17. 2013年10月20日 15:49:33
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靖國神社への閣僚の参拝が中国、韓国から批判されている。それに対して、安倍政権としては靖國神社への参拝については政治問題はなく、閣僚一人ひとりの考えということで、表立っての反応は控えているが、菅官房長官が簡単なコメントを発表した。「A級戦犯も慰霊対象=菅官房長官 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013101800928&g=pol 」 「菅義偉官房長官は18日午後の記者会見で、閣僚の靖国神社参拝について、『国のために戦って貴い命を犠牲にされた方に尊崇の念を表明するのは当然のことだ』と述べた。同神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されて いることに関しても『亡くなった方というのは皆、一緒にとらえるのが日本の歴史ではないか』 と語った。 安倍晋三首相が在任中、同神社を参拝する可能性については、『分からない。いろんな意見があることは十 分承知しているが、個人の問題、信教の自由という中で私たちはとらえていきたい』と述べるにとどめた。」 まず、事実関係だが、「同神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されて いることに関しても『亡くなった方というのは皆、一緒にとらえるのが日本の歴史ではないか』」というのは誤りである。 靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、靖國神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役 (戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひた すら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の 神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として 斉しくお祀りされている。 ということで、菅の「亡くなった方は皆、一緒」ということで、A級戦犯の合祀も問題ないとの見解であるが、事実は違うのである。事実は、戊辰戦争・明治維新の戦死者では 新政府軍側のみが祭られ、賊軍とされた旧幕府軍( 彰義隊や新撰組を含む)や、奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外。西南戦争においても政府軍側のみが祭られ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外であり、西郷軍戦死者・刑死者は鹿児島市の南洲神社に祀られている。 それは、そうと靖國神社への参拝が中韓から問題視されるのは、突き詰めるとA級戦犯の合祀である。それでは、この問題の要であるA級戦犯について考えてみることにする。 A級戦犯とは、ポツダム宣言に基づき、極東国際軍事裁判所により定義された戦争犯罪に関し、極東国際軍事裁判 (東京裁判)により有罪判決を受けた者である。その後、日本が主権を回復した1952年4月28日の サンフランシスコ平和条約発効直後の5月1日、 木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」とし て、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」とし て取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のた めの名誉回復の数度にわたる国会決議もなされた。 つまり、現在、日本にはA級戦犯は存在せず、正確には、元A級戦犯というのが正しい表現である。おそらく、菅もそれを念頭に置いての発言ではないだろうか。つまり、元A級戦犯は名誉を回復されているので、他の英霊と同等で、その死は国のために尽くした「公務死」ということになるのであろう。だから、A級戦犯の合祀が批判されるのなら、日本にはその様な者は存在しないとはねつければ良いのである。安倍は、第一次安倍内閣で東京裁判で有罪判決を受 けたいわゆる「A級戦犯」について、国会答弁で「国内法的に、戦争犯罪人では ない」と明言している。だが、未だに、国連の敵国条項の対象国である我が国が、国際社会からどの様に言われるのかは、保証の限りではない。 さらに、安倍を筆頭とする、歴史認識の見直しを言っている保守系勢力は、そもそも、A級戦犯を認定した東京裁判自体に疑問を呈している。つまり、戦勝国が敗戦国を裁いても良いのかという根本問題である。これは、東京裁判のインド人のパール判事も同様のことを言っている。「裁判の方向性が予め決定づけられてお り、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの 裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張 した。「裁判憲章の平和に対する罪 、人道に対す る罪は事後法であり、国際法上、日本を有罪であ るとする根拠自体が成立しない」という判断によ るものである。 自民党の高市政調会長は、5月12日のNHK「日曜討論」で、安倍内閣の歴史認識は 歴代内閣と異なるとの認識を示した。太平洋戦争をめ ぐり日本の指導者の責任を追及した東京裁判を歴代内閣同様、安倍内閣が受け入れているのかどうかを問われ「国家観、歴史観に関し安倍晋三首相は(歴代内閣と)違った点もある」と述べたのである。 余談になるが、翌日の13日に高市発言についての意見を求められた維新の会の橋下代表が、例の慰安婦発言をしたのである。政治に「もし、」はないが、もし、高市発言がなければ、橋下に意見を求められることもなかったので、その後の騒動や、維新の会の凋落もなく、もしかしたら、維新の会は、参院選で民主党を押さえて第二党なり、堺市長選でも勝っていたかも知れない。政界は、まさに一寸先は闇ということか。 A級戦犯の合祀は問題なしとする理由を要約すると、A級戦犯は名誉回復されたので存在しない。いや、A級戦犯を認定した東京裁判自体が不当な裁判なので、そもそも、認定すること自体が誤りなのだという、聞きようによってはポツダム宣言そのものを否定するかの様な大胆な理由である。 安倍は第一次安倍内閣の時、インドを訪問し、パール判事長男と面会している。そして、東京裁判で被告全員の無罪を主張したパール判事の業績をたたえた。 安倍は冒頭、「お父さまは今で も多くの日本人の尊敬を集めている。日印関係の基礎を築かれた一人だ。パール 判事のご遺志は日印関係を発展させるこ とだったと思う。今日、日印関係は大変 強化されている」と語りかけたのであり、東京裁判は不当だと確信しているということである。 パール判事も言うように、戦勝国が敗戦国を裁いても良いのかということには一理あると思う。だが、さらに、根本の問題であるが、では、日本の開戦を閣議決定し、その結果、多くの戦死者、傷病者を生み出し、国内外に尋常ならざる被害をもたらした戦争指導者には一切責任はないのかということである。安倍の信念である東京裁判自体が不当であり、A級戦犯は存在せぬは、それなりの理由があるのだろうが、だからと言って、一切お咎めとはどうも納得できないのだ。 戦勝国が裁くことの是非は別として、実は、日本は国民が戦争指導者を裁いていないのだ。連合国に全部任せたのだ。俺は戦争の責任は片方だけにあるとは思わない。最近、保守系論者からよく言われることとして、日本はアメリカの策略に巻き込まれたのであり、あの戦争は自衛のための戦争であり、日本には戦争責任などないという理屈がある。自衛のためで責任がなかったかどうかは知らないが、国民のの立場からすると、戦争は勝ってもらわなければならないのだ。 すなわち、負けたら戦争指導者はA級戦犯として極刑。勝てば日露戦争の英雄の東郷平八郎の様に軍神となるのだ。もし、東絛英機も勝っていれば、東郷平八郎みたいに、東絛神社でも建立されて神として祀られていたかも知れない。だから、戦争指導者は、そのぐらいの覚悟を持って戦争するなら、しろということだ。 安倍の祖父の岸信介は、非常に能力のあった政治家だ。安倍と言えば、すぐに60年安保のことだけを取り上げあれるが、戦前の革新官僚としての才能は首相になり、国民年金制度、国民健康保険制度、最低賃金制度などの、今の社会保障制度の根幹を作ったのだ。だから、A級戦犯からアメリカの手により無罪放免になっても当然だろうという考えもあるかも知れないが、東絛内閣の大臣として戦争の閣議決定に署名しているのだ。だから、負けた戦争の指導者として、国民に責任があるのだ。いくら能力があっても責任をないものとして、戦後政界に復活し、しかも総理大臣にまで上り詰めたことにより、日本は無責任国家に成り下がってしまったのである。 安倍は東京裁判は不当だ、連合国から押し付けられたA級戦犯などいないと主張するなら、安倍が現行憲法がアメリカの押し付けだから自主憲法制定を目指す様に、押し付け東京裁判を否定し、自主的に戦犯を裁く国民による東京裁判を提起すれば良いのである。 |