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「反省しない」から一転、謝罪した山本太郎議員
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131107-00000002-tospoweb-ent
東スポWeb 11月7日(木)11時13分配信
警察の本気ガードが暴走止めた!! 山本太郎参院議員(38)が秋の園遊会で、天皇陛下に手紙を手渡した“直訴問題”で5日、山本氏が会見を開き「猛省している」と騒動後、初めて陳謝した。1日の騒動直後には、本紙直撃にも反省の色を見せなかった山本氏。それが一転、殊勝な態度で謝罪した背景には、コトの重大さに気付いたこと以上に、警察から24時間警護され「襲撃」や「暗殺」の恐怖が頂点に達していたようだ。
山本氏は5日、午後6時過ぎに記者会見を開き「議運では8日までに出処進退を明らかにするように言われたが『自分自身で職を辞するつもりはない』と答えた。(選挙で投票した)67万人の方々に約束したことがある」と議員辞職する意思はないことを示した。
そのうえで「僕が陛下にお手紙を渡すことで大きな騒ぎとなった。猛省しているのは陛下のごしんきん(お心)を悩ませていることで、そのことには猛省、今も猛省している」と、政治利用の意図はなかったというものの、結果的に陛下を政治に巻き込んでしまった行為に反省の弁を繰り返した。
当初は、この日の午前中に参院議員運営委員会が開かれ、山本氏への処分が下ってから、正午に会見を開く予定だった。ところが、議運は山本氏や、参議院に渡航申請が却下されたのに強行訪朝したアントニオ猪木参院議員(70)の処分問題とも違う案件で紛糾。正午までに山本氏への処分は出なかった。山本氏は再度、岩城光英委員長(63)に呼び出され、出処進退を問いただされ、結論は先送りとなった。
議運での処分が出ない以上、会見を開く意味はないと思われたが、山本氏は議運の事情聴取後に会見を開催。これは「とにかく謝罪する必要があった」(関係者)との思惑が働いたようだ。
1日の問題発覚直後、山本氏は本紙に、陛下に手紙を片手で渡した点の非礼こそ認めたが、「現状を知ってもらいたいという気持ちがあふれた」と自身の行為の正当性を主張し、反省の弁はなかった。それが心変わりしたのはなぜなのか。
事態が変わったのは1日夜だ。山本氏は警察から警備対象者に指定され、暗殺や襲撃などの不測の事態に備え、24時間態勢で警備がピッタリ張り付くようになったのだ。
2日の東京・葛飾区議選の街頭応援演説でも警官が厳重にガード。外出先の予定も、細かく警察へ報告しなくてはならなくなった。
それだけではない。同日京都で行われた山本氏に近い関係者だけの会合では、フリー記者らにツイッターで「暴力団系右翼が襲撃に向かった」「愛知の暴力団系組織が京都入りした」と書き立てられたこともあり、部外者とみられる男が押しかける騒動も起きた。
山本氏といえば、先の選挙中には、原子力ムラやアンチ派からの襲撃予告や殺人予告で身の危険を懸念していたが、当時と比較しても警戒レベルは数段、しかも一気に跳ね上がった。その結果、ここ数日は周囲の関係者も含め「いつ襲われてもおかしくないということか?」と常に張り詰めた空気に包まれていた。
参院議員会館前では、右派系団体が連日「山本議員は辞職せよ」とシュプレヒコールを上げた。こうなると「一刻も早く陛下への不敬な振る舞いを正式に謝罪するしかない」と山本氏のみならず周囲の関係者が痛感するのも無理はない。
山本氏が「園遊会という場に対しての認識、思慮が足りなかった部分がある。議員の方々や周りの方々にいろいろ教えてもらった。国権の最高機関の一員として、強い認識が必要だった…。浅はかだった」と反省の言葉を並べたのも当然だった。
気になる山本氏の処分については8日、議運が協議する予定。1日の段階では「反省どころか開き直っている」と非難する声もあったが「(山本氏の)会見等も踏まえて、対応を協議したい」と“猛省”した点も加味され、最終的には口頭での注意処分にとどまるというのが大方の見方だ。
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