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「悪」の原因の原因 住民至上主義  権威の足もとは墓場 前阿久根市長 竹原信一のブログ
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投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 12 月 14 日 11:29:31: 4hA5hGpynEyZM
 

人々が良心に従わない「立場ゾンビー」になってしまうのには理由があります。会社の都合、家庭の事情、自分の理想、周囲の視線、プライド、習慣、気分などと様々です。異なった状況に見えますが、良心に従わずに無視する事。つまり良心を眠らせるという心理的な態度は同じです。悪として現れるか否かは露見するかしないかだけの違いであり、心理的にはアイヒマンと同じ事を実際にやっているのです。ですから、社会全体が「悪」に転落しないほうがおかしいというものです。

 庶民は、自分の立場はさておいて、「権力のある人が立場を生かさないのが悪い」と思っています。しかし、権力的な地位も立場に強制されています。立場を維持向上させるのが立場です。その努力によって立場を得たのですから、立場を否定する可能性がある良心に目覚めることなんてできません。地位が上がるほどに分厚い立場の目隠しをしなければならなくなるのです。官僚や政治家がとんでもない法を作ったりするというのは、「立場がそれをさせている」とそれぞれに思い込んでしまっているのです。平然と嘘が言えるのは、そうしなければならない立場文化があるからです。

 良心に目覚めて、立場の都合を否定すれば、例えば、総理大臣であることさえできません。 また、総理の立場を支える周りの立場の人たちにしてみれば、「立場の要求を否定する総理大臣の係りをしている、あの男を支えるのは自分の立場ではない。引きずり降ろすのが自分の立場を支える道であり、それが自分の立場だ。」ということになってしまいます。

 立場を得る過程で彼らは何でもやってきました。立場のために大きな嘘、綺麗事を平気で言える訓練を積んでいるのです。マスコミ関係の人たちにも立場があって、立場を危うくしかねかい報道はしません。自主規制が習い性になっていて、社会全体の邪悪な真相を暴露する新聞は存在しません。売ることが許される立場として存在できるし、それは買って読む立場だと思う庶民の立場によって支えられています。

 すべての段階には「良心のフリをする立場」も紛れ込んでいるので事態が複雑に見えます。しかし、全体の心理状況が単純ですから解決方法は非常に単純です。それは、立場を引き受けたままで「王様は裸だ」と言えるかどうかだけです。 悪人やそれに引きずられている人々が良心に目覚めるというのがしばしばドラマのテーマにされます。人々はずるいのでドラマなどを見て、自分の卑怯に対する無力感をごまかしているのです。
 社会を変えるのは自分自信です。自分が変われば自分の環境が必ず変わります。それまでは、社会を変えないように抵抗しているのが自分自身です。ですから、徹底的に自分の卑怯を直視すべきです。 それができれば立場という考えに安住しては居られなくなります。そして、そこが良心の目覚めのはじまりです。



「悪」の原因の原因 住民至上主義  権威の足もとは墓場 前阿久根市長 竹原信一のブログ
http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/54681671.html
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コメント
 
01. 2013年12月14日 22:43:03 : c8uYroBnUM
押し上げた権力者を無慈悲に引き摺り下ろす土壌が必須と考える。
そう云った面では一見野蛮に見える韓国政権周辺の勃興の際の有り様は
理想の形とは程遠いとは云え現日本の其れとの相対的な視点からして
「よりマシ」論的には余程健康な位置に在る気もし始めた。
物理的な「クビ」がかかって居れば、物の例えで無しに命懸けでの政治運用も出来ようと云う物だろう。
日本の議員の命(政治生命とやら)は乱発され過ぎて如何にもハイパーインフレだ。
マリオですら三つしか命を持っちゃ居まい。
此の際リアルの命を賭けて頂くのが良かろうと思う。
絞首刑になる宰相等吐き捨てる程に出るれば良い。
そう在ってこそ国会にウンコ打ち撒ける本気の議員も出て来よう。
営業時間中の官庁省庁炎上も結構だ。 緊迫感を持って仕事をしとけ。公僕風情共。

02. 2013年12月15日 18:52:18 : QBrYpzDGwo
  だからこそ、人間社会には法律というものがあるのではないか。それぞれが自分の利害に基づいた立場で物を言い、行動すれば自ずから権力のある者や力のある者、武器などを持っている者が言い分を通すことになる。それが無法国家だ。
  近代社会では暴力や資源を持っている者が他を力で圧倒して社会を支配することを嫌い、法律というルールを作って、それに則ることにし、ルールを守らない者は罰することにした。
  憲法、国家公務員法、行政手続法、労働基準法など、力さえあれば支配出来ると明記してある条文など何処にもなく、可能な限り理不尽や不公平のないルールになっていると思う。段々怪しくなってきているのは確かだが。
  ところが、法の原理原則というのは殆ど顧みられることがない。特に裁判所においては、何条に違反しているなどと述べる原告や被告がいても、その条文の原理原則、法の根拠などまで遡って審理しようとする裁判官を見た事がない。
  結局のところ、法治主義というのは、立派な法が引き出しにあっても、必要な時にきちんと引き出しから出して使われることなく、族議員や行政トップや財界重鎮、末端においては街の顔役などの威力を借りて、付け届けなどして便宜を図ってもらっていれば無法国家と変わりない。盆暮れの付け届けがこれだけ普及しているということは、法に頼るより力に頼る風土があるからだ。
  住民至上主義とは一体何のことかわからないが、民主主義とは租税国家において、徴税した税をどこに、どれだけ、どのように使って、どのような福祉国家を作るかに他ならない。戦争に使うのか、教育に使うのか、納税者が主権を以って決定することが国民代表議会制度である。その結果、住民の意向が大勢を占めるのであればそのような法体系になるということであり、軍部が牛耳ればそのような法体系となる。それだけのことだ。
  現在はかろうじて軍部が政権を担っていないのだから、幸いなことに住民至上の法治国家であるとは言えるだろう。

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