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昨年の命日は真紀子氏が落選
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3425
週刊文春 2013年12月12日号
田中角栄元首相が死去して20年。命日の12月16日の2日後、東京・赤坂の居酒屋で自民党旧田中派議員の秘書を務めた面々が会合を開く。呼びかけ人は元首相の秘書を務めた朝賀昭氏で、同じような集まりは2年前にも開いている。かつては、衆参120人を抱え、栄華を誇った「田中軍団」だけに関係者は「大規模な集まりにしたい」と張り切っているが……。
前回参加し、今回も招待状を受け取っているのが石破茂自民党幹事長だ。石破氏は自治相を務めた父・二朗氏の勧めで、田中派「木曜クラブ」の事務局に籍を置いた。国政進出にあたっては、同じ選挙区に田中派議員がいたため、他派閥から出馬した。
かねて「木曜クラブの事務局で電話番や掃除などをさせてもらったことが、私の政治のスタートだった」と振りかえり、角栄氏の教えを説いて若手に選挙指南する石破氏。角栄氏でさえできなかった衆参両院選挙での大勝を幹事長として果たしながら、その存在感は薄い。安倍晋三首相の「党内一強体制」があまりに盤石なため、幹事長の功績とは認められておらず、むしろ懸案の特定秘密保護法案では、「絶叫デモはテロ行為」とブログで失言。国会の波乱要因を自ら作る体たらく。離党、復党を経て、田中派の流れをくむ小渕派に入ったが離脱し、森喜朗元首相が「信用できない」と公言してはばからないのも、無理はない。
思えば、角栄氏死去の際、長女の真紀子氏が対面を許したのは小沢一郎氏、細川護熙元首相、河野洋平氏だった。角栄氏に可愛がられ、田中派の後継者と目された小沢氏も、今や所属議員1桁のミニ政党党首で、その動静すらほとんど報じられない。長年使ってきた赤坂の事務所は売却するなど台所事情は苦しい。
石破氏がつとめた派閥事務局(現・額賀派)も当時の砂防会館から、いまや全国町村会館に間借りしているのが現状で、総裁選で連戦連勝だった昔日の面影はない。熾烈な総裁選を戦ってきた古参秘書のひとりは「いまさら田中派秘書会といわれても……」と冷ややかだ。今回の会合には、田中派―竹下派で実際に総裁選や選挙戦の先頭に立った実力秘書たちはすでに現役を退いており、出席を見合わせる方向という。
「義理と人情」で人心を掌握した角栄氏の政治は遠くになりにけり、を実感させる20年目となりそうだ。
文「週刊文春」編集部
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