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民主党が公開している次期衆院選の第1次公認内定者(部分)
民主党の混迷は続く〜細野前幹事長はこの期に及んで派閥結成でカネ集め
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37427
2013年11月04日(月)田崎 史郎 :現代ビジネス
民主党は先月末、次期衆院選の第1次公認内定者34人を決定した。
昨年暮れの衆院選後も民主党の衆院小選挙区支部長を続けていた143人の落選組全員を8月末でいったんクビにし、「誰が見てもふさわしい候補」(代表・海江田万里)を選び直した。
選ばれた人たちが本当にふさわしい候補なのかどうかは問うまい。
むしろ注目すべきは公認を申請してきたのが97人にとどまったことだ。つまり、46人がなんらかの理由で次期衆院選に民主党から立候補しないと決断したわけだ。次に立っても当選が難しい人が少なくない。
だが、議員当時、この人なら政治を変える原動力になるだろうという期待を抱かせた人もいる。
■若手はホームページで撤退の理由を語る
森本和義(47)は東大農学部出身で旧東海銀行員から元国家戦略担当相・古川元久の公設秘書を経て、2009年衆院選の愛知15区(豊橋、田原市)で初当選した。
民主党1年生議員による「礎(いしずえ)会」を結成し、若手のまとめ役だった。
地元での活動も熱心に行い、自民党候補に勝てるかもしれないと思われた時期もあった。
彼はホームページで撤退する理由を次のように書いている。
「このたび、公認申請を見送ることを決心しました。政治環境、生活環境ともに2度目(トータルでは3度目)の浪人生活を送ることは難しくなったと判断したためです」
「国と地域、そして、党との間での矛盾やそごをどう解決して政策を実現していくか、そのことに本当にまい進し続けた3年3か月でした。もっともっと仕事がしたかった。また、出来る自信がありました。ただ、生活もあるのが現実ですから、新しい体制を構築するまでは、いったん、最前線から一歩引いてエネルギーを蓄積します」(9月25日付)
もう一人紹介しよう。岡田康裕(38)は東京大学工学部卒業後、ハーバード大学大学院に留学、修士課程修了。
その後、外資系のコンサルタント会社に勤務を経て兵庫10区(加古川、高砂両市など)で09年に初当選したが、昨年暮れ、3度目の落選を喫した。
なかなかの論客でイケメン。話しながら、当選を重ねるならば伸びるだろうと思った。
彼もブログでこう綴っている。
「8月末をもちまして、党兵庫県第10区総支部の総支部長としての立場が自動解任となります。9月以降は党の立場を離れ、ゼロからの再出発となります。3児の父親としての責任を果たしながらとなりますが、感謝の心を胸に、新たな目標へ向けて全力でがんばります」(8月30日付)
■落ちてしまえばタダの人
彼らは現職時代、政治を変えようという情熱をたぎらせ、悪戦苦闘していた。しかし、落ちてしまえばタダの人。選挙の候補者は厳しい試練の連続だ。自民党当選1回議員はこう語る。
「誰彼かまわず、ひたすら頭を下げ続け、言わば一般市民以下の階層です。当選して初めて市民として扱われる」
それに打ち勝って議員バッジを手にするのだが、よほど強い使命感と資金力がなければ継続するのは難しい。
森本や岡田の撤退は経済的な理由だけでないだろうが、政治活動を継続するにはそれなりのカネは要る。彼らに思いを巡らしていたら、民主党前幹事長・細野豪志が唐突に派閥結成に動きだした。
細野の動きは「党内での足場固め」とか「野党再編を主導する狙い」とか報じられたが、それだけではない。
細野は参加を要請した議員にこう説明した。
「今、落選している人たちを少しでもサポートしたい。それにはカネがいる。パーティーを開いて資金を集めたいんだ」
カネ集めか……。しかし、細野は初当選後の2003年春、長妻昭や河村たかし(現名古屋市長)と語らい合い、企業・団体による政党支部への政治献金を拒否し、個人献金に絞る運動を行っている。
初々しかった民主党議員の理想と現実。それは有権者にとっては大いなる期待と、深い失望だった。
彼らにふたたび期待する日は訪れるのだろうか?(敬称略)
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