http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/522.html
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「戦後民主主義者を自認し、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取っている。また、「護憲」の立場から核兵器や憲法第9条についてもエッセイや講演で積極的に言及しており、自衛隊の存在に対しても否定的である。他方、1967年には中国の核実験の成功について賞賛し、キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を「いかにも美しく感動的であった」と評している」
「2003年の自衛隊イラク派遣の際は「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した[8]。2004年には、憲法九条の戦争放棄の理念を守ることを目的として、加藤周一、鶴見俊輔らとともに九条の会を結成し、全国各地で講演会を開いている。2006年に中国社会科学院・外国文学研究所の招きで訪中し、南京大虐殺紀念館などに訪れた。北京大学付属中学校で行われた講演では、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に触れて「日本と日本の若い世代の将来を最大限に損ねるものだ」と述べた。
2012年9月28日には「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題する声明を元長崎市長の本島等、元「世界」編集長の岡本厚ら進歩派の知識人、文化人ら1300人と共同で発表。尖閣諸島も竹島も過去に日本が侵略したものだという立場を示した[9]。尖閣諸島に「領土問題は存在しない」とする日本政府の立場を批判する一方で、台湾の馬英九総統の対話提案を高く評価している」
「1961年、「わがテレビ体験」(『群像』)において以下のように述べている。「結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった」」
「1965年、「二十歳の日本人」において以下のように述べている。「北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない」」
(wikipedia)
部落で左翼で中共・北朝鮮シンパで9条の会。
左翼、エセ文化人の正体が良くわかります。
不定期更新-河童工房('◇')の憤懣本舗から
http://kusanotakasi.iza.ne.jp/blog/entry/2663753/
元ネタ
朝日新聞社に謝罪と賠償を裁判を!検討委員会
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/mass/1330829711/
■大江が過去に発してきたメッセージより
過激な反日知識人をさんざん美化してきたのも朝日新聞の悪質な側面である。
きわめつけは大江健三郎であるが、そういった過激な反日知識人の数は
一人二人ではなく無数にいる。
世界中で、自国を過激に貶める知識人に報道機関が
積極的に発言する場を与える国は日本だけ。
これでは日本がおかしくなるのも無理はない。
大江健三郎は、反体制知識人きどりであるが、とんでもないデタラメ小説家。
こんなとんでもない小説家を朝日新聞は盲目的に持ち上げてきたのである。
北朝鮮や中国をどう評価してきたかも多くの日本人に知ってほしい。
朝日新聞では絶対に報道されない
(以下、大江の中国での活動)
作家の大江健三郎氏が中国の大学で講演したとき
「石原慎太郎氏の東京都知事当選は都民の恥」
と述べたことが4日、中国の官営マスコミで報道された。
大江は9月27日、北京の精華大学で講演、
「自分が今最も気にしているのは日本の最近の国家主義的傾向と
日本が過去の侵略や残虐行為を謝罪していないことだ。」
と語った。
国家主義傾向への批判のなかで石原都知事に言及し
「石原が当選したことは東京都民の恥だ」
と述べたという。
彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与する
ノーベル文学賞を貰う。
しかし日本の文化勲章は辞退。
外国の王室がくれるものはもらうが、日本の皇室が授与するものは辞退する。
典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。
なんら一貫性はない。
また、彼は北朝鮮を賛美、日本人であることを後悔していた。
「原爆が落とされたのは日本人の責任である。」
と主張している。
彼の特徴は、日本国内においては曖昧な言葉でソフトに日本を非難する論調をとる。
が、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を罵ることである。
彼は反日外国人に有り難がられている。
外国人は、自国を悪し様に罵る大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え
チベット・ウイグルなどを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。
そんな中国を非難する言葉などひとことも言うことがないし、
ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や現在も行われている裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を
「恥」
と罵る。
いったい、恥知らずとは誰のことか?
(北朝鮮が核実験を行って間もない時期の発言)
私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、北朝鮮との間に
信頼を作り出す大きな 条件となるのではないか
二十歳の日本人「厳粛な綱渡り」文藝春秋
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
あの写真は感動的であり、 ↑(^▽^笑)ここにも馬鹿まるだし
ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の
未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
「わがテレビ体験」 「群像」昭和36年3月
結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく
気にとめた。
スウィッチをいれる、三十分後、ぼくは新婦を放っておいて、
感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還の
物語だった、
ある日、
ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためて、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る。
このときぼくは
「ああ、なんと酷い話だ。自分には帰るべき朝鮮がない。」
(最大級の( ゚^∀^゚)゚。アーッハハハを送ろうw)
中国についてもいろいろ書き散らかしている。
下記はエッセー。
まるで中国の人民日報のおかかえ作家のようである。
「北京の青年たち」
人民公社の副主任さんは30歳そこそこだが、農民らしさと
美しい意志の強さ、論理の明快さなどのあらわな、農民の指導者
として理想的だと思える顔をし、よく光る明るい目をもっていた。
帝国主義はハリコのトラだ、という言葉を中国の人たちは実に
よく使うが、この副主任さんも次のように独創的な比喩とともに演説した。
『犬がクソを食らう癖はどうしても直せないように、
アメリカ帝国主義の侵略的性質を直すことはできない。』
わかりづらい曲がりくねった論理で日本叩きをしたり中国北朝鮮を
礼賛するのが大江の特徴である。あとでアリバイとなるようにわざと
ぼかして文学的な印象操作をほどこしてるだけw
大江健三郎が広告塔になってる「脱原発」運動の
真の母体?
(1)〜(3)住所、TEL&FAXが同じ
(1)さようなら原●1000万人アクション
⇒URLは検索 NGワードのようです)
(2)原水●●●日本国民会議
(3)平和フォーラム
リンクページ、「当面の活動」欄、注目
リンクページ>外国人参政権(外国人参政権.com実行委員会)
当面の活動>01月28日 朝鮮人強制連行真相調査団全国協議会・東日本(横浜)02月04日・西日本(大阪)
02月01日 わたしたちが使える人権機関を!
市民集会(18:30〜文京区民センター)
02月02日
院内集会「こんな人権委員会は要らない−
私たちが使える人権機関を!」←☆(11:30〜参議員会館)
(この私たちって誰?w なんで議員会館でやってんの?w)
02月14日 朝鮮学校に「高校無償化」実現を!!
院内集会(13:30〜参議員会館)
■小松川高校殺人事件
http://yabusaka.moo.jp/komatukawa.htm
1958年(昭和33年)江戸川区の進学校、小松川高校に通っていた太田芳江さんが
在日朝鮮人の李珍宇によって犯され殺された事件
犯人は犯行後に遺体から遺品を盗り、送りつけ遺族の悲しみを煽ることで楽しみ、
また警察に対しては、自分の犯行を楽しそうに語る電話をかけた
李珍宇はまた、逮捕後に別の女性、田中せつ子さん(当時23才)
を突き飛ばして怪我をさせ、動けなくした所でレイプし、
その後殺害した事を自供した
李珍宇は死刑判決を受けましたが、
「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方ない」
と主張する在日朝鮮人ら数万人の減刑嘆願署名が
集まりました。
時代背景あったにせよ、馬鹿丸出し
反日バカ左翼の大江健三郎が
犯人を無罪にする為署名活動をした
おまけに向井元陸軍中尉の娘さんは大江等の一件が元で離婚された。
大(馬鹿)江にかぎらず彼と同年の、
お馬鹿サヨのいうことは一言一句
おなじなのである。
まるでロボットだ。
※9条の会 左翼 エセ文化人 外国勢力 連帯
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