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旧内務省の資料「外事警察概況」に列挙されている軍機保護法違反容疑の検挙例。列車の窓から軍事施設の写真を撮ったなどとして「厳重説諭」されるケースもあった
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00000002-mai-pol
毎日新聞 12月3日(火)0時24分配信
「秘密が際限なく広がっていくという懸念は、全く当たりません」−−。参院に審議の場が移った特定秘密保護法案。安倍晋三首相は先月26日の衆院国家安全保障特別委員会でそう答弁し、秘密の適用範囲が限定的だと強調した。しかし、戦前の秘密保護法制の審議でも政府側は同様の答弁をしている。法案段階の政府答弁は、果たしてそのまま信じることができるのか。【日下部聡】
1937(昭和12)年8月、帝国議会で軍事機密の漏えいや収集を罰する改正軍機保護法案が審議された。秘密の範囲はあいまいで具体的には省令で定めるとされたため、衆院の委員会では議員から質問が相次いだ。「学生や民衆の間にカメラが流行している。水泳などに行った場合、(軍事施設を)背景としてうっかり撮影したら……」「国民が軍事のことを一切口にできぬかのような恐れを抱く」
陸軍省の加藤久米四郎政務次官は次のように答弁した。「知らず知らずの間に軍の秘密を犯したという民衆に対して、人権じゅうりんのないよう、省令においての(秘密の)列挙主義をとったのであります」「軍の秘密は極めて高度のものであり、そう(多く)はあり得ない」
だが、答弁通りにはならなかった。同年10月の改正法施行以降、趣味の写真に偶然軍の施設が写ったり、軍関係の仕事を請け負った労働者が仕事の様子を友人や家族に話したりしただけで、検挙されるケースが多発した。
旧内務省の資料「外事警察概況」によると、1940(昭和15)年には東京・築地市場の魚商組合幹部が摘発された。組合員向けの冊子に市場の航空写真を使った容疑だった。都市部などで10メートルを超す高さから撮った写真の複製は陸軍省令で禁止されていたためだ。
旅行中に見聞した海軍飛行場のことなどを英語教師夫妻に話したとして翌41年に北海道大生、宮沢弘幸さんが逮捕された「レーン・宮沢事件」でも同法が適用された。宮沢さんは、えん罪を訴えたが、懲役15年の実刑判決を受け、戦後、釈放直後に病死した。
41年はさらに、秘密の対象を外交、財政、経済に関する情報にまで広げる国防保安法が成立。この時も議会で異論が出たが「国際情勢の機微」を強調する政府に押し切られた。
◇軍機保護法
1899(明治32)年に制定。日中間の紛争が緊迫化する中「列国の諜報(ちょうほう)は活発・巧妙となり、現行法に不備がある」(杉山元・陸相)として、1937(昭和12)年に全面改正された。大まかな機密の分類を設け、軍事関連地域への立ち入り禁止や「スパイ団」編成への処罰規定などを新設した。最高刑は死刑。戦後廃止された。
◇荻野富士夫・小樽商科大教授(日本近現代史)の話
改正軍機保護法は秘密の範囲を陸海軍両省の裁量で変更できる省令に委ねたため、施行後数年で秘密事項は大幅に増えた。一方、検挙された人は、同じようなケースでも量刑のばらつきが大きかった。判例などの蓄積が少なく、運用が現場任せになったためとみられる。捜査機関は功名心から、どんなことでも検挙しようとする。こうした法律の「独り歩き」が特定秘密保護法案でも懸念される。しかも、今回は軍機保護法と国防保安法の双方の要素を含む法案を1カ月ほどで通そうとしている。戦前に比べても、あまりに拙速と言わざるを得ない。
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