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2013年 11月 16日 12:02 安住るり
かつて小沢一郎の「自由党」公認候補として参議院岩手選挙区から政治の道に入った平野達男は、岩手県北上市の貧しい兼業農家の長男として育った。東大農学部を卒業後、農林省の農業土木技官となった。予算担当時代には大蔵省と渡り合う熱血漢だった。
46歳だった2001年、故郷岩手の大物政治家小沢一郎の側近からの要請で、思いがけず、参院選に出馬することになり、小沢の後押しで国会議員となった。
その後、小沢の自由党は、菅・鳩山の民主党と合流したので、平野は民主党議員となり、政権交代で与党となった民主党の中では農業政策通として存在感を増す。2010年9月、菅直人改造内閣では、TPPなどを担当する内閣府副大臣に就任した。
その半年後に、大震災が発生したのである。
人類史上経験のない大規模な複合災害であった。
官邸は、福島の東京電力原子力発電所の事故の対応に追われて混乱の極致にあった。あのような原発事故は、原発を造り続けた自民党時代にまったく想定されていなかったから混乱は当然である。
震災当日の深夜、首相官邸から岩手県沿岸の津波被災地の調査を打診され、翌日平野は現地に飛んだ。
津波の被害は岩手県から延々千葉県にまで及んでいる。こんな大災害は人類文明史上初めてと言っても過言ではあるまい。
沿岸の道路も鉄道も使用不能になったのだから、被災地の様子も把握が難しく、救援体制も当然ながら大混乱していた。
平野は官邸に被災者支援窓口の一本化を進言した。政府は被災者生活支援特別対策本部を設け、平野は事務局長に就任し、縦割りの省庁間の折衝、被災地との連絡、各種業界との交渉にフル回転した。
そんな時、復興担当大臣の松本龍が「放言問題」で突然辞任し、菅総理は平野に復興大臣への就任を要請した。
ところが、小沢周辺から「菅内閣の延命に手を貸すことになる。大臣は断ってください」と言ってきたのだ。
平野は耳を疑った。
政治家平野の大恩人ともいえる小沢一郎の意向ではあるが、一刻の猶予も許されない被災地救援と復興作業を停滞させることはできない。平野は菅内閣の復興担当大臣となった。以後、小沢は連絡を絶った。
ここまでの話は、日経ビジネス2013年11月11日号の「旗手たちのアリア」を参考にした。
菅直人も言っていたが、小沢一郎という人は、自分の意向に逆らった相手からの電話などに、いっさい出なくなるらしい。問答無用である。
かつて浅野史郎が、二期目の宮城県知事選挙に出ようとしていた時に、どの党からの支援も受けないつもりだったが、小沢一郎から呼び出しがかかったので一応会いに行った。
「応援してやる」という。しかし、選挙で助けてもらうと、当選後に必ず「見返り」を要求されるから、どの政党・組織からの支援もお断りしている、と浅野は小沢に言った。
その翌日、小沢は、浅野の対抗馬を立てることを発表した。小沢一郎とは、そういう政治家である。
311の大震災で出身地の岩手県のリアス式沿岸が大被害を受けた時、小沢一郎は被災地に飛んだか? 否。
彼の動向が報道されないことが不思議だったが、のちに夫人が暴露した。放射能から「避難」していたらしい。
菅直人が、不眠不休で原発事故に対応して現地に飛んだりしていた時である。
そして平野達男が被災者支援と被災地復興のために奮闘していた時に、菅内閣の足を引っ張るために、平野の復興大臣就任を邪魔した。
小沢一郎とは、そういうニンゲンである。
安住るり記者のプロフィール
2004年初めからJANJANに記事を出しています。
消えてしまったOhmynews の記事の一部や、PJ News への投稿記事を、ライブドアブログに保存しています。たまに更新します。
【安住るり★興味津々】(http://blog.livedoor.jp/ruri1946/)
1946年宮城県石巻市生まれ 神奈川県逗子市在住 主婦
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