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2013-11-02 07:19:25
山本太郎氏への大バッシングが展開されています。案の定というべきか、「山本太郎が悪い。議員をやめさせろ」の大合唱。週明けの国会は、原発汚染水も、特定秘密保護法問題もそっちのけに、「山本太郎国会」になるのでしょうか。
特定秘密保護法案の審議から目がそらされる結果になるのは、極めて残念なことです。とはいえ山本太郎氏の「やむにやまれぬ気持ち」も、とても大事ではないでしょうか。「原発事故による子どもの健康被害や、事故の収束にあたる作業員の健康状態を知ってもらいたかった」という言葉には、単なるパフォーマンスを超えた切実な思いがこもっているように感じます。
かつて同じように天皇直訴をした、環境問題に先駆的に取り組んだ偉大な人物がいました。田中正造。元衆院議員。足尾銅山の鉱毒に苦しむ農民たちの窮状を知ってもらおうと、田中は明治34年(1901年)、明治天皇の馬車に駆け寄り、訴状を渡そうとして捕えられました。
朝日新聞の本日11月2日の朝刊に、田中正造の研究者の話が掲載(2面)されています。「栃木県の市民大学『田中正造大学』の坂原辰男代表(61)には、環境や住民を顧みず開発を続けた当時の政府と、福島で大きな被害を出しながら原発再稼働を進める現政権が重なる。『善悪の判断は難しいが、正造が生きていたら同じ行動をしたと思う』」と。
何という素晴らしい言葉でしょう。「正造もしたかもしれない」。共産党をはじめ、大方の国会議員が「悪いやつは山本」と、おらび倒すなか、あの田中正造さんに例えるとは。
この問題の本質は、子どもたちや原発事故現場の作業員たちの深刻な健康問題です。重大な問題が進行中であるにもかかわらず、安倍政権をはじめ、国会議員の大多数、新聞をはじめとするマスメディアは、「もう過去の問題」といわんばかり。放置したかのような現実があります。
山本太郎には、それが我慢ならない。許せない。
しかし、山本太郎を批判する根拠が、「天皇の政治利用」にそらされています。安倍首相自身は今年四月、沖縄返還の日を、沖縄県民がこぞって「屈辱の日」として反対しているにもかかわらず、天皇皇后両陛下の出席を求め、「主権回復の日」と銘打ったパフォーマンスに政治利用しました。また、9月にはオリンピック招致に高円宮紀久子様をアルゼンチンのブエノスアイレスまで引っ張り出し、東京への陳情演説に皇族利用しました。
天皇および皇族は、存在すること自体が「政治的な存在」です。フクシマの避難者訪問にしても、避難者のもろもろの不満を和らげる「政治的な意味合い」を持っています。天皇が存在する間は、権力の側が利用するのか、それとも大衆あるいは民衆と呼ばれるひとびとの側に立ってもらうのか。天皇は、決して権力者側の専有物でないことはもちろんです。むしろ、庶民の側に寄り添ってもらってこそ、存在意義があるといえないでしょうか。*天皇制そのものについての議論はさておくとしてです。
安倍政権とそれに同調する勢力は、この際山本太郎をつぶしてしまえ、と集中攻撃を強めるでしょう。山本つぶしが、原発再稼働、原発推進、「もんじゅ」延命に直接つながると見ているからです。
本日のマスメディアの紙面は、読売新聞が社説で「天皇の政治利用に自覚がない」との見出しを立て、「あきれた行動だ」とバッシング一色。朝日新聞は、特集仕立て(2面、36面)で、多角的に取り上げ、山本問題を考える材料を提供していました。どちらがあるべきマスメディアの姿でしょうか。
山本太郎氏を激励しましょう。再び「円形脱毛症」がぶりかえさないように、励ましましょう。
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