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民主主義に自浄能力なし。
民主主義はファシズムや社会主義を産むことはあってもその民主主義の手続きによって自由な制度を確立したことがあったか。
近代的民主主義の発祥の地である英国では何百年もかけて議会主義を確立してきたが、そのような超長期の改革は政治制度そのものというより、社会の進歩に付随した、いわば議会外の圧力の反映ではないか。
で、近代の歴史を見てみよう。例えば、ソ連崩壊の東欧革命はどうだ。そもそも、非民主主義国家が民主的手段で改革しうるはずがない。だから、暴力革命や制度を無視したゼネスト以外にいかなる改革の方法があるのだろう。そのソ連でも一応、選挙があって民主主義を謳っていたわけだが。
また、ナチは選挙で正統な民主主義の手続きを踏んで政権を獲得したわけだが、その残虐な体制を終わらせたのは、連合軍の軍事力だったわけだ。
論議を簡単にすれば、非民主主義制度から平和的な民主的手続きに則った民主化など、矛盾の一言に尽きるということだ。
始末に悪いのは現代の全体主義国家が北朝鮮を含めて全て民主主義を謳っていることだ。その体制に反するものは非民主主義者どころか、テロリスト扱いされている。
大体、民主主義の進歩の歴史は市民革命やフランス革命等、既存の専制体制を暴力で屈服させたり、妥協に向かわせることでおこなわれてきた。決して平和的手段では達成できなかったのだ。平和な民主的改革など、先人の流血の上に確立してきたのだ。アメリカやフランスの国歌など、血にまみれた革命戦を歌い上げているだろう。
逆に言えば聞き耳を持たない専制体制には暴力以外は何の意味を成さなかったのだ。
そして、現代社会を見てみよう。発展途上国や旧ロシア圏での民主革命は全て議会の外の圧力によって行われていることは周知の事実だ。
それは、例によって専制は議会や民主的制度を独裁や圧政の隠れ蓑として利用して翼賛体制議会を国家運営の要にしているからだ。
ここにいたって、如何に民主主義の内容に重要な意味があるかわかる。それは、多党制をどこまで、実際に擁護しているか。個人の選挙活動の自由が確立しているか。立法府が行政府に従属していないか。一票の格差やゲリマンダーによって、民意の権力への反映が歪められていないか。等々、、、、、細かい、民主体制の個々の内容が実質的な民主主義の確立を支えているのだ。
そして、そのような個々の民主主義の改良、向上による民主主義の発展は如何に時間がかかることか。そして、逆にその衰退と独裁への移行は5年もあれば十分である。
ここで問題となるのは、徐々に民主制が後退していく中でどこまで、その退化しつつある民主的手続きに則って、議会や選挙による改革を続けるべきかという基準だ。戦前の日本じゃずるずると大政翼賛会へ移行したし、例えば今も中共じゃ形だけ多党制があるがそれは共産党体制の民主的粉飾そのものだ。
以上のように劣化した民主制下での民主的手続きによる改革はほとんど望み薄だということがわかるだろう。それどころか、専制の延命を支える媒体になっている。
民主的改革へ努力するべきか他の手段へ訴えるかという基準の分水嶺からデモ、選挙ボイコットやテロリズム、不服従運動、既存の国会へ対抗する議会の確立(旧ソ連等に見られる)、内戦、革命と徐々に暴力による政府転覆へと非民主的手段へとエスカレートしていく。それは皮肉なことに民主主義を求めようとするものでも、敵が非民主的であればあるほど非民主的手段に訴えざるをえなくなるということを示している。
そして、現在の日本がその民主的手段による改革が不可能な分水嶺をすでに超えていないと誰が断言できるのだろうか。一票の格差を必然的に生じ、代議員の政党への隷属を促すじる小選挙区制や官僚の法案作成がほとんどである行政に隷属した立法と司法、多党制を除けば中国以上に経済規制が厳しい反資本主義的経済制度等、客観的基準によっても等に専制国家の範疇に入っているだろう。それを明確に認識させないのが民主主義の制度的粉飾なのだ。
アウンサンスーチーが議会活動を認めたのは少し前のことだが、それ以前の彼女を非民主的活動家と断じることが出来るだろうか。そして、今の日本がミャンマーや中国以上に民主的なのだろか。
というわけで、劣化した民主主義の改革過程における民主的手段の有効性、条件について、諸子のご意見をお聞かせいただければ幸いだ。
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