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昨日、シアターキノで、映画『ハンナ・アーレント』の試写を見た。 深く考えさせらえる秀作である。 この映画は、彼女の『イェルサレムのアイヒマン』をめぐる葛藤を描いている。 今年の講義や最近出した教科書でも、アイヒマン問題は結構力を入れて話したので、余計感銘を受けた。 そして、最近『東洋経済』に書いた時評でも、この問題に言及している。 ちなみに、きのう一緒に試写を見た吉田徹氏によれば、鈴木寛さんが熟議に最もなじもうとしない困った人間類型として、「アイヒマン的中間管理職」という言葉を使っているそう。東洋経済の読者にはどれくらい伝わったのだろうか。10月31日記
10月15日からようやく臨時国会が始まる。福島第一原発をめぐる様々な難問の処理、消費税率引き上げに伴う社会保障と経済対策、TPPをめぐる対応など、政策面では日本の命運を左右する重要課題が山積している。野党の奮起で議論を深めてほしいというのが、新聞社説のパターンだろう。しかし、野党の内部には様々な問題があり、政府を厳しく追及する以前の段階である。日本の政党政治は奇妙な安定状態に陥り、問題解決はおろか、国民が直面している問題の実相を明らかにすることさえおぼつかない。その根底には、国民自身が政治に対する期待や希望を放棄し、諦念とある種の満足の中に停滞しているという現実があるように思える。
たとえば、10月初旬に朝日新聞が行った世論調査は、民意が諦観の域に入っていることを物語る。内閣支持率は56%で前月とほぼ同じで、その理由としては政策面がよいというのが53%と最多である。個別政策について、消費税率引き上げを評価するのは過半数の51%となっている。また、復興法人税の廃止については反対が56%と賛成の2倍以上である一方、企業優遇の経済政策で雇用や賃金が改善されると思う人は21%、思わない人は63%となっている。さらに、福島第一原発の現状をコントロールされているという首相発言については、そう思わない人が76%に上っている。オリンピックと震災復興の関係では、復興が後回しになるという人が46%で弾みがつくと答えた37%を大きく上回っている。
安倍政権が進める企業優遇の経済政策が自分たちの生活に恩恵を及ぼすなどという幻想は抱かず、原発事故の処理も依然としてなすすべなしという現状を厳しく見抜き、増税にも応じて負担する覚悟を持ち、それにもかかわらずこの政権は支持するというのが民意である。
国民は、自分たちの仕事や賃金の改善とは全く別の世界に、「国益」があると考え、国益のためには企業が優遇されることも、大衆が増税で負担増を強いられることも仕方ないと思っている。自分たちにとって不利になる政策がよいから政権を支持するというのはそういう論理である。国の最高指導者が意図的かどうかは別にして、嘘をついていることも分かっているが、だからといってそれを咎める気にはなれない。
このような民意の下では、野党が何を言っても、受けない。当分、ひょっとすると前回書いたように、オリンピックまでの数年間は、野党は人気や受けなど一切考えずに、黙々と政策を考え、国民的な多幸症(euphoria)に水をかけるという、嫌われ役を引き受けなければならない。 ただ、国民の判断力や政策選択の能力に対して、一切希望を捨てるというのも、短慮というものである。
今年度の前半、「あまちゃん」と「半沢直樹」という2つのドラマが大ヒットして、話題になった。私も少し見たが、大人気の理由はわかる。あまちゃんでは、地元がキーワードとなっており、それは人々が地域コミュニティに好感を持っていることの表れである。実際には都会で生まれ育った人間が多数を占め、故郷は人口減で崩壊する一方だが、豊かな自然と人間の結びつきがあるコミュニティは郷愁を誘う。 半沢直樹は、正義感へのあこがれの表現である。私は同じ作者の『ロスジェネの逆襲』という本を読んだが、意外なほど感心した。これは官僚組織の無責任体系に対して、個人がどのように倫理を貫き、責任を果たすかという問いに対する1つの答えである。
やや大げさに言えば、ハンナ・アレントが『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)で論じた組織の犯罪と個人の責任を現代の日本人に分かりやすく問いかけた小説だと思った。アイヒマンとは、ナチスによるユダヤ人虐殺において、ユダヤ人の強制収容所への輸送作業の責任者を務めた。戦後イスラエルに捕えられ裁判にかけられ、処刑された。アイヒマン自身は、自分は官僚組織の1個の歯車であり、上からの指示を実行しただけだと抗弁したが、それは認められなかった。アレントはアイヒマンの罪について、陳腐な悪と表現している。
アイヒマン問題は、殺伐とした世界だけでなく、不良債権や原発事故など、日常の組織活動に付きまとう。半沢直樹は、組織の中でそもそも自分が何のために仕事をしているのかを自分の頭で考え、本来なすべきことのために体を張ったから、人々の支持を得た。 コミュニティを大事にするなら、TPP問題についても、成長以外の価値観に照らして再考しなければならない。5品目について関税撤廃ということになれば、あまちゃん的な世界は消滅する。ここでは詳論する余裕がないが、農林漁業がグローバル競争に乗り出すなど、都会人の幻想である。半沢直樹にみんなが憧れるなら、みずほ銀行の腐敗はもとより、汚染水の垂れ流しや東電への無節操な公的資金投入などのインチキについて、様々な現場から情報提供や改革提言がもっと出てこなければおかしい。若杉冽の『原発ホワイトアウト』は例外かもしれない。
人々が政治に関して深い諦念に沈むということは、この種のメッセージを持ったドラマがちょっと感激する暇つぶしにとどまっているということである。そんな人々は、家でドラマに感動しても、役所や会社に行ったら陳腐な悪の一翼を担うのだろう。 しかし、ここで絶望するわけには行かない。地域の持続可能性に対する関心や組織の愚行を止めるための個人としての役割について考える経験を持つことを、家の中から社会に引き出すことこそ、政治家の仕事である。今すぐ何とかなるという話ではない。ただ、汚染水への対処の実態がさらに明らかになり、世界中の非難を浴びるようになれば、また消費税率引き上げが実現し、懐が痛むようになれば、人々の意識も変わり始めるだろう。それまで、世間で無視されても、野党もメディアも、おかしいことをおかしいと言い続けなければならない。
週刊東洋経済10月26日号
http://yamaguchijiro.com/?eid=1185
改行挿入:ダイナモ
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