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教育は国の根幹だ。生煮えの議論で一つの方向を出し、前へ突き進むことには疑問を感じる。
文部科学省の有識者会議が、小中学校で教えている「道徳の時間」を教科化すべきだという提言をまとめたことが分かった。
現在は正式な教科ではない。これを教科に格上げし、国が検定した教科書を使うとする内容だ。文科省は2015年度にも導入する方針という。議論が尽くされているのか。
安倍晋三首相の第1次政権時だった06年、愛国心などについて書き込んだ改正教育基本法が成立し、当時設置された教育再生会議は07年に、道徳の教科化を打ち出した。
しかし、数値による評価や検定教科書の使用、専門の教員免許は実現困難とする意見が相次ぎ、この時は見送られた経緯がある。
道徳で成績を評価することについて「人の心は評価すべきではない」という考え方だ。妥当な判断だったといえよう。
今回の提言では、5段階などの数値評価はしないが、記述式で子供の取り組み状況を評価することが適当としている。
評価はするが、評定はしないという折中案なのだろうが、分かりづらい。まず導入ありきという意図があるように思える。
今夏の参院選に勝利し、衆参のねじれが解消したことで、首相は国家安全保障会議(NSC)創設の関連法案、特定秘密保護法案など保守色の濃い政策を次々と出している。
道徳の教科化が唐突に復活したのも、戦後レジームからの脱却を目指す“安倍カラー”が強く反映されたという印象が拭えない。
「徳育」を新たな教科にすることは、一つの価値観の押し付けにつながることも危惧される。戦前の「修身」のような授業をイメージしているのだろうか。
これまでも、いじめによる自殺や体罰といった学校現場での深刻な問題が起きると、「徳育」の充実が論議されてきた。
友達の心身を傷付けたりするのは、もちろんよくないことだ。他人を思いやり、社会のルールは守らなければならない。
だが、そうした規範は学校や家庭、地域社会で生活しながら身に付けていくものではないのか。
悩みながら人間関係を培って、時には文学作品などに触れて人格を形成する。誰もが通る道だ。
提言で教員免許については、道徳に特化した免許は作らず、従来のように担任が道徳の授業を受け持つことで対応するとしている。
検定教科書ができるまでは、文科省が作った「心のノート」などの教材を使うという。しかし、その後に使用する教科書の検定基準をどう決めるのかもはっきりしない。
道徳や倫理、正義感を一人の教師が授業で画一的に教えることには違和感を覚える。全ての教師や親が伝授すべきものだろう。
待ったなしの課題とは思えない。多様な意見を集めて、慎重に議論しなければならない。
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20131110077638.html
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