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2010年、ブラジルを訪問した小泉元総理とルーラ大統領
マスコミは報じない、小泉元総理は原発事故直後から“脱原発”を唱えていた(大貫 康雄)
http://no-border.asia/archives/15941
2013年10月29日 大貫 康雄 :DAILY NOBORDER
小泉純一郎元総理は、総理時代にプルトニウムを燃焼させる「プルサーマル」政策を推進するなどしていた。それが今年に入り、各地で脱原発の発言を繰り返し、報道も増えている。政界引退後に180度変わった発言は、突拍子もないことのように見えるだろう。しかし、小泉氏は東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた2011年に、すでに脱原発を公の場で語り、脱原発の姿勢を取り続けている。その意味では脱原発発言は本気だろう。
小泉氏が脱原発を一過性に終わらせることなく、信念を持って活動するならば、引退した政治家の社会貢献として新しい可能性を示すことになるかもしれない。
小泉氏は、福島第一原発事故から半年後の2011年9月18日、川崎のホテルでの講演で脱原発発言をしている。この時、小泉氏が「国民は原発が安全だと信じなくなった」「(日本は)再生可能エネルギー技術に投資し、環境先進国を目指すべき」などと語ったのを地方紙などが報じている。
また今年8月には、自らフィンランド政府が作る核廃棄物の最終処分場やドイツを訪れ、改めて核廃棄物処分の困難さや“脱原発”の必要性を指摘し、小さく報じられている。
小泉氏の発言がその時の思いつきではなく、本気だとわかってから原子力ムラからの攻撃は強まる一方だ。
安倍総理は総理時代の小泉氏の引き立てがあったからこそ、今日の地位にある。そのためか当初は小泉氏の発言には慎重な言い回しだった。しかし、小泉氏が各地で脱原発の主張を繰り返すようになると批判の口調を強めている。
甘利担当大臣をはじめ安倍内閣の閣僚たちも、あれこれ批判を展開するようになった。原子力ムラの御用マスコミの姿勢を公然と打ち出す読売新聞は社説で小泉氏の姿勢を厳しく批判している。
しかし、小泉氏は政界の一匹狼と言われたくらい一徹な面がある。ひとたび信じ込んだことは、相当大きなことがない限り一貫して主張している。通常の原発以上に危険性の高いプルサーマル政策を推進したほどだから、福島第一原発事故の衝撃がいかに小泉氏の考えを変えたかがわかる。
これまでの原発推進から一転できたのは、原子力ムラとの間に利権関係がなかったからだろうと推測する。引退後だから安易に立場を変えることが出来るというのは浅はかだ。
筆者が特に注目したのは、小泉氏が読売新聞の方針に反論したことだ。戦後日本で大新聞の方針に公然と反論した総理大臣は、筆者の知る限り他に知らない。
小泉氏の最近の言動について、和田千才(Chitose Wada)さんが、今月『THE HUFFINGYON POST』(日本版)に書いているのを読み、思うところがあった。
小泉氏が尊敬する政治家が(“憲政の神様”と言われる)尾崎行雄だから、この歳になって原発推進から一転、反原発に姿勢を変えることができた……という。
尾崎行雄は特に高齢期、軍部が言論を弾圧しながら軍国主義を推進した時代、平和、軍縮を主張し続けた数少ない政治家だった。私は小泉氏の講演を聞いたことがないのでわらないが、和田千才氏によると、小泉氏は「人生の本舞台は常に将来にあり」という尾崎が晩年に到達した信念を講演で紹介することがあるという。
国会近くの憲政記念館内には、この尾崎の言葉を刻んだ石碑があるので訪れることをお薦めする。
尾崎行雄の娘、故・相馬雪花さんは父とほぼ同じ96歳で亡くなられたが、相馬さんは常々、「人生の本舞台は明日にあり」と語っていた。
相馬さんは、日本政府がいわゆるインドシナ難民を受け入れず、門戸を閉ざしていた頃、「政府がやらないのであれば私たち市民がやる!」とヴォランティア団体「インドシナ難民を助ける会」(現AAR・「難民を助ける会」を結成し難民支援や受け入れを日本社会に働きかけた。1979年、相馬さん67歳の時である。
ベトナム戦争後、インドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)から多くのいわゆる「インドシナ難民」が国外脱出をはかり漂流、遭難事故が相次ぎ世界中の問題になった。
難民受け入れを拒否する日本政府の姿勢が批判を浴び、相馬さんにカナダの友人から「日本は冷たい国」と手紙が来たのに衝撃を受けたのが契機だった。以来、亡くなる一カ月前まで難民支援活動の先頭に立っておられた。
また尾崎行雄記念財団を通じ、民主主義社会での有権者の責任、積極的な政治参加の必要性を説き、平和の大切さを呼びかける活動も続けた。
相馬さんには一記者として30年間お付き合いさせて頂いたが、何をするにしても常々「人生の本舞台は明日にあり」と語っていたのを想い出す。
個人的には、小泉政権(竹中担当大臣)下での新自由主義経済政策は、日本社会の貧富の差を拡大し、日本人を長期的に疲弊させる結果になっていると見ている。
しかし尾崎行雄の娘、相馬雪花さんのように、小泉氏が本当に「人生の本舞台は常に将来にあり」を座右の銘に、一過性に終わらせることなく脱原発活動を進めていくならば、政界を退いた後の社会貢献として新しい生き方を示すことになる。
【DNBオリジナル】
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