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「権力の内幕」の描き方
http://nobuogohara.wordpress.com/2013/12/09/%e3%80%8c%e6%a8%a9%e5%8a%9b%e3%81%ae%e5%86%85%e5%b9%95%e3%80%8d%e3%81%ae%e6%8f%8f%e3%81%8d%e6%96%b9/
2013年12月9日 郷原信郎が斬る
12月4日にちくま新書から公刊された元裁判官である森炎氏の「司法権力の内幕」が、実に面白い。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B8%E6%B3%95%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A3%AE-%E7%82%8E/dp/4480067507
【特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか】でも述べたように、現在の政治状況からすれば、特定秘密保護法が成立することは避けられない状況にあったのであり、むしろ、問題は今後である。法律の濫用が行われないよう、マスコミも、我々も、刑事司法がいかに運用されているのかに最大の関心を持って見守っていかなければならないだろう。
そういう観点からも、この元裁判官が書いた「裁判所の内幕」「刑事司法の内幕」を書いた同書は貴重だ。
「権力の内幕」の描き方というのは、大変微妙である。公務員として知り得た秘密を漏えいしたということで、守秘義務違反に問われることがあり得るし、表現の仕方によっては、マスコミに局所的に取り上げられて、スキャンダルを提供することにもなりかねない。
その点、同書の著者の森氏は、「内幕」の描き方の勘どころを、実にうまく掴んでいる。
まず、同書には、「はじめに」もなく、いきなり、カフカの「審判」のストーリーの紹介から始まる。「全体主義の社会における政治体制とその恐怖を予見した書」とも言われる、この「審判」の世界と、日本の司法の現実とが対比されることで、何とも不気味な「プロローグ」となる。
そして、第一章では、著者の裁判官時代の様々な体験が、登場する裁判官を匿名にして語られる。その最初のあたりで、新任裁判官として赴任した大阪地裁での「地裁所長との衝突」について、次のように書かれている。
≪私が所長の秘書官が持ってきた書類に判を押さなかったことで、ひと悶着起きた。これは慣行として続けられてきた公費に関連する事柄だったが、客観的に見れば目くじらを立てるような問題ではなかった。当時は、官公庁の公費の使途について関心が高まりつつあったが、とりたてて、それまでの慣行に逆らわなければならないというようなことではなかった。何の理由もなく拒否したことではないとはいえ、せいぜい三分の理ぐらいしかなかった。それに、事柄は、新任裁判官の歓迎行事に関係していた。だから、当時の所長からすれば、実に理不尽と感じたことだろう≫
ここで書かれている「慣行として続けられてきた公費に関連する事柄」というのが何なのか、「事柄は、新任裁判官の歓迎行事に関係していた」というのはどういうことなのか。それに関して「秘書官が持ってきた書類」というのが何なのか、一般の読者には、よくわからないであろう。しかし、なんとなく、過去に慣行化していた役所の公費の不正流用のことを言っているのではないか、ということはわかるであろう。
そして、我々のように、この時代の官公庁に勤務した経験を持つ人間には、何を言っているのかは、よくわかるのである。当時は、多くの官公庁で、何らかの予算を庁内での懇親会費や慶弔費に流用することは慣行化していた。そのためには、正規の予算執行に見せかけるための書類作成(例えば、出張旅費の申請書)が必要であり、その書類に、執行する官が押印する必要があった。それは、形式的には虚偽の公文書に押印することになる。
そのような前提知識に基づいて、前記の文章で森氏が言おうとしていることは、具体的にわかるのである。
まさに、読者の健全な推察力を期待して、ギリギリの範囲まで書いているということであろう。
前記の【特定秘密保護法刑事司法は濫用を抑制できるのか】でも引用したが、私も同じちくま新書の【検察の正義】の中で、1980年代末、テロなどによる暴力革命を標榜していた過激派の事件に東京地検公安部の検事として関わった経験の中で、非公然活動家が公安警察に捕捉された際の「転び公妨」について述べている。そこで私が述べていることは客観的な事実だけだ。
しかし、読者の中には、このように思われる方もいるであろう。
「指名手配されているわけでもないのだから、じっとしていれば捕まることもないのに、なぜ非公然活動家が、警察官に取り囲まれた際に、突き飛ばしたりするのか。そう考えると、公安部の警察官が、やっと見つけ出した非公然活動家をそのまま逃がすことはできないので、自分の方から転んでおいて、突き飛ばされたとして現行犯逮捕するのではないか。」と思われる読者もいるであろう。それは、警察の捜査活動に対する「健全な懐疑心」と言えるだろう。
【検察が危ない】(ベスト新書)では、特捜検察の実態に関して、自らの特捜部での勤務経験に基づいて書いているが、そこでの具体的事件に関する記述は、新聞報道などで明らかになっている事項にとどめている。そして、本当に世の中に認識してもらいたい、「特捜暴走の実態」については、むしろ、由良秀之のペンネームで書いた推理小説【司法記者】の中でフィクションとして詳細に描いている。私も、「権力の内幕」の描き方には、相当工夫をしてきたつもりである。
そして、森氏は、第二章以下で、自らが体験した具体的事実から離れて、裁判所の「権力的姿」を一般的に記述しているが、それに先立って、第一章の末尾で、次のように述べている。
≪本書次章以下では、司法権力は様々な仕方で市民の前に出現するという前提のもとに、それぞれの場面で立ち現れる裁判所の権力的姿をとらえ、多様な角度から、差し矢、尖り矢、繰り矢、投げ矢、征矢、火矢、あらゆる批判の矢で第三権力の的を射抜くことを試みる。そのため、自然と、それは激烈な権力批判になる。もしかしたら、いきおい余って過剰になる面も出てくるかもしれない。その代わり、必ずや市民にとって意義のある司法権力批判になると考える次第である。≫
第二章以下には、森氏が、予め断っている通り、明快に「司法権力の内幕」が描かれている。冤罪に対しても、「人質司法」と言われる不当な身柄拘束の長期化に対しても、裁判所が殆ど司法的救済機能を果たせていない現実に関して、裁判官での体験に基づく鋭い批判が展開されている(「特捜検察の権力」に関しては、私とは若干視点が異なるが)。
特定秘密保護法が、重大な人権侵害につながりかねないとして強く反対した人たちにとって、同書は必読の書と言えよう。
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