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「修身科」の復活なのか
一一月一一日、文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長/鳥居泰彦)は、安倍政権のグローバル派兵国家建設の一環である新自由主義教育政策と愛国心教育の徹底に向けた教育再生実行会議路線の具体化の一つとして道徳の教科化にむけた報告書案を公表した。年内にも最終報告を取りまとめ、中央教育審議会に議論を移行し、二〇一五年度にも教科化の強行をねらっている。
報告書案は、「道徳教育に関する改善の方針は出尽くし、活性化のためには枠組みを変えるしかない」などと、これまでの論議を投げ捨て独善的に@小中学校の「道徳の時間」を数値評価を行わない「特別な教科」に格上げA五段階などの数値評価はせず、記述式で児童生徒の取り組み状況を評価B「道徳」検定教科書の使用を求める―などを公表した。いじめや体罰対策として道徳の教科化を掲げたが、その本質は愛国心教育、「日の丸・君が代」強制に続く国家による思想統制であり、戦前の戦争動員のための皇民化教育の「修身科」の復活に匹敵する踏み出しだ。
憲法改悪と一体の攻撃
以下のように懇談会の「主な意見」は、アナクロ発言などと揶揄できない暴論の連発だ。
副座長の押谷由夫委員は、学校に道徳教育部を作り、道徳教育推進教師を配置し、 学校・家庭・地域連携の道徳教育振興会議を設けろとまで主張している。地域ボス等を巻き込んで道徳授業を推し進めていく発想だ。
発言者名不明の議事録では、「世界のどこの国にもモラルの教育はあるが、我が国では、歴史の中で経験してきた古い時代のいろいろな問題に妨げられて道徳教育を忌避しがちだった」、「日本には礼の文化があることを子供に伝えていくとともに、家庭でもしっかりと育んでいくべき」と発言している。
さらに「修身科や教育勅語も含めて戦前的なものがすべてタブー視され、断絶が起こった。そのために道徳教育に関する理論的な研究が貧困なものとなり、そのことが教員養成や研修、実践、指導法、それを全部総括する意味での政策評価の分野にまで及ぶ機能不全を招いている。道徳の『教科化』によって道徳教育の学問的な体系を構築する必要がある」などと自民党の改憲草案の国家に忠実な人間づくりのための教育、家族主義を組み込もうというのが明白だ。
学校教育が抱える「貧困と経済的格差」「差別・選別と学校間格差」「子どもの人権否定とストレス」「不登校・引きこもり」など重層的で複雑な状況を丁寧に切開していくのではなく、「道徳の教科化」によって強引に突破していこうとする発想でしかない。ここには子どもの権利条約、子どもが主体の観点からのアプローチがまったくない。しかも教育労働者の増員による少人数学級が最低限の条件であり、それが財政的にも保障されていなければ、技術主義的な事後対応を繰り返しても矛盾は深まるだけである。
また、「道徳」教科書が作成されるまでの間は、国家に都合がいい偉人伝を作り上げ、ナショナリズムを煽る改訂版「心のノート」を全生徒に配布し、バラツキがある道徳授業を画一的に行い、定着させることを求めた。
「品性の高い人」づくり?
報告書案は「価値観に関わる教科書の記載内容を検定するのは難しい」という批判に対して、「憲法、法律、学習指導要領の趣旨に沿っているかなどの大きな基準で考えれば検定も可能」とし、改悪教育基本法を根拠にして作成できるとした。合わせて教科書の改革実行プランでは、歴史関連で政府見解の記載を求める教科書検定基準の改定、沖縄・八重山教科書問題をターゲットにした教科書無償措置法改悪も提言している。
つまり、改悪教育基本法の「愛国心教育」の項に書かれた「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」の実践化である。国家が内心に不当な介入を行うとあらためて宣言したのである。「日の丸・君が代」義務化(一九八九年)、「国旗・国歌法」制定(九九年)以来、全国的に広げてきた新国家主義的教育再編と新自由主義的教育改革の集約であり、グローバルな戦争と資本大競争を勝ち抜く人材育成という国家戦略を根拠にしている。
ある委員は、「複数の民間発行者が作成する検定教科書の方が多様な価値観を反映できる」(議事録)などと、あくまでも一方的な思想注入を行えというのだ。当然、こんな主張に対して 「価値の構造化については、国レベルでそれを示すことは適切ではないのではないか」(議事録要旨)、「学習指導要領に示された道徳の内容項目を見ると、例えば国と国との交際に関わることなど、もう少し補うべきところがあると思う」(議事録)という批判的アプローチがある。
しかし、報告書案は、「道徳教育を学校でも家庭でも重視するのは、人間としての品性を高めて、品性の高い人たちの集まりの国を作るためである」「グローバル社会だからこそ誇りを持って発信できる日本特有の伝統的な価値観について考えていくべき」などという意見を実質的に取り込んでいる。安倍首相が河野・村山談話を「そのまま継承しているわけではない」(四月)という答弁を先取りして教科書で修正してしまう魂胆なのだ。
右翼が教育を「乗っ取る」
第一次安倍政権(二〇〇七年)時の教育再生会議は道徳の教科化を提言していたが、中央教育審議会や文科省官僚は「教科書づくりや点数評価が難しい」とか、「国が価値観を押しつけるのは慎重にすべき」などの批判に耐え切れず教科化は見送った。
だが安倍政権は、第一次の失敗を繰り返さないために、下村博文文科相、副大臣に櫻田義孝、西川京子議員、政務官に冨岡勉、上野通子議員ら天皇主義右翼、日本会議の連中を役職につかせ、同様に教育再生実行会議にも多数配置し、会議に忠実な「道徳教育の充実に関する懇談会」を設置した。文部行政が右翼政治家に「乗っ取られている」状態なのである。
安倍政権による「道徳の教科化」の野望と危険性を厳しく監視し、教育再生実行会議反対の取り組みを強化していこう。
(遠山裕樹)
http://www.jrcl.net/frame131202b.html
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