http://www.asyura2.com/13/senkyo156/msg/120.html
Tweet |
どこの国であれ、「皇族その他の特権階級はおそろしく時代遅れだ」ということは、本当は誰もが、意識的であれ無意識的であれ知っていると思う。
本来なら現代人にとってまったく不必要なものが、なぜか今も存続している。そしてその理由についていろいろなことが言われている。それぞれにそれなりの説得力があるとは思う。
しかしこれから私が書くような理由を、これまではっきりした形で私は耳にした記憶がない。なのでここに投稿して皆さんの反応が見たいと思う。
------------------------------------------------------------------
結論を先に言う。少なくとも日本の場合、皇族がなくならない根本的な理由は、皇族の人々にその勇気がないからだ。
どうだろう、間違っているだろうか?
秋篠宮殿下の「窮屈」「ひつじに生まれてきたら」発言を見れば、事実上の軟禁生活を嫌がっているのは明らか。じゃあなぜ普通の家族にならない?
周りがどんなに騒ごうが、本人たちが一致して「普通の家族になろう」と決心すればすむ話ではないか。しかしそれができない。勇気がないからだ。
彼らが国民を見下して、自分たちの方が優秀だから特別扱いを受けるのは当然、と思っているのなら真正のバカだが、そんなことはまずありえない。
むしろ逆ではないだろうか。自分たちがあまりにも浮世離れしすぎているせいで、一般社会に溶け込む自信がない。差別を受けるかもしれない。苛められるかもしれない。そういう不安でいっぱいなのではないだろうか。
しかしその不安をなかなか口には出せない。自分たちが皇居という閉鎖的な空間に精神的にも肉体的にも引きこもっている理由が、単なる外部世界への恐怖である、などという不名誉なことは認めたくない。だから家族でそういうことをオープンに話し合うこともできない。そういうことではないだろうか。
そして周囲には、そんな自分たちの「特権的な引きこもり状態」を支持してくれている多くの政治家、官僚、マスコミ、知識人、そして国民が大勢いるわけだから、彼らの期待にそったパフォーマンスを真面目にやっておけば、ほぼ誰からも批判されず、複雑な内面の詮索もされず、つまり臆病な自分自身と向き合わなくて済む。
単なる推測だが、天皇家の子供たちは、周囲から非常に大事に扱われて育つ。学校でも大人が特別に見守ってくれている。だから大っぴらに苛められることはない。
しかし一方、育ちが違う同級生となかなか波長が合わず、何となく遠ざけられたりして、さまざまな寂しさ、惨めさ、屈辱感を味わうことも多々あるのではないか。本当は自分がただの凡人で、特別な才能なんか何もないにも関わらず、特別視されることの辛さは相当なものではないか。
学校でそういう辛さ、悲しみを経験する一方で、皇居では自分と同じ境遇だからこそ理解し合える家族がいる。自分たちを理解し、かつ親しくしてくれる役人も複数いる。たまには嫌なこともあるが、周囲の期待どうりに行動すれば、平和に暮らせる。
以上を考慮すれば、やはり、自分たちの心の平安を守るためには、やはり今の特権的な地位を手放すことは難しい、と考えることはある意味自然なことだろう。
周囲の役人も、一般国民のように自己責任で生きることを皇族の人々が羨ましがらないようにいろいろと気をつけて、彼らが「今のままが一番幸せ」と思い込むように、言葉は悪いが幼いころからそれとなく洗脳しているのではないか。
- Re: 皇族がなくならない根本的な理由 鴉 2013/11/08 19:24:31
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。