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「官僚機構が小沢氏を忌避する理由」(EJ第3676号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/380603820.html
2013年11月20日 Electronic Journal
政治家と官僚──表面的にみれば、政治家が主人で官僚はその
部下という体裁を保っています。大臣と事務次官、官房長官と官
房副長官(事務)──事務次官は各省庁のトップであり、官房副
長官(事務)は内閣における官僚のトップですが、どのように考
えても、政治家である大臣や官房長官の方が偉そうに見えます。
しかし、実質的にどちらが権限を持っているかというと、事務
次官や官房副長官(事務)の方なのです。官僚の人事にしても予
算についても官僚機構が実質的に権限を握っており、彼らの協力
なしには大臣といえども何もできないのです。それが現在の日本
の政治の実態なのです。
自民党は、長い年月の間に強大な官僚機構と権力を棲み分ける
ことによって政権維持を図ってきた政党なのです。政治家は選挙
によって必然的に頻繁に出入りがありますが、官僚は同じ部署に
長くいて、変わらないのです。そうなると、実質的な行政の主導
権は官僚機構が握ることになります。この構図はどう考えても官
僚機構の方が有利です。そこで官僚機構は、「名を捨てて実を取
る」ことで、実質的な権限を握ったのです。
さらに事務次官などを経験したキャリア官僚の多くが、選挙に
立候補し、政治家になります。そうすると、政治家になっても最
終的には出身省庁との関係を良くしたいので、必然的に官僚機構
寄りの政治家が増えることになります。このように、どのように
あがいても官僚機構の方が政治家よりも優位に立ちます。
しかし、どの省庁を見ても大臣がおり、事務次官はその省庁の
実質的な行政権を握っているものの、大臣は無視できない存在で
す。きわめて稀なことではあるものの、優れた大臣によってはそ
の省庁全体が大臣の指揮の下に一体化し、実のある行政を成し遂
げることもあるのです。
しかし、官僚機構としては、政治家には絶対に譲れないものが
あるのです。とくに「人事」と「予算」は、基本的には政治家に
は踏み込ませたくない不可侵の領域です。人事や予算は権力の源
泉であるからです。
そして、捜査権と公訴権を持つ検察庁には事実上大臣の力が及
ばないようにし、司法は三権分立を盾に完全に独立し、不可侵領
域にするなど、巧妙な仕組みを官僚機構は構築しています。
その中枢部署が法務省と最高裁判所なのです。法務省の特殊性
については既に詳しくご紹介していますが、日本の原発問題の核
心をえぐる話題の小説『原発ホワイトアウト』で、実に巧みに法
務省の特殊性について述べている部分があるので、それをご紹介
することにします。この本の著者の若杉冽氏は、ペンネームです
が、現在も霞が関に勤務する現役官僚です。
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霞が関のなかで検察庁は異色の存在である。組織上は法務省の
外局という形を取っている。しかし、検事総長など幹部につい
ては法務大臣の人事権も及ばず、内閣が任免することになって
いる。大臣や副大臣と同様、天皇陛下の認証官であり、皇居正
殿松の間で、陛下から直接お言葉をかけられる。そして、検事
総長の給与は法務大臣と同額。各省庁の事務次官より明らかに
格上の扱いである。そもそも東京大学法学部生であれば現役で
かなりの確率で合格する国家公務員試験と違い、検察官は超難
関の司法試験に合格しなければならない。国家公務員T種試験
に合格したキャリア官僚が世間相場で言うエリートだとすれば
検察官はエリート中のエリートと言っても過言ではない。
──若杉冽著『原発ホワイトアウト』/講談社
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小沢一郎氏は、1993年に自民党を離党した頃から、こうい
う官僚がはびこる官僚主導の政治を改革し、政治を国民の手に取
り戻す政治家主導の政治にしようとして、次の2つのことの実現
を目指したのです。
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1.政府委員制度を廃止し、国会法改正などを実現する
2.政治の官僚支配の牙城である内閣法制局を廃止する
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政府委員といっても、ピンとこない人が多いと思います。この
制度は、戦前の帝国憲法のときからあったのですが、戦後の日本
国憲法でも維持された制度です。国会法第69条では、国務大臣
を補佐するため、内閣が議長の承認を得て政府委員を任命するこ
とを認めていたのです。
つまり、国会の審議において、国務大臣に代わり政府職員(官
僚)が答弁することが当時は許されていたのです。そのため、各
省庁の局長級約300人がこれに任命されていたのです。
これでは、実務を熟知している官僚の答弁が多くなり、その内
容は、当然官僚機構の権益を守るものになってしまいます。その
ため小沢氏はこれを廃止しようとしたのです。しかし、当時小沢
氏は野党の自由党代表であり、自らが主導して、実現させること
はできなかったのです。
当時自民党は与党に復帰したものの、橋本政権が1996年の
参院選で敗北して小渕政権に代わり、野党との連立は不可避の状
況にあったのです。自公連立ができる前の話です。小沢自由党に
チャンスが到来したのです。
こうして自自連立が実現したのですが、当然小沢氏は前記2つ
の実現を自民党に求めたのです。「2」に関しては逡巡した自民
党だったのですが、「1」に関しては合意が成立し、1999年
から「1」については実施されています。
これにより政府委員制度は廃止され、大臣、副大臣(認証官)
政務官の現在の体制になったのです。これは小沢氏の力で実現し
たのですが、そのことを知る国民は非常に少ないと思います。し
かし、官僚機構は小沢一郎という政治家に対して、強い警戒心を
持つようになったのです。「もし、小沢が天下を取ったら、大変
なことになる」と考えても不思議はないでしょう。問題は「2」
の実現です。 ─── [自民党でいいのか/98]
≪画像および関連情報≫
●政府委員制度とは何か/ウィキペディア
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明治時代の帝国議会開設以来、議会における議員から政府に
対する質問には、国務大臣のほか政府職員が、「政府委員」
(大日本帝国憲法54条)として答弁に当たった。この政府
委員制度は、日本国憲法の下における国会でも維持された。
国会法第69条では、国務大臣を補佐するため、内閣が議長
の承認を得て政府委員を任命することを認めており、各省庁
の局長級約300名がこれに任命されていた。国会の委員会
審議においては、細目詳細にわたる具体的な問題から重要な
問題まで、多くの答弁が「その件につきましては政府委員か
ら答弁させます」という大臣の一言で政府委員によって行わ
れた。この、大臣に代わって政府委員が答弁することこそ、
大臣が政策を勉強しない理由の一つともされた。このように
政府委員制度の存在自体が、官僚主導政治と国会における審
議低調の一因と目されるようになった。そこで、1999年
に成立した国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システ
ムの確立に関する法律により、2001年から政府委員制度
が廃止されるとともに、副大臣・大臣政務官制度が新設され
ることとなった。これは当時の政治行政改革気運の高まりを
受けた制度改正であり、国会における審議の活性化と、政治
主導の政策決定システムの確立が期待された。
http://bit.ly/I0hNTw
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