http://www.asyura2.com/13/senkyo156/msg/583.html
Tweet |
2013.11.18(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39160
10月31日、赤坂御苑で行われた園遊会で山本太郎参議院議員が、天皇に手紙を手渡すという前代未聞の出来事が起こった。
『週刊新潮』(11月14日号)によると、山本議員は、園遊会直後の会見で手紙の中身ついて、次のように説明したそうだ。
「現状をお伝えするという内容ですね。例えば今、子どもたちの被曝、この先、進んでいくと本当に健康被害がたくさん出てしまうということですね。それだけでなく、食品の安全基準という部分でもすごく危険な部分があるんです。という話だとか、あとやっぱり、原発の収束作業員ですね」
「被曝労働者、収束作業に関わっている人たちが、最初、東電というところに8万円の労賃が入るんですが、結局、最下層の下請けからお金をもらう人たちは、数千円しかもらえていないと。高線量エリアで命を懸けて労働してくれている方々は常に切り捨てられている存在であります。というような現状を書いたという覚えがあります」
マスコミに政治利用にされたと反論
同誌によると、「手紙には、陛下への“メッセージ”が書かれていたと聞いています。“天皇陛下のお力で日本の全原発を廃炉にしてください”との主張が記されていた」(宮内庁関係者)という。
これが事実なら、天皇に原発廃炉という政治的行動を要請したということになる。
憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めている。国政に関する権能を持たない天皇に、国政に関与することを求めたのが山本議員の手紙なのである。この重大さをまったく理解していない。
山本議員は、参院議院運営委員会の岩城光英委員長から事情聴取されたのに対し、「『政治利用との意識はあるのか』ということだったが、政治利用もなにも僕は直接陛下にお手紙を渡して、僕と陛下とその周りの方々しか分からないことだと思っていたが、このようにマスコミが騒ぐことによって、政治利用にされてしまうということだ」と語ったという。
この発言にも事の本質が分かっていない、ということがはっきり表れていた。「政治利用」というのは、テレビや新聞、週刊誌などマスコミが騒ぐことだと思っているのだ。マスコミが騒ぐかどうかなど「政治利用」と何の関係もない。
(その後、山本議員は参議院議長から厳しい注意を受け、「僕自身の認識、思慮深さという部分で足りない部分があった」と反省の弁を述べた)
憲法に忠実な天皇の行動
ただ間違いではないが、「政治利用」という批判も的を射ていないように思う。
今回のケースは、単なる「政治利用」などではない。現実に、政治的に何らの効果もなかった。「政治利用」というのは、もっと巧みなものだ。非常識ではあるが、単なる失敗パフォーマンスに過ぎない。
より重大なことは、山本議員の無知なるがゆえなのか、それとも氏特有のパフォーマーぶりなのか分からないが、まるで天皇を絶対権力者であるかのように錯覚し、憲法上、政治に関わってはならない天皇を政治に関わらせようとしたことである。山本議員が天皇制をどう思っているのか知らないが、今回の行動ぐらい天皇にとって迷惑な行為はないであろう。
かつて東京都の教育委員をしていた米長邦雄氏が、やはり園遊会の席で天皇に対して、「日本中の学校に、日の丸を掲げて君が代を歌わせるのが私の仕事でございます」と述べたのに対して、天皇は間髪入れずに、「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言された。
学校現場での日の丸掲揚や君が代斉唱をめぐっては、起立や斉唱をしなかった教師に対して、教育委員会から処分が下され、裁判に持ち込まれる案件が続発しているなかで、この渦中には入ってはならないという判断があったのでは、と私は推察する。
「国政に関する権能を有しない」という憲法の規定を最も忠実に守ってこられたのが、天皇なのである。
天皇「元首」化への疑問
自民党をはじめとして、いま様々な憲法改正案が提案されている。その多くは「天皇元首化」を提案している。改正案の中には、現憲法と同様に「国政に関する権能を有しない」と明記しているものもあれば、そうでないものもある。
元首化を主張する改憲派の人々は、現憲法では「天皇は象徴にすぎない」と批判している。だがそうだろうか。私には、「象徴」という言葉が、「すぎない」と言うほど軽いものとは思えない。むしろ「元首」などという世俗的な立場を超越した存在意義を与えていると思う。事実、元首は政界中に数多存在するが、「象徴」はそうではない。
天皇にとって何よりも重要なことは、連綿として続いてきた皇祖皇宗の伝統とその秩序を守り抜くことである。そのためには、政治に関与しないことが何よりも肝要である。
昭和天皇の時代には、それが危機に瀕した。この轍を踏んではならない。山本議員の軽率な行動を見て、天皇と政治ということを改めて考えさせられた。
共産党はなぜ山本議員に甘いのか
不思議なのは、山本議員に対する共産党の対応である。山本議員への懲罰をどうするかをめぐって、参議院議員運営委員会理事会で共産党の仁比聡平理事は、「山本議員の振る舞いは、常識を欠き、不適切であるが、憲法、国会法の懲罰事由にはあたらない。これ以上、ことを進める必要はない」という態度を表明している。護憲を売り物にする政党とは思えない。
いまでこそ天皇制との共存路線を取っている共産党だが、かつては「天皇制打倒」が大きな旗印であった。現憲法が制定される際、唯一政党として反対した共産党だったが、最大の反対理由の1つが天皇制が残されることだった。
旧綱領では、「天皇の地位についての条項などわが党が民主主義的変革を徹底する立場から提起した『人民共和国憲法草案』の方向に反する反動的なものをのこしている」「天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした。天皇はアメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具となっている」とまで述べていた。
ではなぜその共産党が天皇制との共存路線に転換したのか。理由は簡単で、「天皇制打倒(党綱領では「君主制を廃止」と規定していた)」などという方針は、まったく国民に受け入れられないからだ。大転換には、それ相応の理屈付けが必要になってくる。
綱領改定の際の不破哲三氏の発言を見てみよう。「主権在民の原則を明確にしている日本は、国会制度として君主制の国には属しません。(中略)天皇が君主だとはいえないわけであります。実際、憲法第4条は、天皇の権能について、『天皇は、国政に関する権能を有しない』ことを明記しています」と述べ、そもそも君主制ではなかったと結論付けている。旧綱領の「君主制の廃止」は、そもそも存在しないものを「廃止」しようとしていたわけである。旧綱領は約40年間活用されてきたものだが、あっさりと放擲されてしまったのだ。
こうして出来上がった現在の綱領では、「(現憲法の制定によって)日本の政治史上初めて、国民多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった」と現憲法を革命的な憲法として絶賛するに至るのである。
180度どころか、360度回ってもう一度180度回るぐらいの大転換を、党内のさしたる議論もなくごくあっさりと成し遂げたのである。この党の自画自賛する際、よく使う言葉に「一貫して」というのがあるが、一貫性のかけらもない。
この大転換のよりどころとなったのが、憲法第4条である。そしてこの条項の重要さを微塵も理解せず、天皇に政治的権能の発揮を求めたのが山本議員である。
もちろん、そんなことは不可能なのだが。共産党こそ自民党よりも激怒すべきなのではなかったのか。山本議員が反原発派だからというのでは、首尾一貫した態度とは到底言えまい。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK156掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。