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現在ブログ問題で炎上している石破茂は、かつて田中角栄の弟子であった。
角栄は「政治家は権力者だが、もっと謙虚であるべきだ。その権力は極力抑制して行使されるべきだ」と常々言っていた。
今回の石破の弁明からは、角栄の遺伝子をほとんど受け継いでいないように思うが、強いて見習ったといえば、選挙戦術くらいか。
小沢一郎が、角栄没後20周年で「政治家と権力」について産経新聞で述べている回想が示唆に富む。
(引用開始)
小沢 僕の裁判もそうだと思うが、ロッキード裁判も司法の自殺行為だったと思う。田中裁判では、お金をもらったかどうかの問題以前に、最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方で得たものを証拠として訴追し裁判を始めた。
僕は裁判を全部傍聴しました。日本の裁判・司法に対する問題意識からだ。もちろんいろいろ心情的な思いもあった。親とも思っている人が首相にまでなった のに、今度は目の前で被告人になっているのだから。でも、田中先生は、あれだけ権力を持っていながら、結局最後まで自分の捜査や裁判では決して権力を使おうとしなかった。
(引用終わり)
石破には、この小沢の回想文を三回復唱してもらいたいくらいだ。
田中角栄は常々、「司法は本来、行政権力から国民を守るためにあるべきだ。しかし実際は、行政権と司法権が結託して、デモクラシーを死の淵においやっている。だから国会議員は、毎日猛勉強し、国会で堂々と議論し、役人を心服させるのだ」と力説し実行していた。
そもそも安倍政権の自民党議員は、角栄の「権力者は謙虚であるべき。権力は抑制して行使されるべき」という流儀に見習って、国益と国体のために全うしてもらいたい。
これが議会政治の要諦というものであろう。
角栄の影消えて官僚はびこる。
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