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2013年11月25日
先ずは、宮内庁のページに掲載されている「宮内記者会の質問に対する文書ご回答」を読んでいただこう。皇后陛下のお言葉の意味合いと宮内庁の苦心の労作の“文書ご回答”の文脈を、夫々の感性で読み感じていただくのが、一番と考えている。筆者が当該コラムで多少調べた点は、皇后陛下の“文書ご回答”についてではなく、あくまで「五日市憲法草案」なるものは、どのようなものであったか、と云うことに過ぎない。
但し、本日は宮内庁HPの掲載だけとする。一読したに過ぎないが、両陛下の、あまりにも多忙な日々に頭が下がると同時に、以前から言われているように、ご公務の削減と云うこころくばりは、国民の一人として、強く感じる次第である。
≪ 皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
問1
東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが,なお課題は山積です。一方で,皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。
皇后陛下
この10月で,東日本大震災から既に2年7か月以上になりますが,避難者は今も28万人を超えており,被災された方々のその後の日々を案じています。
7月には,福島第一原発原子炉建屋の爆発の折,現場で指揮に当たった吉田元所長が亡くなりました。その死を悼むとともに,今も作業現場で働く人々の安全を祈っています。大震災とその後の日々が,次第に過去として遠ざかっていく中,どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちを持ち続けなければと思っています。
今年は10月に入り,ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。夏が異常に長く,暑く,又,かつてなかった程の激しい豪雨や突風,日本ではこれまで稀な現象であった竜巻等が各地で発生し,時に人命を奪い,人々の生活に予想もしなかった不便や損害をもたらすという悲しい出来事が相次いで起こりました。この回答を準備している今も,台風26号が北上し,伊豆大島に死者,行方不明者多数が出ており,深く案じています。世界の各地でも異常気象による災害が多く,この元にあるといわれている地球温暖化の問題を,今までにも増して強く認識させられた1年でした。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
オリンピック,パラリンピックの東京開催の決定は,当日早朝の中継放送で知りました。関係者の大きな努力が報われ,東京が7年後の開催地と決まった今,その成功を心から願っています。
世界のあちこちで今年も内戦やテロにより,多くの人が生命を失い,又,傷つけられました。取り分けアルジェリアで,武装勢力により「日揮」の関係者が殺害された事件は,大きな衝撃でした。国内では戦後の復興期,成長期に造られた建造物の多くに老朽化が進んでいるということで,事故につながる可能性のあることを非常に心配しています。
この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。阪神淡路大震災の時の日本看護協会会長・見藤隆子さん,暮しの手帖を創刊された大橋鎮子さん,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん,映像の世界で大きな貢献をされた高野悦子さん等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。
先の大戦中,イタリア戦線で片腕を失い,後,連邦議会上院議員として多くの米国人に敬愛された日系人ダニエル・イノウエさんや,陛下とご一緒に沖縄につき沢山のお教えを頂いた外間守善さん,芸術の世界に大きな業績を残された河竹登志夫さんや三善晃さんともお別れせねばなりませんでした。
この10月には,伊勢神宮で20年ぶりの御遷宮が行われました。何年にもわたる関係者の計り知れぬ努力により,滞りなく遷御になり,悦ばしく有り難いことでございました。御高齢にかかわらず,陛下の姉宮でいらっしゃる池田厚子様が,神宮祭主として前回に次ぐ2度目の御奉仕を遊ばし,その許で長女の清子も,臨時祭主としてご一緒に務めさせて頂きました。清子が祭主様をお支えするという,尊く大切なお役を果たすことが出来,今,深く 安堵しております。
問2
今年,皇后さまはご体調が優れず,いくつかのご公務などをお取りやめになりました。天皇陛下も今年80歳を迎えられます。両陛下の現在のご体調や健康管理,ご公務や宮中祭祀に関してご負担軽減が必要との意見について,どのようにお考えでしょうか。
皇后陛下
加齢と共に,四肢に痛みや痺れが出るようになり,今年,数回にわたり公務への出席を欠きました。体調の不良を公にすること は,決して本意ではありませんが,欠席の理由を説明せねばならず,そのため大勢の方に心配をかけることとなり心苦しく思っています。健康管理については, 医師の意見に従い,その時々に必要な検査を受けていますが,まだ投薬などの治療を継続して受ける段階のものはなく,これからもしばらくは,今までとあまり変わりなく過ごしていけるのではないでしょうか。
質問にあった宮中祭祀のことですが,最近は身体的な困難から,以前のように年間全てのお祀りに出席することは出来なくなり ました。せめて年始の元始祭,昭和天皇,香淳皇后の例祭を始め,年間少なくとも5,6回のお参りは務めたいと願っています。明治天皇が「昔の手ぶり」を忘れないようにと,御製で仰せになっているように,昔ながらの所作に心を込めることが,祭祀には大切ではないかと思い,だんだんと年をとっても,繰り返し大前に参らせて頂く緊張感の中で,そうした所作を体が覚えていてほしい,という気持ちがあります。前(さき)の御代からお受けしたものを,精一杯次の時代まで運ぶ者でありたいと願っています。
問3
皇太子妃雅子さまは11年ぶりに公式に外国をご訪問になりました。また,悠仁さまの小学校入学をはじめ,お孫さまたちに節目となる出来事が相次ぎました。ご家族と様々なご交流があると思いますが,皇室の一員として若い世代に期待されていることをお聞かせください。
皇后陛下
皇太子妃がオランダ訪問を果たし,元気に帰国したことは,本当に喜ばしいことでした。その後も皇太子と共に被災地を訪問したり式典に出席する等,よい状態が続いていることをうれしく思っています。
孫の世代も,それぞれ成長し,眞子は大学の最高学年に進み,今では,成年皇族としての務めも行っています。こうした二つの立場を,緊張しながらも誠実に果たしている姿を,うれしく見守っています。次女の佳子は大学生になり,今年は初めての一人での海外滞在も経験しました。来年は二十歳(はたち)になり,皇室はまた一人,若々しい成年皇族を迎えます。東宮では愛子が6年生になりました。背も随分伸び,もうじき私の背を超すでしょう。チェロ奏者の一員として,皇太子と共に オーケストラに参加したり,今年の沼津の遠泳ではやや苦手であった水泳でも努力を重ね,自分の目標を達成したことをうれしく,又,いとおしく思いました。悠仁は小学生になりました。草原を走り回る姿はまだとても幼く見えますが,年齢に応じた経験を重ね、その中で少しずつ,自分の立場を自覚していくようにという両親の願いの許で,今はのびのびと育てられています。
こうした若い世代の成長に期待すると共に,私にはご高齢の三笠宮同妃両殿下が,幾たびかの御不例の折にも,その都度それを克服なさり,今もお健やかにお過ごしのことが本当に心強く,有り難いことに思われます。これからも両殿下のご健康が長く保たれ,私どもや後に続く世代の生き方を見守って頂きたいと願っています。
この1年のご動静
皇后さまには,本日,満79歳のお誕生日をお迎えになりました。
昨年2月に冠動脈バイパス手術をお受けになった天皇陛下のご様子をその後も注意深くお見守りになりながら,この1年も天皇陛下をお側(そば)でお支えになり,数多くのお務めを果たされました。この間,4月から頸椎(けいつい)症性神経根症による左の肩から上腕にかけての激しいお痛みが暫(しばら)く続き,ややご体力に低下が見られました。皇后さまは,なるべく公務に影響が出ないようにとのお気持ちからご静養期間は最小限とされ,公務を数回にわたりお休みになられただけでお務めをお続けになり,体調の回復に努められました。現在は,ごく順調にお過ごしです。
この1年間,皇后さまとしてのお立場でお務めになったお仕事は,宮中祭祀と勤労奉仕団へのご会釈を除き339件ありました。
一昨年3月に発生した東日本大震災に関しては,陛下と共に今年3月に開催された東日本大震災2周年追悼式に臨席されたほか,7月には岩手県遠野市,大船渡市,陸前高田市等を訪問され,後方支援に当たった関係者や応急仮設住宅に居住する被災者等をねぎらい励まされました。また,私的ご旅行先として福島 県飯舘村を訪問され,小学校の合同仮設校舎や地元企業にお立ち寄りになって被災地の状況をお聴きになったほか,伊達市の桃生産農家を励まされました。
さらに,東日本大震災の復興を支援する「千の音色でつなぐ絆」プロジェクトほか各種チャリティーコンサートにお出ましになり,その活動を支援されました。
地方行幸啓としては,このほかにも昨年11月に全国豊かな海づくり大会ご臨席のため沖縄県に,同年12月に明治天皇百年式年のご参拝に併せて京都府と岐阜県(同年9月の国民体育大会の際に予定されながら台風の接近によりご訪問になれなかった大垣市)に,今年5月には全国植樹祭ご出席のため鳥取県にお出ましになりました。また,6月には野口英世アフリカ賞授賞式等にご臨席のため神奈川県横浜市を,世界生物学的精神医学会国際会議開会式ご臨席等のため京 都府と大阪府を,8月にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本ご鑑賞のため長野県松本市をご訪問になりました。
このほか,両陛下は,今年から都道府県知事等からの願い出によるものとは別に,ご自身でご訪問の場所と時期をお決めになって地方にお出ましになる私的ご旅行を始められました。昭和天皇と香淳皇后も,昭和天皇が満79歳をお迎えになったときにお始めになっています。4月には長野県千曲市のあんずの里ス ケッチパークをご訪問になり,7月には福島県福島市,川俣町及び居住制限区域の指定を受けた飯舘村をご訪問になりました。福島県では,当初のご計画では伊達市の桃生産農家をお訪ねになる予定でしたが,前夜からの大雨による被害が発生したため,お出ましにより警察や消防等の手を取り,被災地域に必要な対応に遺漏が生ずることを案じられ,ご訪問をお取り止めになりました。代わりに福島市のご宿泊所に生産農家や関係者をお招きになって生産や除染活動の状況等をお聴きになり,一緒に桃を召し上がりました。
地方へのお出ましは,ご静養のための御用邸等へのお出ましを除き,また,いずれも陛下とご一緒の私的ご旅行を含めて9府県18市7町3村に及びました。
都内へは,ご公務として陛下と共に42回お出ましになり,全国戦没者追悼式等の式典や国際生物学賞等の授賞式へご臨席になったほか,各種の芸術や伝統文化等をご奨励になりました。お一方では26回の行啓があり,全国赤十字大会,フローレンス・ナイチンゲール記章授与式,「日本更生保護女性の集い」祝賀会等に臨席されたほか,東日本大震災復興支援関連行事に多数お出ましになりました。
なお,両陛下は,これまで三多摩地区も含め都内各地で催される行事等にお出ましになってこられましたが,5月に羽村市,この秋に武蔵村山市,瑞穂町をお訪ねになったことで,福生(ふっさ)市を残す東京都(いくつかの島を除く)の全ての地区をお訪ねになったことになります。遠からぬ将来いずれ福生(ふっさ)市をお訪ねになることと思います。
また,宮殿や御所では,陛下と共に文化勲章受章者及び文化功労者,各種大臣表彰受賞者,農林水産祭天皇杯受賞者,国際平和協力隊員,国際緊急援助隊員,シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア,青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティアの代表,日本学士院会員,日本芸術院会 員等々,文化,社会,産業,国際協力,学術,芸術,スポーツ等の分野でその発展に尽力し貢献された数多くの人々にお会いになり,その功をたたえ労をねぎらわれました。また,皇后さまお一方では,「ねむの木賞」受賞者とお会いになったり,被災地の訪問看護の状況や日本赤十字社の活動状況等をお聴きになりました。
献穀者,賢所勤労奉仕団及び皇居勤労奉仕団へのご会釈は59回,延べ7,325名を数えました。
この1年間は外国へのご訪問はありませんでしたが,多数の外国からの賓客や外国大使等を接遇されるなど,国際親善の増進にも尽くされました。
国賓の接遇については,陛下と共に今年6月に来日されたフランス国大統領閣下及びヴァレリー・トリエルヴェレール女史の歓迎行事,ご会見,宮中晩餐にお出ましになりました。また,3月にはスリランカ国大統領閣下及び同令夫人,4月にはメキシコ国大統領閣下及び同令夫人を公式実務訪問賓客として陛下と 共にお迎えになり午餐を催されました。このほか,パナマ国大統領閣下及び同令夫人,ハイチ国大統領閣下及び同令夫人,キルギス国大統領閣下及び同令夫人と会見されたほか,ノルウェー国首相夫妻,オランダ国最高裁判所長官夫妻,カナダ国下院議長,インド国首相夫妻及びモンゴル国首相夫妻をご引見になりました。さらに,ベルギー国王女アストリッド殿下を御所でのご夕餐に,ブルネイ国国王陛下及び王妃陛下,赤十字国際委員会総裁を御所でのお茶に,第5回アフリカ開発会議に出席した各国首脳夫妻等37名を宮殿での茶会にお招きになりました。加えて,退任する国連大学学長夫妻を,次いで新任の同学長を御所にお招きになっています。
在京の外交団との関係では,この1年間に着任後間もない38か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年を経過した20か国の大使夫妻を午餐にお招きになり,離任する11か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する62か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり,帰国した55か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の話をお聴きになりました。
宮中祭祀については,頸椎(けいつい)症性神経根症のご症状がこれ以上悪化しないよう,頸(けい)部への負担の大きいご装束や御髪(おぐし)上げによるご拝礼を極力避けていただくことが望ましいのですが,皇后さまには,女性側の宮中祭祀の礼法が絶えることがないようにとの思(おぼ)し召しから,回数を減らされつつ,引き続き数回の宮中祭祀にお出ましになっており,今年は元始祭の儀(宮中三殿),昭和天皇祭の儀(皇霊殿),春季皇霊祭の儀(皇霊殿)及び春季神殿祭の儀(神殿),香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)並びに秋季皇霊祭の儀(皇霊殿)及び秋季神殿祭の儀(神殿)に列せられました。さらに今年は,伊勢神宮の式年遷宮に際し,陛下の遙拝の儀に合わせて御所で皇大神宮及び豊受(とようけ)大神宮をそれぞれご遙拝になりました。
今年のご養蚕は4月から始められ,恒例の行事を含めご公務の合間に21回にわたり桑畑,野蚕室,御養蚕所等においでになり,野蚕の山つけや収穫,桑つみ,ご給桑,わら蔟作り,上蔟,繭掻き,毛羽取り等の仕事に当たられました。今年は約157キロの繭の収穫がありました。
皇后さまは,この1年も時に土日や祝日も含め御所の内外でお仕事を続けてこられました。
今も時に発症する頸椎(けいつい)症性神経根症による痛みや痺(しび)れ, おみ足の不具合などに辛抱強く対応されつつ,日々のお務めを果たしておられます。いまだ復興途上にある被災地東北の人々の様子をいつもお心に懸けられながら,日々お会いになる多分野の人一人一人に心を尽くして接しておられるご様子です。しかし,年々ご高齢になられ,来年は80歳におなりになることを考慮しますと,ご休養の日数を増やしたりするなどの配慮をすることが今後もあるいは必要になってくるのではないかと思われます。
お仕事の合間には,短時間でも読書をされたり,ピアノを弾かれたりされています。今年6月には,皇后さまが平成の初め頃に依頼を受けて英訳されたまど・みちおさんの詩集「Rainbow にじ」と「Eraser けしゴム」が出版されました。
皇后さまが翻訳されたまどさんの詩は,既に「THE ANIMALS どうぶつたち」ほかが上梓されていますが,今回の出版により,まどさんが国際アンデルセン賞・作家賞を受賞される対象となった皇后さまが翻訳された詩の大部分が公刊されたことになります。また,音楽の関係では,今年も8月に例年どおり草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに参加され,講師として参加した音楽家たちの奏でるヴァイオリン,クラリネット,チェロ,コントラバス等の音に合わせてアンサンブルを学ばれました。毎日の早朝のご散策は変わりなくお続けになっていますが,お具合の良いときには,時折,陛下と短時間ですがテニスをご一緒にされています。
10月20日のお誕生日当日は,当初,昨年同様の祝賀行事が執り行われる予定でしたが,天皇皇后両陛下には,台風26号による大雨により,伊豆大島などにおいて死亡者が多数に及び,依然として多くの人々の安否が不明であることから,お誕生日祝賀の宮殿行事の全てをお取り止めになりました。
≫(宮内庁公式HPより)
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