http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/666.html
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「消費税増税延期を“確信”してしまった背景と“理解”できる唯一の増税理由:A4GQ7o9O02さんへの回答(その1)」
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/467.html
の続きです。
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■ 国民経済にとって輸出が持つ意味
【A4GQ7o9O02さんの疑念A】
「Aこれまでも、何回か景気が満ち直してきたなと思ったら、財政規律を厳しくせなあかんということで
景気がダウン。同じことを繰り返しています。
外需は、2割程度にすぎないのに
内需の8割で、うまくお金が回っていく方法はないのでしょうか?」
【コメント】
少しずつ抜け出してはいますが、今もって、「何から何まで真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても左を見ても 馬鹿と阿呆の絡み合い」という気分に苛まれているため、レスポンスのペースが遅くなり申し訳ありません。
「財政規律を厳しくせなあかん」という掛け声は、消費税増税を準備したり正当化したりするための常套句でしかなく、“財政規律”の度合いは、銀行の預貸率次第で動くものと見ています。
財務省は、景気が良くなり銀行の貸し出しが増加すれば赤字国債の発行を抑制し、不況で銀行の貸し出しが低迷し資金(預金)の運用難に陥れば、赤字国債の発行でそれを助けるという構図で財政を操作しています。
(05年から07年まで赤字国債の発行が抑制されたのは、02年から始まった戦後最長好況期のピーク期間で、銀行の貸し出しもそこそこ拡大していたからに他なりません。この時期は、今以上にデフレ脱却ができるチャンスがありました。第一次安倍政権はこの時期に重なっていますから、その反省がないのも問題です)
財政政策がこのような構図だからこそ、デフレからの脱却ができない一方で、国民生活が壊滅的に落ち込むこともない「ダラダラのデフレ不況」が続いてきたわけです。
Aで中心の問いかけである「内需の8割で、うまくお金が回っていく方法はないのでしょうか?」についてですが、お金儲けにこだわらず国民意識も変わるならうまくいく方法はあります。しかし、国民意識はともかく、お金儲けを動因とする経済体制である限り、内需だけでうまく回していくのはムリだと思っています。
念のため、景気の善し悪しや経済成長はあくまでもマクロ経済の変動についての貨幣的表現でしかありませんから、国民多数派の懐具合の善し悪しはもちろん、個々人の“生き心地”の善し悪しに直結しているわけではありません。
このような考えを前提に大まかな結論を言うと、外需=輸出を持続的にしっかり増大させながら、それから得られる経済的メリットを国民生活の安定と充実に活用するという循環方式がムリもなくてよいと思っています。
(ここでいう“ムリ”というのは、短期間で金銭欲や物欲を滅却して別の生き方に転換するのは辛く、激しい抵抗もあるだろうという憂慮です)
日本経済のデフレ基調が続いている要因の一つは、輸出増加ペースの鈍化です。
輸出の伸び悩みは、97年の消費税増税をきっかけにデフレ基調に陥ったことが原因とも言えるので、「輸出低迷→デフレ」という一方向的な因果関係というわけではありません。ただ、輸出の伸び悩みが以降のデフレ脱却を妨げている大きな一因であることは間違いありません。
輸出は、輸出財の生産で支払われる給与のほとんどは内需の原資として残る一方で、生産した財は国外に流出しなくなってしまう経済活動ですから、大きなインフレ要因と言えます。
(このよう論理については、外国人観光客の増加も同じだと言えます。外国人観光客は、外国で稼いだお金を持って来日し、日本国内でのサービスにお金を支払ったり、日本国内でモノを買ったりします。輸出と外国人観光客の増加は、直接的に潤う経済主体は違っても、日本経済の成長要因であり、インフレ要因であることに違いはありません)
危険な兆候だと憂慮していますが、(その1)で簡単に触れたように、今回の円安状況でも、輸出数量は増加していません。(今のところはJカーブ効果を持ち出し、もうしばらくしたらという言い訳は成立しますが..)
円安で円ベースでの輸出額が増加しただけで、国際比較の基準であるドルベースで見れば、円高時と較べてもなお輸出は減少しています。
(国内的には大きな意味がありますが、今年のGDP成長の相当部分は、国際基準に照らすと、円安という“水膨れ”に支えられたものです。20%以上も円安が進んだことを考えれば、国際統計の基準であるドルベースでGDP成長率を計ればマイナスになることはおわかりだと思います)
阿修羅でも散見されますが、日本は、韓国と違って輸出依存度が低いから、外需をそれほど気にすることはないといった意見があります。しかし、このような考え方には危うさが潜んでいると思っています。
確かに、日本の対GDP輸出額比率は、韓国の約50%(第24位)に較べると圧倒的に低い約14%(第97位)です。
ちなみに、米国は、日本よりさらに低く約10%(第105位)で、中国は約24%(第99位)です。(※データは2011年)
EU諸国は単一市場を志向していますので、加盟諸国は対GDP輸出比率が高くなっています。EU諸国は、日本の都道府県相互の関係に近い分業が構築される過渡期にあるとも言えます。(※ ドイツの対GDP輸出額比率は約41%(第31位))
韓国の対GDP輸出比率の高さについては、韓国の国内市場が小さいからだと説明されることもありますが、それは転倒した誤った見方だと思っています。
韓国は、輸出で稼いだお金が国民経済の成長に十二分に活かされていないためにGDPの規模が大きくならず、そのために対GDP輸出比率が高止まりしていると考えた方が理に叶っています。
人口5千万人である韓国の国内市場は決して小さいとは言えません。誰が輸出で稼いだお金を握りしめているかについては言いませんが、韓国の一人当たりGDPが日本のおよそ半分の2万2千ドル程度しかなく成長余地がたっぷりあるという事実が、輸出で稼いだお金が国民経済の成長にそれほど貢献していないことを示しています。
日本は、人口規模が5千万人を超える産業国家として4万ドルを超える一人当たりGDP水準を達成していますから、高度経済成長以後増大を続けた輸出の成果を国民経済の成長にうまく活かしてきたと評価することもできます。
しかし、輸出に関する重要なことは、対GDP比率ではなく、輸出の絶対額やその増加動向と考えています。
この観点からデータを見れば、対GDP輸出額比率は低い日本であっても、輸出額そのものは65兆円前後と大きく、世界ランクの第4位を占めています。
(第1位が中国、第2位が米国、第3位がドイツ、韓国は第7位。いわゆるG8は、第12位であるカナダを除き、すべてベストテンに入っています。G8以外でベストテンに入っている国は中国と韓国のみ)
さらに、貿易に関しては、貿易収支の黒字を儲けと考え、その増大を良とする重商主義的考えもありますが、商人国家ではなく産業国家である日本にとっては価値がない考え方です。
(高度成長期はそうでしたが、ドルという国際決済手段の不足に苦しんでいた時代は、ドルの国際借り入れをできるだけ少なくするため、貿易収支の黒字確保がなんとしても必要でした。産業国家にとって、貿易収支の黒字はそれ以上の意味はありません)
日本がデフレ不況から脱するためには、輸出額の持続的な増加にこだわることが決定的に重要です。
しかし、現実の日本の輸出増加動向は、外資導入に依存した輸出増加で成長を続けてきた中国は別格としても、他の先進諸国に較べてさえ低迷しています。
95年を基準に10年の輸出がどれだけ増加しているか比較すると、日本は1.7倍です。
世界全体は3.1倍、米国は2.2倍、ドイツは2.4倍、フランスは1.8倍、韓国は3.7倍、中国は10.6倍となっています。
日本の1.7倍は、悲しいことに、産業の不振が喧伝されて久しい“金融国家”英国と同じ値です。
(90年を基準にした95年の輸出額増加を見ると、日本は1.54倍・米国は1.49倍・ドイツは1.27倍・フランスは1.32倍。英国は1.30倍、韓国は1.92倍、中国は2.40倍です。その期間の日本はほとんどがバブル崩壊過程であり、95年には79円75銭という円高も経験しており、それでも米独を上回る輸出増加を達成していることを考えると、97年消費税増税以降のデフレ不況が輸出の低迷にどれだけ強い影響を与えているかがわかると思います)
貿易収支にはこだわっているわけではありませんが、話題になっている貿易収支の赤字化は、原発稼働停止に伴うLPGの輸入増大や医薬品の輸入増大に帰すべきではなく、輸出増加の低迷が主たる要因と理解すべきです。
日本の輸出が韓国並みとは言いませんが米国並みの2.2倍に増加していれれば、80兆円水準ですから、貿易収支は黒字基調か悪くてもとんとんだったはずです。
(輸出が増大するとそのために必要な財の輸入も増大しますが、日本は15%程度なので、15兆円の輸出増加で増大する輸入は2.2兆円ほどです)
80兆円という輸出額水準はリーマンショック前の07年と08年に達成していますが、他の国々は、リーマンショック後の荒波を経ても2.2倍や3.7倍の伸びを達成していますから、日本の輸出が低迷していることは否めません。
なぜそんなに輸出が重要なのかということになりますが、それは、ずばり、輸出がなければ、近代資本制国民経済は“利潤”を得ることができないからです。
むろん、個々の企業(ミクロ)は競争に勝つことで“利潤”を得ることができます。
綿織物を中心として興った英国の産業革命も、インドという綿織物の巨大市場が外にありかつ支配できる市場であったことが成し遂げられた絶対的要因です。
動力装置を使った機械で効率的に大量生産できたとしても、英国内だけで売らなければならない状況なら、機械設備に投資したお金さえ回収できない結果で終わったはずです。
少量の綿織物を生産するのなら、わざわざ膨大な設備に投資するより、人力に委ねるインド旧来の織物機のほうが“経済的(金銭的)”には効率がいいのです。
これは、自動車を年間数台生産するために、産業用ロボットを生産する“投資効率の悪さ”を考えればわかりやすいと思います。
近代資本制経済は、外なる市場(外需)がなければ成長(=生産性上昇)が持続できない構造になっています。
膨大な生産設備に支えられて実現されている高効率の生産システムは、共同体(国民経済)の需要をはるかに超えた“慢性的過剰生産”を意味しているからです。
その一方で、その過剰で効率的な供給力こそが国際競争力を支えているという矛盾性を孕んでいます。
“過剰生産”を打破できる唯一の方策が輸出であるとともに、輸出こそが、国民経済の成長牽引力であり、生産性を高める研究開発や設備投資の源泉です。
「輸出増加→生産設備増強→輸出増加→・・・・」という成長的循環は、同時に、国内市場により廉価でより高品質の工業製品が供給できる条件でもあるので、そのような歴史的過程を通じて“豊かな国民生活”が実現されることになります。
生産性の上昇に近代資本主義的な意味があるのは、それによって利益が増加するときだけです。
(近代的な意味を求めなければ、生産性の上昇で、働く時間が短くなるとか、より多くの財を手に入れることができるということになりますが、企業活動が儲けを動機としている限りそれはあり得ません)
外との交易がない閉鎖国民経済を想定すれば、企業間の競争は同じ大きさのパイの奪い合いであり、ある企業が“利潤”を得ることは、他の企業の損失を意味するとわかります。そして、“利潤”を獲得した企業は、単純再生産を続けるためだけでもその“利潤”をすべて吐き出さなければならず、追加的な固定資本投資に回すことさえできません。
(いくつの条件をクリアしていれば、政府の赤字財政支出によってある程度カバーすることはできます)
閉鎖国民経済では、創意工夫で達成される生産性の上昇のみが経済成長の牽引力と言えます。
だからこそ、人の知恵で少しずつ生産性を上げていた江戸時代までは、まったりゆったりの経済発展が続いたわけです。
何より問題なのは、外なる市場がなければ、生産性を上昇させる研究開発や設備投資が意味を持たなくなることです。
外との交易がなければ、これまで1千人が働くこと供給できていた財が、生産性の上昇で8百人で供給できるようになることで、2百人が仕事を失うことになります。仕事を失えば、社会保障制度で100%カバーされない限り、総需要は減少します。
輸出の増加がなければ、国内の需要が増加しなければなりませんが、日本のようにコモディティの普及率が高い成熟した先進国でなおかつ名目及び実質の賃金水準が低下している状況でそれを期待することは困難です。ノーマルに考えれば、財政支出に依存しながらなんとか需要を維持するというのが精一杯です。
しかし、50兆円近い赤字財政支出でもデフレという日本経済の実状は、奇妙な言い方をすれば実にすばらしいこととも言えます。
日本は、リーマンショック後の09年から設備投資が除去分(減価償却分)さえ下回るようになりました。これは、日本経済の深層で、追加的な設備投資をしても意味がないと判断されている状況が続いていることを意味します。
追加的設備投資が行われない状況がこのまま続けば、日本は、中国など他の国民経済が生産性を上昇させていくなかで国際競争力を劣化させてゆき、そう遠くない時期に、供給力が低いことを要因とした悪性のインフレに転換します。
このようなかたちでのインフレへの転換は、長い間苦しめられてきたデフレを懐かしむようになるほど過酷な状況を生み出すことになります。
「超長寿命社会」がますます進むことを考えれば、非労働従事者の生活や増大する要介護を支えるため、少ない労働で多くの財を供給ができる高い生産性を持つ供給基盤の構築が必要不可欠です。
生産性上昇の基礎的条件は設備投資の増強です。智恵だけでなく、設備投資の増強が行われなければ、国際競争力も衰え、国内の供給力も低下していきます。競争力のない生産設備が土台にあれば、産業の就業者もじりじりと減少することになります。
供給力が弱まるなかで非労働人口が増えれば、否応なく悪性のインフレに陥ります。生活に必要な財は、輸入でなんとか賄えるでしょうが、それ自体が「国内インフレ率アップ→円安進行→輸入インフレ亢進→国内インフレ率アップ→」という悪循環に拍車をかけることでもあります。
供給過多で重要が少ないデフレなのに供給力を高めようとする政策は間違っているという意見もありますが、それこそ誤った考えです。
(財の供給量と人々が労働に従事し賃金を得る供給活動をごちゃごちゃに考えていることが誤りの一因と言えますが、その問題はここでは触れません)
生産性を高め供給力を増強する政策は極めて重要です。生産性の高さこそが実質賃金の引き上げの源泉です。生産性の上昇がないまま賃金を引き上げても、実質の賃金アップにはならず、そのうち、悪性のインフレに陥ることになるます。
問題は、生産性を高めた成果をどう国民経済全体の底上げにどう活用するかということなのです。
生産性の高さは国際競争力の高さを同時に意味しますから、それでこそ輸出の増加も達成することができます。
安倍政権は、税制を駆使して、研究開発や設備投資の増大や賃金の引き上げを目指していますが、研究開発の増大はしばらくあるでしょうが、設備投資の増大や賃金の引き上げは、輸出の増加やそれを牽引力とする国内需要の増加が実現されない限り難しいと考えています。
ここで説明した輸出と国民経済の関係は、グローバル企業という“脱国民経済”の存在が力をもったことであまり取り沙汰されなくなっていますが、本質的な論理は変わっていません。
(マクロ分析をベースにするケインズ派的経済学が退潮した原因も、グローバル企業の跋扈や国際金融家の台頭にあると思っています)
グローバル企業は、得られる場所(国家)にはこだわらず、より大きな“利潤”がよりスムーズに得られるかどうかを判断の基準にして、様々な機能をいろいろな国民経済に分散配置しています。グローバル企業のそのような動きを唆しているのが、国際金融家を頂点とする投資家です。
グローバル企業はそれでいいのでしょうが、ある国家の国民として生き続けることが大半である一般人には“逃げ場”がありません。
敗戦後の混乱期から始まり高度成長期を通じて、国家国民があげて支えてきたことでグローバル企業の現在の隆盛があるわけですが、新自由主義的グローバリズム経済思想に取り込まれた経営者はその恩義を忘れかけているようです。
政府や日銀の政策は、しょせん枠組みや“呼び水”でしかなく、日本経済を良い意味でも悪い意味でも動かしているのは企業です。企業のなかでも、輸出をはじめ国際的経済活動で“真の利潤”を得ているグローバル企業が日本経済の牽引力です。
輸出や設備投資の重要性がいやというほどわかっている政府は、あさましいほどグローバル企業にすり寄った政策を打ち出していますが、わずかばかりの代償(賃上げ)しか得られない“危険な賭け”ではないかと危惧しています。
(日本国籍の主要有力企業が“脱国民経済”的経営を志向し、政府自身も米国流の自由主義グローバリズムを是としているなか、国民経済を運営するための政策立案は難しいと少し同情はしています(笑))
輸出に関する詳しい説明は、別の機会に経済板で投稿できればと思っています。
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