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http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52050283.html
=転載開始=
<「天皇中心の神の国」へ驀進する永田町>
未明に目が覚めてしまった。夢に加藤紘一が現れたせいで、彼が最後の挑戦をした森喜朗内閣を思い起こした。同時に京都の野中広務のことなどが、次々と記憶から蘇ってきた。よく知る小渕恵三首相が、小沢一郎にドスを突きつけられ、衝撃で倒れると、官房長官の青木幹雄・幹事長の森、そして野中らが、宏池会の池田行彦を除外して談合、政権を森に移行させた。政権は右翼派閥の岸信介の人脈が手にした。右翼の正体は「日本は天皇中心の神の国」という森発言で、証明され、内外に衝撃を与えた。自民党右翼の思想的根幹は、戦前と同じものだった。其れが小泉内閣を経て、今は安倍内閣である。天皇を神と崇めるカルトの政権が、永田町を驀進している。
<カルトが舞う秋祭りの季節>
時は、あたかも天皇族の宗教である神社神道の秋祭りの最中だ。明日17日は、戦争神社の靖国の例大祭と称する儀式が始まるという。韓国・中国は公然と、ワシントンはこっそりと安倍参拝にNOの警告を発している。
皇居の奥の院でどのような占いの儀式が行われるのか、誰も知らない。想像するに、キリスト社会で成長した皇太子妃は、ある種の複雑な感情を抱いているものか。なかなかなじめないのかもしれない。
庶民レベルでは、神社に備え付けの「神輿(みこし)」という他愛のない担ぎ物を、酒を浴びた若者が担いで気勢をあげる。太鼓をたたき、笛を鳴らして部落に「祭礼」気分を盛り上げる。ただ、それだけのことで、戦前戦後の貧しい時代を思い起こす老人も少なくない。
もっとも、最近は神輿を担ぐ若者がいない。担ぎ屋に依頼する神社も多いらしい。モノ不足のころは子供に茶菓子を振りまいて動員させ、雰囲気を作ったものだが、現在の塾通いの幼児の動員は厳しい。
農家の古い家には、今も神棚を祀っているのかもしれない。これも実のところ、迷信に近いものだが、先祖代々、といっても神社を国教と定めた明治期からだ。近代に気付いた人間にとって、とてもついてはいけない精神的遺産である。むろん、こうした類の日本人は少数派であるが、永田町の右翼議員にとっての精神的な支柱となって、そこから彼ら独特の歴史認識が生まれることになる。その象徴が森発言である。
過去を美化、正当化する根源なのだ。
<天皇制国家主義と改憲軍拡>
戦前の日本帝国・日本軍国主義は、明治期に確立した天皇中心の国家主義によってもたらされた。筆者は日本の国家主義を天皇制国家主義と定義している。強い国家は戦争をいとわない。戦争の出来る改憲軍拡は必要不可欠なのだ。したがって、戦後の日本国憲法は、この政治制度を否定するところから始まった。
思うに、この天皇制国家主義の根幹が、神社神道という現在は一つの宗教法人なのである。近代法は、宗教は自由である。何を信仰しようが、しまいが自由である。もはや日本人は、カルト信仰の神道からの縛りから解放されている。逆に、神道の側は「マツリ」「祭礼」でもって市民生活にもぐりこもうとしている。
一部の無知蒙昧の氏子(うじこ)という輩が、これに狂奔していることも事実である。
右翼議員は、この祭礼をことさらに重視、自己の政治宣伝に利用することになる。天皇制国家主義の基盤は、決して強固なものではない。
<恐怖の特定秘密保護法>
右翼議員はしかし、そこに精神的エネルギーを求めることになる。左翼もそうだが、目的のために手段を選ばない。ナチス流もOKなのだ。反対派を逮捕拘束できる手段としての特定秘密保護法は、権力を掌握した右翼勢力にとって、権力の維持・強化に必要不可欠なのだ。安倍が「強い意志」で断行する、との決意表明を、臨時国会召集日の演説で公言した。平成の治安維持法だ。
一部新聞報道によると、防衛省の「防衛機密」は2011年末に3万752件とすごい件数だ。2007年から2011年の5年間に3万4300件も廃棄したものの、これの全てが国立公文書館に移行、保存されなければならないのだが、なんと1件も保管されていない。日本は恐ろしいほどの秘密国家・独裁国なのである。
<首相独裁の国家安全保障会議>
憲法に違反する深刻な事態を放置してはなるまい。直ちに法改正によって、保管し公開しなければ民主国家とはいえない。
権力の分散を前提とする議会制民主主義は、彼らには不都合である。国家安全保障会議を創設して、権力の集中・強化を図ろうとする安倍の思いである。
「日本は天皇中心の神の国」に抵抗した加藤の乱を封じ込めると、小泉内閣という天皇のために死んだ戦争神社・靖国参拝派が登場、いまや本丸である平和憲法と戦争する自衛隊派兵に挑戦する安倍内閣ということになる。
森政権の守護神となった野中広務は、極右の守り神として北京で重視されている?歴史の皮肉である。むろん、加藤紘一も日中友好派としての地位を維持しているが。北京も混乱している。
2013年10月16日7時15分記
=転載終了=
(投稿者コメント)
靖国って概念は国家神道なわけで伝統的な神道と違う近代化のための廟なわけで、レーニン廟とかと同じなんじゃないの。
で、レーニン廟と一緒にすんな、ってのは止めてよ。
その時はそれを本当に信じてたんだから、それは旧ソ連人(現ロシア人含む)も、旧大日本帝国臣民(現日本人も含む)も同じだろ。
現況は靖国という概念で何かしらの統合を図って難局を乗り越えてく!っていう状況ではないどころか、そうした統合を志向する勢力が国難をワザワザ引き寄せているようにしか見えない。
国難なんて言葉が出てきちゃうこと自体、投稿子も多少ずれているのかも知れないが、この点に関しては、転載記事中の加藤紘一のような嘗てあった中道左派的な勢力(紘一って名前自体が、この方が生まれた当時の雰囲気が出てる名前じゃね?)が無くなってきたことに我が国の劣化を感じてきたという政治的立場を改めて表明してご理解いただきたいと思います。
また併せて、加藤紘一は白けインテリみたいな顔してて、やっぱ小沢(は中道左派の政治家だと思っている)だろと思い応援してきたことも表明します。
でも小沢も、もう歳なんだよ。あまり期待すんのは酷でつらい。
小沢の流れに続く資質のある人たちが今はえらい苦労してる。
そのまた後に続く資質のある人たちは生業だけに注力するようにして政治に出来るだけ関わらないようしている<カルトが舞う秋祭りの季節>かと思うのです。
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