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毎日新聞 2013年10月23日 14時25分
http://mainichi.jp/opinion/news/20131023k0000e070221000c.html
この人が後に首相になろうとはおそらく本人以外、誰も考えていなかった1990年代前半の話だ。私は小泉純一郎さんに面と向かって何度もこんな議論をふっかけた。
「結局、小泉さんは自民党の延命に役立っているだけではないか」
当時の小泉さんは自民党内では単なる「変わり者」といった存在だった。だが、政権や自民党に不祥事や難問が浮上するたびに、テレビに出演して時の首相や党執行部を激しく批判し、正論・異論を唱える小泉さんを見て、世の人々は「自由で幅広い意見がある自民党は、やはりいい政党だ」と感じたはずだ。「延命」とはそんな意味だった。
同時に、小泉さんが自民党の主流になれるとも、あのころの私には思えなかった。が、その都度、小泉さんは「まあ見てろって。いつか小泉が正しいという時代がくる」とニヤニヤ笑いながら語ったものだ。
後の小泉政権の功罪については話をおく。しかし、「放射性廃棄物の最終処分のあてもなく原発を進めるのは無責任」「今、政治が原発ゼロ方針を打ち出さないと将来も難しくなる」という原発に関する最近の発言はまったく正論だと私は思う。
その小泉さんが先週、講演会にテレビカメラが入るのを許した。一連の発言の火つけ役となった本紙コラム「風知草」で山田孝男専門編集委員が今週、「計算ずくの挑発」と書いている。その通りだろう。「小泉発言は見識を疑う」とまで読売新聞に社説で批判されたこともあって「少し戦闘モードに入ってきたのかなあ」とも長年の小泉ウオッチャーである私には思える。
そこで考え込むのだ。なぜ、小泉さんに賛同し、呼応する動きが自民党に出てこないのか、と。20年前、確かに小泉さんは変わり者だったけれど、党内には「小泉さんの言い分には一理ある」と同調する声が必ず出た。それが今はない。かといって正面切って小泉さんを批判するわけでもない。自民党は随分、息苦しい政党になってしまったものだ。
「すわ小泉新党?」といった政局話には本人も関心はないだろう。発言が注目されるのは核廃棄物問題など、ひとえにことの本質を突いているからだ。静観、無視を決め込むのは、本質の議論を避けたいからだといってもいい。(論説委員)
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