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2013年12月15日
安倍晋三首相は10月の初めごろ、インドネシアで開催されたAPEC(アジア太平洋協力会議)のサミットで規制改革を推進していく決意を示した。
演説のでは、「改革は、待ったなし。岩盤のように固まった規制を打ち破るには、強力なドリルと強い刃が必要だ。自分はその『ドリルの刃』になる」と規制改革へ集中することを述べた。
これが国家戦略特区の重大な目玉である規制緩和推進策であり、それは「待ったなし」の勇ましい論調で強調されている。
ところで、野田元首相は「消費税増税」法案の成立を強行に進めていたときに、「待ったなし!」と力説していた。
だが、「待ったなし」と言われても、誰にとって待ったなしなのか、どこにそんな切迫した事情があるのかなど、国民は皆目分からなかった。
多くの国民は消費税増税については、待ったなしどころか、今は必要ないと思っていた。
それでも野田氏は「決められる政治」などという言葉とともに強引に当該法案を成立させている。
国民の大半が反対し、審議不十分な法案を強い意志で決められても困るのである。
野田氏に消費税増税法案について「待ったなし!」を言わせた主体は国民ではなく財務省である。
同様に、安倍首相に国家戦略特区法について「待ったなし!」と言わせた主体は、グローバル資本の意を汲んだCSIS(米戦略国際問題研究所)である。
第185回臨時国会では31法案が提出され、そのうちの27法案が成立、4法案は先送りである。
なんと、成立率は87%もあったが、特定秘密保護法案に目を奪われていた国民は、他の26法案が十分な審議過程を経て成立したと思っているのだろうか。
国民の立場からすると、特定秘密保護法案を筆頭に後の26法案もほとんどブラックボックスなのではないだろうか。
これに賛意を示した国会議員たちも、53日間の会期中に27法案の問題点を充分に吟味できたのかどうか疑問である。
彼らのほとんどは法案にちゃんと目を通したのだろうか。
平均すると2日に一本の法律が検討されてから成立したことになるが、そんな拙速な国会運営があるのだろうか。
これらの新法案は公布されてから施行さるまでに間があるが、いざ適用されてから「こんなはずではなかったのだが」という後悔の呻吟(しんぎん)が目白押しとなる可能性が高い。
今回は、安倍政権が強力に推し進める“規制緩和”にスポットを当てているので、いわゆる成長戦略の二大法案、国家戦略特区及び産業競争力強化法に出てくる“規制緩和”にスポットを当ててみる。
産業競争力強化法案は、政府主導でリストラやM&Aを推進したり、特定企業に対して規制を緩和ないし撤廃するという、国家統制色が極めて強い内容だ。
この法案は経済産業省が策定したが、この国家統制色の強い法案はケインズ政策とは対極的な新自由主義で成り立っている。
考えてみれば非常に奇異である。
反ケインズ思想で出てきた新自由主義は小さな政府論なのであるから、経済における国家統制は最大の敵であるはずだが、どういうわけか安倍政権は強力な国家統制で規制緩和に注力している。
一方、国家戦略特区法は企業に対する税制優遇と、これもまた“規制緩和”が政策骨子となっている。
この二法案に竹中平蔵氏が強く絡んでいることを見れば、全体像が浮き上がって見えてくる。
それは指令もとがアメリカの多国籍企業ということである。
安倍政権は規制をどのように変えるのかという肝心なことを語っていない。
その部分を明確にしないで、一律に規制悪玉論を前提として「規制緩和」を謳うのは暴論というものである。
政府による規制には注意すべき二つの文脈がある。
一つは経済的規制と社会的規制の区分であるが、安倍政権が着手しようとする規制緩和が、これらをどう変えるのかという論点が一切見えていない。
経済的規制は、財・サービスの安定供給の必要性や、規模の経済(独占性の高い事業分野)への対応、産業の保護・育成の観点からなされる公的規制である。
一方、社会的規制は、安全確保や環境保全などの見地からなされる公的規制である。
近年、この規制が社会的規制なのか、経済的規制なのか定義があいまいになっている。
だが、日本への経済侵略を目論むグローバル資本から見れば、両者とも撤廃すべき非関税障壁なのである。
だからこそ、傀儡となっている安倍政権は両者の区分も、どこをどう変えるのかということも不明確にしたまま、単線的な規制緩和という一枚の網をかぶせようとしている。
さて、もう一つの文脈は事前規制と事後規制の問題である。
小泉政権以前は事前規制だったわが国の規制はアメリカの圧力に屈して、アメリカ型の事後規制型に変化してきている。
この事前と事後の規制群は、両者とも一長一短があり、うまく切り替えるには繊細な注意深さが必要なのであるが、米国のごり押しで雪崩(なだれ)式に事後規制に変貌した感がある。
確か昨年だったと思うが、関越自動車道で起きた高速ツアーバスの事故では、業界の驚くべきずさんな安全管理の実態が浮き彫りになった。
規制緩和による過当競争で安全のコストを削らざるをえなくなり「大事故がいずれ起こる」という不安が現実化した事件だった。
これは事前規制を緩和して、安全リスクが軽視されたことによる弊害だった。
過当競争の市場原理主義がもたらす安全破局の一例である。
事後規制が尊い人命を奪うリスクを持つことを肝に銘じてほしい。
放埓な事後規制制度によって、これからも社会の安全は脅かされ、経済的には大量の自死者が出てくるだろう。
社会的規制と経済的規制の境界があいまいになっていて、しかも事後規制で問題が発生したとき、これに対応できる役人が圧倒的に少ない現実は社会を混乱へ導く。
グローバル資本は、日本人の安全や生活困窮等の国内事情などどうでもよいことであり、投資やM&Aがスムーズに展開できて、日本の富を効率よく収奪できればそれでよいのである。
規制悪玉論が外国資本の都合だけで出てきていることが分かるだろう。
国民や社会を守る規制まで廃止したら、日本社会は地獄に様変わりするだろう。
安倍政権が規制緩和の内実を、新規参入や企業投資の活性化だけに特化し、規制が緩和・撤廃されることによって国民や社会に及ばす影響を全く説明していないのは大問題である。
この偏向性(バイアス)こそ、安倍政権がグローバル資本の要望で政策を進めている大きな証(あかし)なのである。
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