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細川元首相が説く倫理は、安倍・石破に一欠片もない政治家の生命線だ!
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2013.11/18 ハイヒール女の痛快日記
はじめまして!東京ルミックスです。
ローファーを履いてた一週間はブログも途切れた?!
石破茂幹事長は、原発の新設について「再生可能エネルギーの比率が上がってもなお、エネルギー安全保障の観点から、原発を新設することを全面否定することにはならない」と述べ、否定しない考えを示した。更に「新設すべきだと言っているのではなく、安心・安全が最高度に確保された最新鋭の原発を全面否定することには理論的にならない」と説明した。
小泉元首相の「即時原発ゼロ」について安倍と対応を協議する考えを表明。
アホだ!こんな時こそ、小泉に乗じて原発ゼロを適度に肯定するのだ。いずれ流れはソーなるのは自明の理だ。それが出来ないから、力のない党幹事長に成り下がってしまっているのよ。ツーか、棚上げされているのね。そもそも「安心・安全が最高度に確保された最新鋭の原発」って可笑しくない?
そんなに最高の技術を持っていたら事故が起きるなんてあり得ないでしょ!
しかし、現実にメガトン級の下手すりゃ人類滅亡か?ツーくらいの事故が起きてんだから、原発を制御することは不可能ということになるわね。今更、何を言っても原発の安全は誰も担保などできない。それなのに、自民党の連中は原子力村の掌の上から逃れられないのだ。まあ、どっちが逃げたいのか、縋り付きたいのか、その辺りはよく分からんが?
何れにせよ、既得権益とのズブズブの関係から手を切ることは出来ない。
その小泉と連携して「原発ゼロ運動」を推進すると発表した、細川護熙元首相のインタビュー記事が東京新聞に出ていたが。ズバリ今の政治と原発の関係が、如何に危険な状態かを言い当てている。その中で、現在の日本の政治に置き忘れてきた「倫理」という言葉が出て来る。細川氏は、安倍政権が再稼働に向け準備を進め、原発輸出にも積極的なことに以下のように答えている。
細川:核のごみの問題を解決できないままに原発を再稼働してつけを回せば、われわれの世代が、将来世代に対して重罪を犯すことになる。地震や津波は自然災害だが、原発の事故は、日本の文明の在り方を問う「文明災」。倫理の問題だ。日本では政治家も官僚も倫理から逃げている。企業だって、産業廃棄物の処分のメドが立たなければ、工場の操業は許可されない。
ドイツでは、脱原発政策を打ち出す前でも、既存の原発で工事をしたり、新規原発を許可する場合には、核のごみ処理能力の確保を義務づけていた。倫理の観点からだ。福島第一原発事故の後、脱原発方針を決めたのもメルケル首相が設置した首相直属の「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」で、それほど倫理は大切だ。
まさしく、細川の言う通り!日本の政治家に欠けているのは倫理だ!学校の授業では「道徳」や「倫理社会」を蔑ろにする国になってしまった日本だから、倫理やモラルという言葉はとっくに死語になっている。その精神すら継承されてないのだ。
どんな世界でも、法律には抵触してないが、危険と隣り合わせだったり、キワキワの局面でジャッジメントが必要になることがある。そんな時の判断こそ、世俗にまみれた日常を通り越した、その人が持っている倫理感が最終基準になるはずだ。
原発再稼働も倫理に添って考えれば答えはひとつ、原発ゼロが解答だ!
元々、細川は原発推進派だったが、倫理によって導き出された「原発ゼロ」は、小泉劇場のように明快で明解である。倫理は縛り付けられるようなイメージがあるが、同時に人間としての守るべき道でもあり、基本的、普遍的価値を計る行動指針でもある。
謂わばその人の哲学までも含まれてる言葉だと言っていい。
今の日本の政治家にいちばん欠けているのは、既得権益に群がりお金の方から睥睨される、ハイエナのような集団になってしまったことだ。清廉が基本だとも思わないが、人として守るべき道を外してしまえば、悪政にしか成らないのは当然の帰結だ。倫理なき人間は政治家を辞めるべきだ。
倫理によって導き出された結論には、不思議だが人は納得する。
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