02. 2013年10月21日 03:47:34
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ある人がブログで、「米安保条約、日米地位協定、日米合同委員会と下にゆくほど、日本では実効性が高くなる。多くのことが日米合同委員会で決められる。 つまり、この現実こそ、国民に知られないところで、こそこそと行う日本政治の特質を物語る。http://sun.ap.teacup.com/souun/12367.html 」と書いていたが、言われてみればその通りである。日本においては日米合同委員会こそが、安全保障政策の実体なのである。 ちなみに日米合同委員会とは、日米地位協定の実施に関して必要な協議を 行う機関。日本から外務省北米局長・防衛省地方協力局長など、米国から在日米大使館公使・在日米軍副司令官などが参加するもので、日本を動かしているのは外務省や、防衛省の局長であり、いや、実際の政策を執筆している、その下の課長かも知れない。 本来は憲法が最上位概念で、それに基づき政治が行われるべきであるが、日本の場合はそれが逆立ち状態なのだ。上に行けば行くほどにお飾りになるのである。そして、下に行けば行くほど実体なのだが、外からではそれが分かりにくくなる。ということは、残念ながら、憲法学者が世の中で一番浮世離れしているということか。 安倍の私的諮問会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の憲法学者は世事に明るいと見えて、憲法から安倍が進める集団的自衛権行使の是非を検討するのではなく、逆に、集団的自衛権行使がまずありきで、それを国民に説得させるために、平和憲法をどうやって解釈するかといった技術論に奔走しているのである。 それは戦後憲法の成り立ちが、安倍を筆頭にした保守層が言うようにアメリカからの押し付けであり、皇后陛下が79歳のお誕生日をお迎えになるにあたってのお言葉で仰られた、「明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の 小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を 重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。 当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131019-OYT1T00523.htm?from=main4 」といったように、戦後憲法の制定には、明治憲法制定時にあったような国民の「政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願い」といったものがなかったので、国民の戦後憲法に対するリアル感や、こだわりが希薄なのかも知れない。 また、いいとか、悪いとかの問題ではなく、日本人の国民性として、原則に則り行動を起こすのではなく、原則はお題目として祭り上げ、解釈により実体を先に変えて行くというテクニックがあるのだ。つまり、総論賛成、各論反対というやつだ。総論では皆が賛成しても各論では反対し、総論を骨抜きにして、実体を変えてしまういう技である。そして最後に、「それでは皆さん、実体に合わせて総論を変えましょうね」となる。まさに、竹中平蔵が好きな言葉、「戦略は細部に宿る」だ。 これは、日本人が戦略より戦術が、戦術より技術が長けていることの表れであろう。さらに最後にはとびきりの技、「運用」といった何ら法的根拠のない伝家の宝刀があるのだ。いや、究極には、言葉すら必要としない阿吽の呼吸といったテレパシーが日本を差配すのである。北島三郎の「兄弟仁義」の、「俺の目を見ろ、何にも言うな 男同志の腹のうち http://m.youtube.com/watch?v=OVu4MRgfDeQ 」である。それは、日本では「空気」が、文章で書かれた法律よりも尊ばれることと一対をなす。日本人には、「そもそも」論は鬱陶しがられるのだ。 第一次安倍内閣は「戦後レジームからの脱臼」を前面に掲げ、憲法改正の正面突破を図らんとしたが、健康面もあったが、上っすべりの面も否めず、敢えなく頓挫した。今回は、その教訓きらか、形上は「戦後レジームからの脱臼」はあからさまには言わないが、(特定秘密保護法案+日本版NSC+集団的自衛権行使)×日米合同委員会→事実上の日米安保条約改訂=解釈改憲→憲法改正=「戦後レジームからの脱臼」という方程式で臨んでいる。 それは、安倍が今の日本の空気感を感じ取ってのことだろう。だから、「戦後レジームからの脱臼」をあからさまに言ってしまった、第一次安倍内閣の安倍晋三は、「KY」と呼ばれたのだ。 |