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2013年10月26日
NHKがなぜ偏向しているのか、
それは、NHKが政治から独立した組織になっていないからである。
戦後民主化の過程でNHKの抜本改革が検討された。
NHKを完全に政治から独立させる試みが進行したのである。
ところが、道半ばにして、改革の動きはとん挫した。
改革を推進したのはGHQである。
しかし、そのGHQが改革を中断し、路線を完全に転換した。
戦後史の最大のポイントがここにある。
日本国憲法に関する論議の歪みも、原因はここにある。
同じGHQであるのに、基本方針が転換した。
部局で表現すると、終戦直後のGHQを主導したのはCS=民政局であったが、後期において主導権を握ったのはG2=参謀2部である。
CS主導の占領政策がG2主導の占領政策に大転換した。
これを占領政策の「逆コース」と呼ぶ。
背景は米国の外交政策の路線転換である。
1947年、トルーマン大統領は「ソ連封じ込め」を外交方針の基礎に据えた。
これに連動して、米国の対日占領政策の基本路線が転換したのである。
日本が敗戦した直後、米国は日本の弱体化を目指した。
同時に、徹底した日本の民主化が追求された。
このなかで、戦後日本の民主化改革が一気に進展した。
財閥解体、農地解放、労働組合育成などの戦後改革が急ピッチで進展された。
このなかで、GHQ主導で日本国憲法が制定された。
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱とする画期的な憲法が起案され、国会論議を経て新憲法が発布された。
日本国憲法が施行されたのは1947年5月だが、ちょうどその直前に米国の外交方針が大転換した。
冷戦時代への移行である。
米国の対日占領政策の基本は、「民主化」から「反共化」に大転換した。
分かりやすく表現すれば、「非民主化」に基本路線が転換されたのである。
同時に深刻な問題が生じた。
米国の対日占領政策が日本国憲法と根本的な矛盾を来すようになったのだ。
対米従属を批判する人が日本国憲法を擁護し、対米従属だと批判される人が日本国憲法の改定を主張することがおかしいとの批評があるが、その批評は、戦後の米国外交路線の大転換の事情を理解しないことから生まれている。
日本国憲法制定に米国が深く関与したのは事実であるが、当時の米国は日本の徹底的な民主化と日本の平和主義を強く推進していた。ところが、米国の外交路線が反共に転じると同時に、米国の対日占領政策の基本は、「非民主化」、「反共」、「思想弾圧」、「日本再軍備」に転換したのである。
したがって、1947円以降の米国外交路線につき従う人々は、総じて、日本国憲法批判者=憲法改定推進論者になっているのである。
話を本題に戻す。
戦後民主化の過程で、NHKの抜本改革が検討されたが、実現しなかった。
結局、NHKは政治権力の支配下に置かれることになった。
NHKの基本的なあり方を規定しているのが放送法である。
放送法を見ると、NHKが政治権力に支配される宿命を背負っていることがはっきりと分かる。
端的に言うと、NHKは経営委員会の支配下にあるが、その経営委員の任命権を内閣総理大臣が握っているのだ。
NHKの人事権は経営委員会に握られており、政治権力はNHKの経営委員の人事権を行使することによって、NHKを完全支配できるのである。
だから、放送法の抜本改正が必要不可欠なのだが、安倍晋三氏は、早速、この人事権の最大活用に動き始めた。
安倍政権は国会同意人事であるNHKの経営委員の人事案を提示したが、ウルトラ右翼安倍晋三氏の暴走全開人事案になっている。
国会のねじれが解消されたから、いまや、やりたい放題の局面に入った。
NHKの偏向が一段と加速することは確実な情勢だ。
市民がこれに対抗するには、NHK拒絶運動を全国運動として展開するしかない。
いずれ政権交代を実現する場合には、最優先の課題として、放送法抜本改正を一気に実現しなければならない。
本当は鳩山政権が誕生した最初の国会で、放送法改正を実現すべきだったが、準備不足で実現しなかった。
NHKの偏向がこれからますます加速することになる。
これを機に、NHKは正式名称を日本偏向協会に変えてみてはどうか。
その方が、国民の誤解を解消しやすいと思う。
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