もこの流れは止められないこと、今日が青年運動が飛躍する潮目になったことは私の読み違えではないと、確信しています。
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