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2013年12月6日 上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授] ダイヤモンド・オンライン
自民、公明の与党は、国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案を、参院特別委員会で可決した。野党が「乱暴な国会運営」だと、強く反発する中での、強行採決であった。参院での審議時間は、不十分と批判された衆院の44時間の半分ほどでしかなかった。しかし、与党は採決の前提であるさいたま市での地方公聴会を強引に開催し、委員会採決に持ち込んだ。
■目立った与党の強引な姿勢 なぜ安倍政権は法案成立を急いだか
安倍晋三政権、与党が強行採決に踏み切ったのは、臨時国会会期末の12月6日までに、どうしても特定秘密保護法案を成立させたいからだ。会期の延長は、来年度予算案の編成作業への支障を考えると困難である。一方、法案を一度廃案にして、来年度通常国会に提出し直すと、来年度予算成立後の法案審議となってしまう。安倍政権はそこまで待ちきれないようだ。また、時間が経つと、厳しい世論が更に反対に向かいかねず、法案成立自体が不透明になる懸念もあったようだ。
法案審議の舞台が参院に移る前の衆院でも、安倍政権、与党の強引な姿勢が目立った。11月26日、衆院本会議で特定秘密保護法案が自民党・公明党の与党と、みんなの党の賛成多数で可決された。だが、それは前日に福島市で開かれた衆院特別委員会の地方公聴会で、意見陳述者7名が全員反対の立場を取ったばかりだった。安倍政権は反対意見を完全に無視し、採決を強行したのだ。また、与党とみんなの党、維新の会が合意した修正案の審議は、驚くべきことにわずか2時間だった。
特定秘密保護法案には、最長懲役10年の厳罰で、報道の自由が制約され、国民が情報を知ることができなくなるのではないかという「知る権利」の侵害の恐れ、具体的に何が「特定秘密」に当たるのかが曖昧であること、「秘密指定の期間」が「原則60年」と諸外国と比較して長期間であること、政府が不都合な真実を好き勝手に特定秘密に指定できないようチェックする「第三者機関」の権限や具体的な組織像が明確ではないことなど、さまざまな問題があると指摘されてきた。
しかし、安倍政権は、法案を成立まで一気に持ち込もうという意志をはっきりを示し、野党の追及に対して、法案の根幹を一切変えない頑なな姿勢を貫いた。その結果、法案に反対の民主党、共産党、社民党、生活の党、新党改革だけでなく、衆院では法案修正に応じたみんなの党、維新の会まで、参院では足並みを揃えて「徹底審議」を要求するようになっていた。それにもかかわらず、法案は強行採決されたのである。
■「厳罰化」に対するジャーナリズムなどの批判 市民は委縮し政権批判を手控えるように
特定秘密保護法案に対しては、ジャーナリズム、学者、市民からも、さまざまな厳しい批判が展開されてきた。それらの批判の中で、だが、彼らが最も重要視してきたのは、法案の根幹ともいえる「厳罰化」であろう。
この法案では、国の安全保障の情報を漏らした公務員らを最長で懲役10年の厳罰とすることになっている。たとえ公務員に対する罰則強化であっても、公務員側が厳罰を恐れて情報提供しなくなれば、ジャーナリストの報道・取材の自由が制約されることになり、国民の「知る権利」が侵害される恐れがある、というのが彼らの主張である。
また、ジャーナリストや市民の取材行為が、情報漏えいで強制調査の対象となる可能性が否定できないことも問題視している。安倍首相は「メディアが捜査対象となることはない」と明言してはいる。だが、その疑問は解消されないままだ。法案の国会審議を通じて浮き彫りになってきたことは、捜査が当局の裁量に委ねられることになるということだ。換言すれば、ジャーナリストの取材行為が適切かどうかは、当局がその都度判断するということになっている。それでは、ジャーナリストは常に不安に晒されたまま、取材をしなければならなくなるというのだ。
その上、何が「特定秘密」かを、政権が都合よく決めることができるようになると批判する。政権や役所が都合の悪い情報を「特定秘密」とすることで、スキャンダルや不正経費流用が暴かれることがなくなる。それでも「これはおかしい」と不正に迫ろうとするジャーナリストや市民が出てくると、「厳罰」の壁が立ちふさがる。そうなると、ジャーナリストや学者など言論人、市民運動や労働組合は必ず委縮し、政権批判を手控えるようになるということだ。
■歴史が示す日本のジャーナリズムの弱さと、英国ジャーナリズムの強さ・逞しさ
ジャーナリストなどは、歴史も用いて批判を展開している。例えば1925年に成立した「治安維持法」である。これは、共産主義を取り締まるために制定された法律だった。しかし、共産主義が壊滅した後は、次第に拡大解釈され宗教団体や、右翼活動、自由主義等、すべての政府批判が弾圧の対象となっていった。更に、治安維持法の被疑者の弁護士まで弾圧し、朝鮮半島など植民地の民族独立運動の弾圧にまで用いられた。要するに、言論弾圧による権力の暴走を止められず、敗戦への道を進んでしまった、日本の過去の過ちを繰り返してはならないという批判だ。
だが、ジャーナリストが過去の歴史を持ち出して批判を展開するのには、筆者は少々違和感を持ってしまう。なぜなら、言論弾圧を批判するジャーナリズムこそが、第二次大戦時に「ミッドウェー海戦で連合艦隊大勝利!」というような「大本営発表」を流し、国民に真実を伝えない権力の片棒を担いでいたからだ。ジャーナリストは、権力の前には無力であると言いたいのかもしれないが、それは日本では「常識」でも、実は世界では「常識」ではないのだ。
今年9月の学生による「英国フィールドワーク」(第67回などを参照のこと)で、フィナンシャル・タイムズ紙、エコノミスト誌の記者と面談した。学生の「英国と日本のマスコミの違いはなにか?」という質問に対し、彼らの答えは以下の通りだった。
「英国は階級社会、日本は違うということです。英国ではジャーナリストは、伝統的に上流階級の仕事ではありません。昔、ジャーナリストは、新聞社の印刷所での見習い修行から仕事を始めたものでした。ジャーナリストとは、元々階級が低く、社会的地位、名誉、財産のない家庭に生まれ、学歴の低い人たちの仕事だったのです」
「ジャーナリストは上流階級出身の権力者とは別世界に生きる人間なのです。エリートではないのです。だから、権力に媚びることはありえないし、徹底的な権力批判ができるのです。もちろん、現在ではジャーナリストも高学歴者ですよ。しかし、反権力の伝統は今も生きています」
「一方、日本は階級社会ではない。ジャーナリストは政治家、官僚、企業経営者などと同じ、高学歴者の仕事です。エリート層の一角を形成しており、ある意味権力者の仲間です。だから、権力者と徹底的に闘うことができない。権力者の側に立って報道することが多いのではないですか」
要するに、英国のジャーナリストは、特定秘密保護法のような法律が成立し、権力が言論統制を試みても、委縮することはない。たとえ、言論弾圧で500人、1000人逮捕されようが、会社が潰れてしまおうが、英国のジャーナリズムは権力に屈することはないということだ。
例えば今年、英紙ガーディアンは、米英情報機関による個人情報収集の実態をスクープした。米中央情報局(CIA)のスノーデン元職員から内部資料の提供をうけ、米国家安全保障局(NSA)と英政府通信本部(GCHQ)による通信傍受の実態を特報したのだ。ディビッド・キャメロン英首相は報道差し止めなどの強硬措置を示唆したが、ガーディアン紙は徹底抗戦の構えを貫いている。
また、日本のジャーナリストが「厳罰化によって情報源がさまざまな情報提供をしなくなってしまうと、『知る権利』が失われる」と主張することも、英国ジャーナリズムにとっては、単なる「泣き言」にしか聞こえないのではないだろうか。BBCの「パノラマ」というドキュメンタリー番組で、ロンドンの大学生の北朝鮮訪問に、BBCの記者が紛れ込んで秘かに取材活動をしたことが明らかになり、大問題となった事件があった。
この番組は、潜入取材により真実に迫ることが売り物の人気番組である。筆者が英国在住の頃は、BBCの記者がサッカー選手の移籍を斡旋する違法ブローカーになりすまして、有名サッカー監督に近づき、実際に賄賂を渡したかと思わせるような番組を放送して物議をかもしたこともあった。その取材方法の是非はともかくとして、英国ジャーナリズムは、情報を得るためには手段を選ばず、どんなことでもやるという「強さ・逞しさ」があるということだ。
■ジャーナリズムの強さ・逞しさを支える英国の「政権交代のある民主主義」
そして、英国ジャーナリズムの強さ・逞しさを支えているのは、「政権交代のある民主主義」であろう。以前論じたように、英国政治の特徴は「密室」での意思決定であり、「交代可能な独裁」だ。首相など政治指導者の決断が発表されるまで、基本的にすべて非公開であり、各省庁間や政治家間の調整があっても、それは一切外部からわからない。要するに、英国であれば、安倍政権の特定秘密保護法案を巡る強引な国会運営など、日常茶飯事なのだ(第9回を参照のこと)。
ただ、英国民の民主主義に対する基本的な考え方は「選挙によって、ある人物なり、ある党に委ねた以上、原則としてその任期一杯は、その人物なり党の判断に任せるべき。間違っていたら、次の選挙で交代させればいい」というものだ。英国人は政治の「独裁」を認める一方で、「失政を犯した政権は、交代させることができる」ということに、強い自信を持っている。そして、実際に政権を交代させた豊富な実績を持っているのだ。
英国にも、特定情報保護法に相当する「公務秘密法」がある。スパイ防止・スパイ活動、防衛、国際関係、犯罪、政府による通信傍受の情報を秘密の対象とし、公務員などによる漏出に罰則の規定がある法律だ。しかし、ジャーナリストの有罪とした事例は過去ないという。英国では、政権が権力乱用を安易に行うことはできない。国民がそれを不当だとみなした場合、政権は容赦なく次の選挙で敗れ、政権の座を失ってしまうからである。
■法律が成立したら終わりではない; 日本のジャーナリズム・国民の本当の戦いはこれからだ
特定秘密保護法は今日、本会議で可決され、成立するだろう。しかし、日本のジャーナリズム・国民の戦いが、これで終わりであってはならないだろう。歴史を教訓とするならば、「権力による情報統制がどんなに強まっても、ジャーナリズムは怯まず権力批判を続けなければならない」ということであるはずだ。たとえ、これから何人逮捕者を出すことになろうとも、権力に対して批判を続けよ、ということだ。
彼らは「特定秘密保護法案が成立すると、マスコミが逮捕を恐れて委縮し、国民の『知る権利』が失われる」と主張してきたこと。まさか、その真意が、「法律が成立したらジャーナリズムは権力批判をやめる」との宣言だった、ということではないと信じたい。
一方、法案に批判的な国民も覚悟を決めるべきだろう。「政権交代のある民主主義」は実現しているのだ(前連載第31回を参照のこと)。もし、安倍政権が特定秘密保護法案を盾に、情報統制、不当逮捕という権力の乱用を行ったら、国民は次の選挙で安倍政権を引きずり下して、国会で法律を廃止させればいいのである。国民がその厳しさを持ち続けることで、政権が緊張感を失うことがなければ、民主主義は守られるのである。
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