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山本太郎は平成の田中正造になれるか
http://grnba.web.fc2.com/ (11月1日より)
明治34年12月10日、日比谷において田中正造(栃木県人)は明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴したが、警備の警官に取り押さえられて失敗。しかし、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、足尾鉱毒事件の惨状は広く知れ渡った。
その後、田中正造は財産の全てを鉱毒反対運動に使い果たし、死去したときは無一文だった。死亡時の全財産は信玄袋1つ。中身は書きかけの原稿、鼻紙、川海苔などだった。なお、病死前に、小中の邸宅と田畑は地元の旗川村小中農教会に寄付していた。
本葬は佐野町の惣宗寺で行われ、参列者は数万人とも云われた。田中の遺骨は栃木・群馬・埼玉県の鉱毒被害地計6箇所に分骨され、墓は6箇所にある。
本年9月4日は、田中正造の没後100年にあたる。
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未曽有の国難。日本民族危機存亡の秋に、
山本太郎は天皇陛下に直訴した。
彼は田中正造に匹敵する憂国の志士だ。
直訴状は墨痕鮮やかな筆字。 (その写真)
天皇陛下は気品あふれる穏やかな表情で
その直訴状をパラパラとご覧になられた。
天皇陛下は両手で手紙を侍従長に渡された。侍従長は片手で
引ったくるように受け取ってすぐ懐に入れこんだ。
山本太郎バッシングの動きがあるという。
非情な叩き屋たちに訊きたい。
「諸君らに憂国の情はあるのか?」 と。
「もしもあるなら、見せろ!」 とも。
国の宝であり、希望でもある子供たちを
冷酷無残に捨て置く者どもには…、
山本太郎を責める資格は、ない!
飯山一郎
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