05. 2013年11月11日 10:26:02
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JBpress>日本再生>東奔西走 [東奔西走] 安倍首相は日本のレーガンになれるか (1)財政政策・福祉政策から見た日米比較 2013年11月11日(Mon) 山崎 養世 10月1日、安倍晋三首相が消費税率引き上げを表明した。民主党政権時代に方針が固まったこととはいえ、安倍政権にとって非常に大きな転機となるだろう。 今回は、私なりの安倍政権に対する1つの見方を示したい。「そんなことはあり得ない」「非常識だ」とおっしゃる方もいるであろうことを十分承知のうえで、申し上げる。 安倍首相は、将来「日本のレーガン」と呼ばれる可能性があるのではないか。 強い米国を復活させたレーガン 消費税8%、安倍首相が正式表明 消費税の増税を表明する安倍晋三首相〔AFPBB News〕 米国の偉大な大統領と言えば、日本国民はまずワシントン、リンカーン、あるいはケネディといった名前を思い浮かべるかと思うが、そこでロナルド・レーガン元米大統領(任期:1981-1989)を真っ先に挙げる人はそれほど多くないだろう。 米国では、レーガン元米大統領が「米国史上最も偉大な大統領」に選ばれたという調査がたびたび発表されており、レーガンに対する評価には、日本国民と米国国民の間で著しいギャップがある。レーガンは任期を終えて25年近く経つが、今も米国人が彼を偉大な大統領と見なすのにはもちろんそれなりの理由がある。 レーガンは、強い米国を復活させたのだ。 まず、ソ連との東西冷戦を終わらせた。米国を軍事的に強い国にし、平和をもたらした。その結果、「平和の配当」がITを中心としたテクノロジーに加わり、今まで軍事に投入されていたリソースが経済に入って米国は大きく成長した。 詳しくはこれから数回にわたって述べていくが、一時は日本に世界ナンバーワンの座を譲り渡すほどに弱体化した米国経済が、世界最強の地位を回復する道筋をつけたのがレーガンだ。 そして現在、安倍首相も日本再生を掲げており、安倍首相の今後の評価は、強い日本を復活させることができるかどうかにかかってくるに違いない。安倍首相が現在掲げている政策、あるいは安倍首相がたまたま持っているある種の巡り合わせや運、人間的な特性・人柄を併せ考えると、将来レーガンと似たような評価をされる潜在的な可能性がある。 もちろん、直接選挙で選ばれた米国の大統領と議員内閣制の日本の総理大臣を単純に比較することはできない。日米は軍事的にも地政学的にも全く異なる。しかし、一国のリーダーとして、その相似性や相違を考えていくことには意味があるだろう。 例えば、レーガンが大統領に就任したとき、米国は財政と貿易国際収支ともに「双子の赤字」だった。今、日本は戦後最悪の財政赤字であり、貿易収支も赤字に転落している点が似ている。 そして東西冷戦の真っただ中でレーガンの米国はソ連と対峙した。安倍首相の日本は軍事面での膨張を続ける中国に対しタフなスタンスを取っている点も状況が似ていると言えよう。 共通するのは投資・所得税の減税と消費税の増税 ここで財政政策に注目してみると、安倍首相とレーガンに共通するのは、投資・所得税の減税と消費税の増税だ。 実は米国では、レーガンは投資減税と法人と個人の所得減税を行った大統領として知られている。ちなみに米国では、消費税はもともと高く、財政が悪化したときには10%などに引き上げられた。 日本では今消費税の引き上げが話題になっているが、安倍首相が今打ち出そうとしているのは、むしろ法人税の減税の方だろう。 既に業績の確定したレーガンと異なり、安倍首相はまだ方向性を打ち出したに過ぎず成果はまだ分からないが、アベノミクスにおいて注目したいポイントの1つだ。 「グレートソサエティ」福祉国家の失敗と限界 なぜ企業減税が必要とされたのか、両国の社会状況を辿って考えてみよう。 レーガン以前の、福祉国家建設の失敗レーガン以前の戦後の米国では、アイゼンハワー(任期:1953-1961年)、ケネディ(任期:1961-1963年)、ジョンソン(任期:1963-1969年)元大統領の時代に、福祉国家を意味するグレートソサエティ(偉大な社会)という言葉が作られた。 「米国人は世界一良い人生を送るべきである」と所得補償などを伴う手厚い福祉を謳ったが、この「偉大な社会」の建設は大きく失敗した。 エンタイトルメント(現金給付)といった社会保障上の給付が、結局働かない人々を生んでしまい、単なる失業者にお金をただただ流すだけとなった。中流階級を作るのに失敗し、ソーシャルセキュリティネットが小さいのが米国社会の特徴だ。 一方同じ頃、日本は高度成長を謳歌し、年金制度だけでなく、米国では実現できなかった国民皆健康保険が整備された。「一億総中流」と揶揄されるが、日本国民は強い消費者となり、企業、国民、政府との間に好循環を生んだ。 今のように高齢化が進む前、現役の労働人口が多いときに、将来の大きな給付を約束したことによって安心感を与え、所得の再分配もうまくいった。豊かな消費階層ができて息の長い高度成長が作られた。 しかしこのような日本型の高度福祉社会は、人口が高齢化してくれば、それを支えるだけの税収の伸びが必要とされる。日本特有の問題として指摘できるのは、実は20年前と比べて税収がほとんど伸びていないということだ。 1990年代初めに策定された長期の財政計画では、今頃の日本は100兆円くらいの税収がなければいけないはずなのに、30兆円台にとどまり成長していない。急速な高齢化と、企業が海外に出ていったことによる税収不足により、残った日本人に必要な財源が確保できないという問題が起きている。 ここで日米両国に共通しているのは、それぞれが目指した福祉社会が財政の面で破綻した、あるいは破綻しつつあるということだ。 レーガンは「小さな政府」を目指した レーガンはグレートソサエティとは逆に、「小さな政府」を目指した。経済学者ハイエクを源流としてミルトン・フリードマンによって提唱された自由主義的な経済の考え方に基づき、政府の仕事の範囲を縮小して民間に委ねる方法だ。 また彼は、減税をすることによって税収が増えるとする「ラッファーカーブ」理論を支持していた。 彼の考え方は、当時は非常に馬鹿にされた。税率を下げれば税収は減るではないかという意見に対して、レーガンはこう答えた。 「税金を減らして企業や国民の手元に残るお金が増えれば、それがまた投資に回る。結果として経済が成長するだけでなく、税収も増えて、財政も均衡する」 レーガンの投資・所得減税政策の下、1980年代の米国では不動産、金融、IT・テクノロジーなど広範な分野でベンチャーブーム、そしてシリコンバレーの勃興が起きた。それが今に至る米国経済の新陳代謝を生み、新興企業が世界起業するスピードが上がっていった。 さらに、東西の冷戦を終結させたことによりかつての共産主義国との経済交流が生まれ軍事予算に回っていたお金が様々な産業に投入されて生産性を飛躍的に高めるなど、様々な「平和の配当」があった。 この流れを受け、その後、米国はビル・クリントン元大統領(任期:1993-2001年)の時代である2000年、財政の均衡を一時回復することができた。 1つの条件と、日本の難題 安倍首相も投資・所得減税や産業競争力強化を唱えている。これを実現できるかどうかが、彼が「日本のレーガン」と呼ばれる1つの条件となるだろう。経済を作り上げる企業や投資家といったお金を出す人たちにいかに報いることができるかが重要である。 企業減税をしたことにより民間経済が活発になり、企業税収が大きく増えて財政が均衡すれば、痛みもなく望ましい形だ。 しかしアベノミクスとレーガノミクスを比較するにあたって、人口、資源、食料など米国とは異なる日本特有の諸問題があることを認識しなければならない。 例えば、米国は今も人口が着実に増加している唯一の先進大国である。米国は今も世界中から人材を引き付ける魅力を持ち、ヒスパニックの人口増加も著しい。人口増加によるパワーを背景に、米国は今後もエネルギー大国化、食糧大国化がさらに進み、産業競争力を回復していくことが予想される。 一方、日本は化石燃料はほとんど輸入に頼っており、周りを海に囲まれた島国で、他国とヨーロッパのように送電網(グリッド)がつながっているわけでもない。 だから原発に対するニーズは強いが、世界の地震の2割が集約すると言われるほどの地震・津波大国で安全性の面では世界的に不利だ。自然エネルギー普及もまだまだこれからである。人口減少を補いながら、このようなエネルギー問題、食糧問題を克服し、いかに日本経済を再建できるかが課題となる。 ちなみに米国ではレーガン時代に、戦前から米国東部の大都市に非常に偏っていた人口と経済活動を全国化することが行われた。各地方から、国内市場にとどまらず直接グローバルマーケットにアクセスできるグローバル経済が形成されていったのだ。 それに対して、今も日本は相変わらず1980年代型の太平洋ベルト地帯中心、東京中心の工業化社会の構造を維持しており、地方がまだ成長の原動力になっていない。 今後、食糧とエネルギーをどのように強い産業にしていくのか。自然エネルギーをどれだけ増やすのか、食料を輸入から輸出へ変えていけるのか、地方経済の生産性をどの程度上げていけるのかが大きな課題となるだろう。 今回は主に財政面について述べてきたが、レーガノミクスの「小さな政府」のポイントは、政府がお金を独占するのではなく、できるだけ多くを民間に渡すということだ。 そのとき大事になるのは金融だ。次回は、レーガノミクスの金融政策に焦点を当てながら、さらに日本のこれからについて考えてみたい。
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