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2013年10月28日
2012年の日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳で、いずれも前年を上回った。
世界でも長寿国であり、特に女性の寿命が世界最高に位置することは、日本人の和食文化もさることながら、「誰でも」「どこでも」「いつでも」平等な保健医療を受けられることが大きい。
世界を見渡した場合、わが国の保険医療の恩恵は言っても言い尽くせないくらいありがたいものだ。
国民皆保険(こくみんかいほけん)の沿革(えんかく)は、1958年に国民健康保険法が制定されたあと、1961年に全国の市町村で国民健康保険事業が始まったことに端を発している。
これが始まるまでは、日本人の1/3が無保険者だった。
日本が世界に誇る“国民皆保険制度(こくみんかいほけんせいど)”は、日本最大の“共通社会資本”と断定しても決して過言ではない。
共通社会資本とは、簡単に言えば、社会全体にとって共通の財産として管理・運営されるものをいう。
医療崩壊王国の米国を見れば、わが国の保険制度の有り難さが強く身に染みる。
それは、マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』や、ディンゼル・ワシントン主演の映画『ジョンQ-最後の決断』を見ればよく分かる。
一般市民が病気で死んだり、医療経費がかさんで破産したりする者が常態化した米国の、いったいどこが先進国と言えるのだろうか。
医療破綻を放置している米国の外道(げどう)的な多国籍医療カルテルが日本に混合診療の“大解禁”と医療の完全産業化を求めている。
彼らは人間を一人でも多く助けるという人倫も、他者への思いやりも全く持ち合わせず、病気と治療を市場原理主義に合致させた、一つの確実なエマージング・マーケット(新興市場)としか見ていない。
つまり、医療というものを儲けのツールとしか見ていないのだ。
彼らの反倫理性とは、人類を病気から解放することとは正反対に、なるべく多くの疾患者が出ることを願い、あくなき市場拡大を願っている。
人の不幸を儲けにつなげるわけだから、まさに外道としか言いようがない。
彼らは民間保険業界ととともに、アメリカという国の医療市場を食い荒らし荒廃させてしまったが、今度は日本に狙いを定めた。
何度でも言うが、国際金融資本と化した多国籍医療カルテルは人類の外道である。
この外道たちが、竹中平蔵氏や安倍一派という、コンプラドール(売国者)たちを動かして、日本の皆保険制度を破壊しようとしている。
安倍内閣は10月18日、神戸市の「特区」方針を決定したようだ。
医療分野では混合診療の拡大や、外国人医師の業務解禁などを打ち出した。
混合診療の解禁や医療の産業化へ舵を切ったのである。
病気や治療は工業生産品〈商品〉ではない。
医療とは病気や怪我の治療、そして、人類の病(やまい)や死に対する不断的な克服の営為である。
現代医療倫理の根幹を成す患者の生命・健康保護の思想は、古代の「ヒポクラティスの誓い」から普遍・不易である。
これを外道医療カルテルは無価値化し、医療の在り方を金銭的な利潤を得るためだけのシステムに置き換えようとしている。
さて、前々回エントリー「国家戦略特区、国家のグランドデザインがないのに海外投資を呼び込んだら喰われるだけ」で、第一次橋本政権まで続いた、日本固有の護送船団方式時代をざっと概括して、少しだけ私見を述べさせていただいた。
日本が戦前戦後から採用していた護送船団方式の功罪をきちんと理解し、そこに含まれていた良い部分は絶対に残す必要がある、というのが神州の泉の基調的な理解である。
経産省のTPPカルト信者、宗像直子女史に代表されるような政策メンタリティが、現代日本を覆い始めている。
このような現代日本にあって、神州の泉が声を大にして言いたい諺(ことわざ)は、温故知新(おんこちしん)と不易流行(ふえきりゅうこう)である。
温故知新は古いものをたずね求めて新しい事柄を知ることだが、人類の創造的な変化とは、古くから変わらない本質をメタモルフォーゼさせて、発展的に進んでいくことである。
また、不易流行とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことであり、この両者は概念が似ている。
国際日本文化研究センター教授の笠谷和比古(かさや かずひこ)氏の「日本近世史・武家社会論」を参照させてもらうと、日本が産業革命後の欧米に植民地化されなかったのは、江戸時代に築かれていた高度な社会システムがあり、その高度なシステムを支えていたのが“武士道”という求心力だったという説が非常に説得力を持つ。
あの時代、アジア圏で唯一日本だけが産業革命の荒波に対応でき、かつ植民地にならなかったが、それは日本固有の文明体系があったからである。
神州の泉は単純化して、日本古来の村落共同体的社会の持続性という言い方をよく使うが、これは常に有為転変して発展的創造的に変化を繰り返し、江戸時代には高度な社会秩序を築き上げていた。
忘れてならないことは、戦後のある時期まで続いていた護送船団方式は、この社会秩序の発展形態の側面も強く出ていたのである。
以前の記事では、金融業界に護送船団方式が特に顕著に顕れていたと言ったが、この方式は金融や産業界のみならず、医療にも出ていたのである。
それが結実したものが、戦後の日本人があまねく享受している国民皆保険制度である。
不思議なことは、アメリカに頭をやられて護送船団方式を全否定している有識者が、国民皆保険制度を例外扱いして批判しないのはなぜかという話である。
われわれが享受するこの皆保険制度は、典型的な護送船団方式であるにもかかわらず、だ。
一人の例外もなく、病気になったら高度な医療を受診できるのである。
これが護送船団方式でなくて何であろうか。
アメリカに頭をやられている日本人でも、金融・産業界と医療を峻別しているのは、医療が資本主義になじまないからだ。
この大前提を忘却して、外道金融資本に阿諛追従している安倍内閣は亡国の徒輩(とはい)なのである。
国民皆保険制度、この世界に冠たる素晴らしい社会資本を、なぜに新興国家である米国に、それも米国の外道(げどう)多国籍企業によって無効化されなければならないのか。
国家戦略特区とは、日本固有の良いシステムまで完全破壊する、外道国策に他ならない。
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