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2013.12.06
安倍晋三が独裁体制を目指していることは明らかだった。そうした安倍を中心とする内閣を成立させるために検察やマスコミが大車輪で活動していたことを忘れてはならない。「特定秘密保護法案」の問題にしても、決定的な段階になるまでマスコミは沈黙を守っていた。
この「特定秘密保護法案」、あるいは「国家安全保障基本法案」によって、官僚は自分たちが絶対的な権力を握り、国の富を私物化しようとしている。そうした支配システムを確かなものにするためにもアメリカの支配層を懐柔する必要があり、TPPで日本をウォール街へ叩き売ろうとしている。庶民の若者を戦場へ送り出し、殺し合いさせることも決定済みのようだ。
TPPとは巨大企業のカネ儲けに庶民が口を挟めないようにする取り決め。巨大企業が送り込んだ約600名のアドバイサーの意見に基づき、中身を作成中だ。その中にはISDS条項が含まれ、企業活動や金融システムに対する規制、食糧の安全、環境汚染の防止、労働者の権利保護などを各国の政府や議会で決定することが不可能になり、庶民は巨大企業に生殺与奪の権を握られる。
1933年から45年までアメリカ大統領を務めたフランクリン・ルーズベルトは1938年に次のようなことを言っている。
「民主主義国家そのものより私的な力が強くなることを人びとが許すなら、民主主義の自由は危うくなる。それは本質においてファシズム、つまり個人、グループ、あるいは何らかの私的な権力による政府の所有だ。」
ルーズベルトは支配階級の出身だが、JPモルガンをはじめとするウォール街とは対立していた。そのルーズベルトは1932年11月8日の大統領選挙でウォール街の代弁者だったハーバート・フーバーを破ってしまう。
当時、大統領の就任式は3月4日。その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃されている。誰が狙われたのかは不明だが、足下が不安定な場所から撃たれているので、次期大統領を狙ったが外れたと見ても不自然ではない。銃撃したのはジュゼッペ・ザンガラ。本来ならじっくり取り調べ、動機や背後関係を聞く必要があったのだが、そうしたことはされず、3月20日に処刑されてしまった。
1933年から34年にかけて反ルーズベルト大統領のクーデターが計画されている。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で、軍の内部に大きなえ協力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー少将が議会でクーデター計画を明らかにしたのだが、クーデター派の中心はJPモルガンだったという。関東大震災以降、日本に大きな影響力を持っていた巨大金融機関だ。バトラーの話を聞いてクーデター派を取材したポール・フレンチも議会で証言し、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたとしている。
当然、こうした証言をルーズベルト大統領も知っていたはず。JPモルガンがクーデターを計画、しかもファシズム体制を樹立しようとしていたとなると、不況の中、金融界は大混乱になる。議会で語られなかった情報もあっただろうが、大統領なら聞いていた可能性が高い。そして1938年の発言だ。
第2次世界大戦の終盤、1945年4月にルーズベルトは急死、ホワイトハウスはウォール街に奪還された。その後、ルーズベルトの遺産は潰されていき、1970年代の後半になると「私有化」と「規制緩和」を叫びながら、巨大資本に対する国の縛りを解きはじめる。これが新自由主義。
ヘンリー・キッシンジャーを黒幕とする軍事クーデターが実行されたチリに導入されたのが最初で、マーガレット・サッチャー英首相、ロナルド・レーガン米大統領、中曽根康弘首相らが続き、中国やボリス・エリツィン時代のロシアへも新自由主義は広がった。
この中曽根は国鉄の「分割民営化」を実現する。これによって国鉄が保有する土地のうち魅力のある物件は格安の値段で巨大企業へ売り飛ばされ、売れ残ったものは自治体の特殊法人などに押しつけられた。それでも長期債務は増え続け、最終的には一般会計に移されて国民が負担することになる。こんなことなら私有化する意味はなかった。
私有化への過程で実行されたのが労働組合の破壊。勢力として巨大資本に立ち向かう能力があったのは国鉄の労働組合ぐらいだった。組合内部にも工作員が送り込まれていただろうが、外部からもマスコミが激しく攻撃している。こうしたマスコミの役割は現在まで続く。
日本の場合、組合は企業単位で、社会全体への働きかけが弱い。非正規雇用の問題にしても動きは鈍かった。労働者の権利ではなく、自分たちの利益を確保しようとしているだけだと外部から見られても仕方がないだろう。
しかも「活動家」の中には独善的で、妄想を好む傾向のある人が少なくない。組合に入り込んでいた「新左翼」のセクトにしても、1970年代にはいると内輪の勢力争いに明け暮れていた。
1970年の万博に社会が浮かれる中、大学闘争に参加していた「活動家」は見事に集団転向、セクトは弱体化していた。そのあげくの内輪喧嘩。そして、さらに衰退していく。つまり、組合は隙だらけであり、支配層の攻撃に組合は脆くも崩壊していった。
この間、日本では官僚と企業との癒着が一線を越し、1980年代には支配層の腐敗が急速に進んだ。その延長線上に現在はある。日本のファシズム化は1980年代から着々と進められたということだ。
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