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2013年11月 4日
前回エントリー「山本太郎バッシング」については、園遊会における山本氏による直訴行為(手紙の手渡し)の是非をピックアップするつもりは毛頭なかった。
非常に低いレベルで「先祖たちは天皇を政治性から遠ざけていたからだ。」と書いたが、意外にもこれに対してコメントやメールで思わぬ反応があった。
読んでみると、各々に個性的な視点が披瀝されていて、じつに興味深いものだった。
天皇、皇統、皇室については、いつか腹を決めて存念(思うこと)を書いてみたい気持ちはある。
しかし、前回は、山本太郎氏をバッシングする者たちの政治的なスタンスを指摘することが目的だった。
触れる気のない話題に食いついてこられてもという気分である。
とはいっても、山本氏の直訴の相手は、領内のお殿様ではなく、皇祖神武天皇以来連綿として日本の中心にあり続けた天皇なのである。
だから、今回の園遊会における案件を考える際、全く天皇論に触れないわけにもいかなかった面もある。
手に余る話題なので、なるたけ触れたくはなかったが、山本氏が事象的に触れたので、その件を書くときは天皇に全く言及しないわけにもいかなくなった。
世が世であれば打ち首獄門だぞ、みたいな、山本氏を責め立てる文脈を使う人もいるが、これはわずか68年前まで続いた大日本帝国時代であれば、まさにその通りなのである。
だが、それは江戸時代のお白洲(しらす)ではこういう裁きがあったんだぞと言っていることと等しく、“世が世であれば”発言は、今回の一件には不適当である。
神州の泉は山本氏の直訴行為は不適切であり、やるべきではなかったと思う一人ではあるのだが、ここは天皇陛下の大御心(おおみこころ)にお任せして、寛大に扱っていただければと思っている。
自分の立場としては、日本国憲法が敵性憲法であり占領憲法の自己同一性を持つ以上、今回の直訴一件について、天皇条項をこれ見よがしに振りかざす立場にも強い嫌悪感を持つ。
だが、占領憲法ではあっても、また、東京裁判とともに抵抗不可の条件下で施行された憲法であっても、いったん受け入れた以上は、日本国民は順法の義務が生じている。
憲法順守の立場から言えば、天皇条項を口にして天皇の立場を貶めている日本人には強い怒りが生じても言うべき言葉がない。
これがかなり苦しいところだ。
この思いは、安倍ら売国奴たちが起草した米国のための憲法草案とは全く違うものであり、日本民族が日本民族のエートスで創り上げた憲法を早く実現してほしいという一点にある。
現行日本国憲法は良い条文もたくさんあるが、立憲精神が米国という、非日本的エートスで作られているので、日本人には完全に不整合である。
これが分かっていない人があまりにも多いのが、日本が基本で抱えている問題の一つだ。
現行憲法の樹立精神で一番、間違っているのが前文と天皇条項である。
前文の主旨は日本人は諸国民の奴隷であれとしか解釈できない。当時のGHQの正直な思いなのであろう。
日本は二度と国際舞台に出てくるなよ、大人しく引っ込んでいろというのが前文の主旨である。
もう一つだけ言うと、日本国憲法第一条の天皇条項は狂気の産物である。
天皇を日本国と日本国民統合の象徴だと規定するまでは、受けいれる、受け入れないはあるにしても、これが一つの考え方であることは分る。
だが、問題はこの後に続く象徴天皇に付帯するその地位の規定なのである。
「その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ」とあるが、これは日本の歴史を無視した全く非論理的かつ凶暴な条文である。
まさに突飛の二乗と言ってもよい狂気の飛躍がある。
天皇は皇祖神武天皇より代々受け継がれ、今日まで至っている。
日本国憲法が公布された1946年11月3日は、日本の皇統の歴史に変換すると、皇紀2606年である。
ちょっとおたずねしたい。
西暦紀元前660年から、1946年の日本国憲法発布まで2606年の皇統の時間(系譜)があるのだが、この2600年以上に及ぶ膨大な時の中で、日本人はいつから“主権者”になり、いつから“全国民の総意”で、天皇の地位を決めたんですか?
いったい、そういう歴史的事実はどこに記載されているのですか?という当然の疑問が浮かぶのである。
この狂気の論理飛躍を何とも思わず受け入れている日本人はマリファナでも吸い続けているのだろうか?
時は昭和21年、2600年の皇統時間を全面捨象して、なぜ突然に日本国民が主権者となって天皇の地位を決めることができたのだろうか?
これを不思議と感じない多くの日本人は、1946年になったとき、2606年に及ぶ天皇の圧政から、突然の“革命”によって解放されたとでも思っているのだろうか。
じゃあ、当時、フランス革命のようなものが日本で起きていたなら、ジャコバン派のロベスピエールらに相当する革命主体の日本人たちはいったいどういう人たちなんですか?
法律用語に“欺罔(ぎもう)”という言葉があることはつい最近知った。意味は他人をあざむき、騙すことである。
日本国憲法は前文と第一条からして、完全なる欺罔(ぎもう)から成り立つペテン憲法である。
特に天皇の地位に関する規定は欺罔(ぎもう)の最たるものであろう。
嘘と欺罔(ぎもう)で塗り固められた、このような恥ずかしい憲法を後生大事に掲げている人たちの頭の構造は理解しがたい。
気持ちから言えば、なぜいつまでも、日本人の正統性と根拠を持たない、このような自己欺瞞と自己崩壊のベクトルを内蔵した憲法を守っていくのかという大きな疑念は全く止むことはない。
天皇と政治の関係については、深い議論があると思うのだが、神州の泉は天皇を政治的な君主そのものだとカテゴライズする人たちに、一つの見解を申し述べたい。
上述したように、大東亜戦争に敗北したことをもって、フランス・ジャコバン党がブルボン朝と呼ばれた古き絶対王政体制(アンシャン・レジーム)を倒壊した後に新体制に移行したことと、日本国憲法制定が同位相にあると認識している人たちは、2600年続いた天皇の圧政から、現代のジャコバン党・アメリカがやっと解放してくれた。そして、その輝かしい勝利品が現行の日本国憲法だったとでも考えているのだろうか。
そのようにとらえないと、現行憲法を無条件で礼賛する人たちの頭の構造が見えてこないのだ。
大日本帝国時代の天皇が、民を苦しめる大圧政を敷いていたなどという歴史的な事実が一体どこにあるのか?
フランス革命が、絶対王政を覆して庶民の手に政治が移行しさせたという見方は、マルクスの階級闘争史観そのものであり、それは歴史的な事実である。
日本では1946年に、天皇が象徴天皇になり、いつの間にか国民は主権者になっていて、いつの間にかその主権者は総意を持って天皇の地位を定めていた。
いつから国民は天皇より偉くなって権威を持ってしまったというのか。
国民が主権者って、いったいどういうことなのか?
1億2千万個の主権が存在するということか。
日本では当時、誰が主権者になりたいという意思表示をしたのか?
そのような階級闘争史観による王政壊滅を共産党以外の誰が望んだというのか?
だが、日本国憲法を、この分かりやすい階級闘争史観で位置付けている日本人は、日本の歴史の事実や憲法の樹立精神に対し、完全に誠意を欠いていると見なすしかない。
天皇を階級闘争史観で捉える日本人は、歴史観や知的な認識に大きな問題がある。
欧米の統治原則は、ジョン・ロックの「統治二論」やデビッド・ヒュームの経験論的認識論が基になっている。
彼ら二名はともに経験論をベースにしていて、その性格は異なるものの、総論的には同じ地平にある。
戦後の日本人が日本の天皇を政治的に語るとき、彼らの知能や教養程度がどんなに高かろうと、彼らは天皇の存在を、17世紀、18世紀に出てきた西洋近代主義(啓蒙主義)の範疇でしかとらえていないのである。
前回記事に反応した人たちも、その範疇から抜け出ていないように思うのだが、どうだろうか。
神州の泉が申し上げたいことは、皇祖神武天皇以来、2600年の時を超えて存在している皇統の系譜を、たかだか200年前、300年前に出た西洋近代主義の概念だけでとらえ切れるのかという、根っこの認識問題がある。
統治原則という文脈で天皇を見たとき、戦後教育の洗礼を受けた日本人は、所詮ロックやヒュームの認識にたどり着くだけであり、全く的外れな天皇論を展開することになる。
それは、表層的には間違っているとは言えないかもしれないが、欧米のフィルターを通して見る天皇論であり、いびつな日本人論と言えるだろう。
欧米人がそういう見方をするのは当然であるが、その認識は、あたかもハリウッド映画が日本人を描いたときの違和感と同様に、真実ではない。
本ブログの読者さんなら、エートス(ETHOS)という言葉がよく分かっていると思う。
調べると、エートスとはアリストテレスの倫理学で、人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習だそうである。(注:エートスはエエトシこいてそんなことをやるのかという表現とは関係ない。)
また、一般には、ある社会集団・民族を支配する倫理的かつ心的な態度をいう。
神州の泉は、ある集団の行動力学を決定づける知的な熱情という風に理解している。
有名なところでは、日本でよく読まれている『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ウエーバー)にこのエートスがよく出てくる。
確かに民族には特有のエートスがある。
歴史が長い集団ほど、そのエートスは鮮明に浮き出てくる。
これは長い時の中でディアスポーラ(民族離散)などを体験したユダヤ民族などによく出ている。
この限りにおいて、日本人は無自覚ながらも強大なエートスを保持しているのだ。
戦後の日本人は、天皇に対して百人百様のとらえ方があるとは思うが、そのとらえ方こそ個々の日本人の自己同一性と結びついている。
個々の天皇観を究明すれば、戦後の日本人の精神様相が鮮明に浮かび上がってくるだろう。
だから、日本人が天皇を思うとき、天皇を考えるとき、天皇を感じるときは、欧米のエートスではなく、我々のDNAに刻まれているエートスをフル動員して欲しい。
アングロサクソンなどの考え方は、警戒のために知るべきではあるが、絶対にモデルにしてはならない。
日本人のエートスで天皇を認識する作業、それは文化人類学的な文脈においても大いに有益だろう。
日本人個人個人が、天皇を考えることはいつの時代でも重要であり、それは日本人固有の民族アイデンティティを問いかける行為でもある。
日本人は外国人が日本人論をやると、決まってダボハゼのように飛びつく。
この浅ましさを裏返せば、戦後の日本人が、おのれの中から日本が空洞化し、本来の日本を喪失しているからに他ならない。
外国人が日本をどう見ているのか気になって仕方がないのだが、これは忘れてしまった自分の顔を外国人に描写してもらいたいという、言わば帰巣本能に近いものだ。
日本人は東京裁判を受け入れ、現行憲法を受け入れたときから、おのれの顔を見失って、夢遊病者のように漂泊したままなのである。
この漂泊地獄から生還するには、日本人が天皇を正しく認識することも大きな一歩だと思う。
最後に、天皇をフランス・ブルボン王朝とダブらせている愚かな人たちに、偉大な明治大帝の御製を贈る。
圧政の君主がこのような愛情あふれる歌を世に遺すだろうか!?
四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に
など波風の 立ちさわぐらん
https://www.youtube.com/watch?v=K7JkdaU4X8M
四海同胞、平和の祈りを歌にする家柄の古い君主こそ、日本人の大事なよすがであり、誇りなのである。
そのような存在は日本にしかいないのでは?
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