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松本市の手塚英男さん(74)が作った紙芝居「ぼくらは開智国民学校一年生」に、こんな場面がある。
6歳の子どもたちの入学式で校長先生が白い手袋をして当時の道徳の基本「教育勅語」を読み上げる。その後、「日本は神の国です。きっと神風が吹いてアメリカを負かします。天皇陛下のお役に立てるよう励みなさい」と呼び掛ける。
「はい!」。1年生たちは元気に返事をする。手塚さんも「戦争に行ったら天皇陛下の御ために潔く死のうと思いました」。
戦前や戦中、日本では国家が「教育勅語」のような一つの価値観を教え、国民はそれに従うことが求められた。
民主主義下では、多様な価値観の中から自ら選択し、価値を紡いでいくことが求められる。道徳教育とは、子どもたちにさまざまな価値観を提供し、体験などを通して自らが考える力を養っていくことではないだろうか。
文部科学省の有識者会議がきのう、今は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科に格上げする報告書案を示した。同省は中教審の議論を経て2015年度にも教科化する方針という。
教科化とは、検定教科書を使い、子どもたちを評価することだ。国家が価値観を教え込んだかつての時代に逆戻りする恐れがあり、賛成できない。
報告書案は、他教科と同様に民間会社が作成し、国の検定に合格した教科書を用いるのが適当としている。
さまざまな色彩を帯びた教科書を国がどのような基準で検定するというのか。時の政権の意向に沿ったものだけが合格し、そうでない価値観が排除されることになりかねない。
評価も同様だ。他教科のような数値による評定ではなく記述式の評価を求めているが、何が達成目標なのか。どこまで目標に近づいたのかをどう判断するのか、子どもの心の動きを評価できるのか―など多くの疑問がある。子どもを特定の価値観に誘導する危険性もはらんでいる。
道徳の教科化は、第1次安倍晋三政権からの悲願だ。第1次では中教審が教科書検定などに難色を示して見送られた。第2次では、首相直属の教育再生実行会議が、いじめ対策に絡めて提案した。
気になるのは、天皇を元首にしたり、国防軍を創設したりする憲法改正の動きと軌を一にしていることだ。子どもたちに教育勅語と同じ時代を歩かせてはならない。
http://www.shinmai.co.jp/news/20131112/KT131111ETI090009000.php
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