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日中対立、民から「解凍」
「政冷経冷」融和へ国の意向負う 経済安定、外資の力頼み
尖閣問題で緊張が続くなか、中国が凍り付いた日本との関係改善をさぐり始めた。中国を代表する企業のトップが訪日し、政財界の首脳と会ったのはその一環。背景には経済を安定させるため、外資の力を取り込みたいという事情がある。
知日派の憂い
「中国と日本のGDP(国内総生産)を合わせると米国に迫る。両国の経済交流は極めて重要だ」。訪日団の代表を務める常振明氏は日本経済新聞の取材に答え、さらにこう語った。「残念ながら、昔と比べて交流は少なくなっている」
常氏は中国最大の複合企業グループ、中国中信集団(CITIC)の会長。訪日団にはほかに政府系ファンドの中国投資(CIC)や大手建設機械メーカーの三一重工なども加わった。9月24日から5日間で、菅義偉官房長官や経団連の米倉弘昌会長らと会った。
きっかけは1月下旬。訪日団のメンバーの1人が、日本の大手企業の旧知の幹部から「中国に行くときに身の危険を感じる」という話を聞き、ショックを受けた。尖閣問題で日系の商業施設や工場が壊されたことが、日本側にいかに深い傷を残したかを痛感した。
これを機に「とにかく交流を続けるべきだ」という声が出始める。団長の常氏は1980年代に北京第二外国語学院で日本語を学び、日本の大手証券会社で債券発行の実務を研修。中国の経済界きっての「知日派」だ。「政冷」が「経冷」に及んだ対立への憂いが訪日へと背中を押した。
もっとも、中国を代表する企業のトップが、共産党と政府の了解なしにこのタイミングで日本に来られるわけがない。その疑問を解くカギを、訪日団は一連の会合の中で示した。「中国は経済の安定を保ちながら、構造改革を進めることが必要になっている」
9月末に上海にできた自由貿易試験区が中国の思惑を映す。金融や海運を中心に外資のさらなる進出を模索する。トウ小平が改革開放へとカジを切ったのが78年。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟を経て、次の対外開放を迫られている。
80年に本格的に始めた一人っ子政策で、中国は労働人口の減少に直面している。その結果、改革開放からずっと続いてきた高成長時代がついに幕を閉じた。いまは7%前後の安定成長にどう移れるかという未知の領域に入りつつある。
改めて対外開放が課題になったのはこのためだ。日本との関係修復は省エネや環境対策で優れる日本への期待もあるが、狙いはそれだけではない。隣国と軍事的に衝突しかねない状態が続けば、ほかの国も投資に二の足を踏む懸念がある。
予定1カ月遅れ
昨年9月に日本が尖閣諸島を国有化して緊張が高まってから、日中が最も緊迫したのが今年1月の中国軍によるレーダー照射事件。中国の軍艦が自衛隊艦に火器管制レーダーを当て、軍事衝突のリスクが高まった。
習近平党総書記はその後、「日本との関係がこのままではよくない」と指示したとみられる。これを受け、中国外務省は内々に3つの方針を決めた。(1)尖閣諸島の領有権問題で論争があることを認めさせる(2)論争を棚上げする(3)論争が緊迫しないよう抑える――。原則論では譲らないが、対立が深まるのは避けるべきだという判断だ。
関係改善がこのまますんなり進むとは限らない。今回の訪日でもその難しさは垣間見えた。実は、もともと予定していた日程は8月下旬。だが中国が政府の「高いレベル」で訪日を決断するのに時間がかかった結果、日本側のビザ発給手続きが間に合わなくなり、訪日は1カ月延びた。
「日本の歓迎は予想以上だった。だが一回で問題を解決するのは無理。信頼を勝ち取るための努力を長い時間をかけて地道に続けるしかない」。日本を後にする前、常氏は周囲にこう語った。
次の焦点は11月。今度は日本から、日中経済協会(会長・張富士夫トヨタ名誉会長)が約100人の訪中団を送る。中国が軍事的にも存在感を増すなか、経済の論理だけで対立を解くのは難しい。それを踏まえたうえでいかに衝突を避け、協力する道をさぐるか。“民間外交”がどこまで進むかに注目が集まる。
(編集委員 吉田忠則)
[日経新聞10月16日朝刊P.2]
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