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2013/10/12 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
みずほ銀のマル暴融資は歴代頭取が知っていただけでなく、少なくとも18人の役員に資料が配られていた。
それなのにみんなが知らぬ存ぜぬで放置してきた無責任、「頭取は知らなかった」で済まそうとする性根、会見で平然とウソをつく神経と、「これがメガバンクの幹部、トップのやることなのか」と思うと暗澹たる気持ちになるが、その一方で、国民には「やっぱりな」という気持ちもある。
銀行なんて、ロクなもんじゃないと思っていたが、やっぱりだ。メガのトップといったって、この程度なのである。そんなのが「財界のトップ」面をしているのだから、この国の支配層の“お里”が知れるというものだ。
次々に安全管理のズサンさが浮かび上がっているJR北海道では2005年度は100億円をかけていた安全関連の設備投資を10年度は58億円にケチっていた。朝日新聞にはこんな現場の声が載っていた。
「線路を補修しようにも金がない。『直そう』と言っても『うるさいやつ』と思われる」「(上司に)逆らったと思われるのが嫌だから、何も言わないでおこうとなった」
いやはや、何をか言わんやだが、腐っているのは民間だけではない。役人だって、ダーレも上に逆らわない。おかしな前例踏襲主義が永遠に続き、隠蔽体質もそのままだ。みずほのマル暴融資だって、「頭取の責任」については、絶対、金融庁とネゴしてきたはずだ。
政治家のウソとペテンもヒドイもので、例えば、TPPの聖域で自民党議員がウソをついても、国民は「政治家なんて、そんなもんだろ」とあきらめている。日本の支配層の腐敗堕落は、それだけ「常態化」しているのだが、問題は「下々」の感覚も「上」に合わせて、すっかり、麻痺し、怒りもしなければ、考えもせず、何と言うか、一億総白痴化してしまっていることだ。
◆テレビがネットに代わって一億総白痴化
評論家の大宅壮一は1957年、週刊誌でこう書いた。
〈テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い〉
スイッチをつければ、垂れ流されるテレビによって、日本人は能動的に情報や知識を得ようとしなくなる。その結果、圧倒的な電波によって、思考力を奪われ、簡単に感化されるようになる。つまり、白痴化すると大宅は見抜いていたわけだが、今も、ネットによって、同じような一億総白痴化が進んでいる。支配層の堕落とネットの蔓延が、白痴化に拍車をかけているかのようだ。
◆思考を停止させるツイッター
こうした危険性を早くから見抜いていたのが思想家、米国のニコラス・カーである。著書「ネット・バカ」には、こんな表現がある。
〈ネットを使うと、決定や問題解決を行う前頭前野がよく活動する。ところがそのこと自体が、今度は深い読みなど、集中を持続する必要がある機能の邪魔になってしまう〉
〈ソフトウェアが賢くなれば、ユーザーはバカになる。じつはそれはだれでも知っているはずである。道具を丈夫にすれば、人間が壊れる。われわれは道具を作る。そして、そののち、道具がわれわれを作るのだ〉
まさしく、こうして、人々は痴呆化していくのだが、東大大学院総合文化研究科教授の小森陽一氏(日本近代文学)はこう言った。
「ツイッターは140字です。ほとんど、広告のコピーのようなつぶやきで、物事を認識したようなつもりになってしまう。それがネット社会の怖さです。物事を考えるとき必要なのは、なぜ、そうした状況になるのか、など複数の問いかけです。しかし、ネットだけをやってると、因果関係や歴史的背景を考えなくなってしまう。私は日本人の劣化というより、政府による巧妙、狡猾な情報操作だと思う。とりわけ、小泉政権以後、劇場型政治が主流となり、短い言葉による広報戦略=情報操作が顕著になった。私はそれを心脳コントロール社会と呼んでいます」
◆「いいね!」がバカを増やしている
なるほど、ワンフレーズポリティクスとツイッターは似ている。小泉政権の頃は、乱暴なワンフレーズが批判されたが、ネット社会ではワンフレーズが当たり前だ。こうして、どんどん、有権者はバカになるのだが、もうひとつ、ネットがバカを生み出す要素が「いいね!」である。「いいね!」か、そうじゃないか。二者択一を迫るのがネットだ。「いいね!」と思ったら、シェアやリツイートして、拡散させる。瞬間的に白か黒かの判断が求められ、こうした動作がネットの世論を育成、巨大化させていく。
「ネットのバカ」などの著書がある中川淳一郎氏は〈あなたの1クリック、1いいね!、1RTはすべて強者をより強者にするために使われている。あなたは「クリックする機械」でしかない〉と書いていたが、その通りだ。しかし、ユーザーは、そうした罠に気づかない。誰もが自然に、みんなが賛同する事象に「いいね!」を押してしまう。そうすれば、自分も多数派の仲間入りできるからだ。異端=仲間外れにされないからである。
「ネット社会というのは、強迫観念によって、お互いを追い込み、勝ち馬に乗ることへの焦燥感を煽るのです。そうやって、ユーザーは思考停止になっていく」(小森陽一氏=前出)
安倍首相が盛んにフェイスブックを使うのは理由がある。そうやって、国民の思考を停止させ、みんなに「いいね!」を押させる魂胆が透けて見える。
かくて、一億総白痴化はすさまじい勢いで拡大するのだ。
◆行列に並んでレストラン自慢を競う神経
世の中、見渡せば、他にも一億総白痴化の事象は山のようにある。
レストランに行けば、若いのが必ず、料理の写真を撮る。それをソーシャルネットやブログで披露する。
「こんなおいしいところに行きました」「こんなにおいしいものをいただきました」と仲間内で、自慢するのだ。
うまいレストランの情報収集は「食べログ」「ぐるなび」などのランキングで探す。彼らの価値観では人気の店=おいしい店で、そこには個性はなく、付和雷同しかない。そうやって、皆が同じ店を目指し、行列をつくり、その店の写真を撮ることが、これまた、自慢の種になるのである。
かと思えば、週刊誌には中高年セックス記事があふれ、それに煽られた中年女性たちが「最後の盛り」とばかりに燃えている。世の中に蔓延しているのは食欲、性欲、金銭欲だ。デフレ不況は出口なしで、だから、JR北海道なんて線路を直す金も出さないくせに、世の中の欲望だけはバブルさながら膨らみ続け、総白痴化した国民が踊っている。
◆気概、志を持った作家も少なくなった
本は売れなくなり、たまに売れる本が出ても薄っぺらなミステリーばかり。なるほど、こういう国民であれば、五輪だ、祭りだ、ワッショイ、ワッショイと短絡的に騒ぐわけだ。作家の三好徹氏はこう言った。
「読者はテレビとネットに毒され、画一化されている。一方、作家はというと、圧倒的な力量を持った作家がいなくなったという側面はありますね。言論統制の中で戦ってきた作家には命懸けの覚悟みたいなものがあった。今の作家はなんでも書けるのに、書かない。政治が上手に作家を取り込んでいるところもあります。政府の審議会に招いたり、勲章を授与し、そうすると作家も喜んでもらってしまう。大岡昇平氏は“自分は捕虜になった身だから”と日本芸術員会員を断ったが、そういう気概、志を持った作家は少なくなりました」
文学とは個を描くものだとすれば、その個を国家統制の名の下にコントロール、否定しようとしているのが安倍極右政権だ。文芸の衰退はそれと連動しているのかどうか。だとすると、怖くなる。
前出の小森陽一氏は「癒やし」という言葉の危うさを指摘した。忙しい現代人が求めるのが「癒やし」であり、それを提供する商品、情報があふれているが、「“癒やし”とは思考停止と同じ意味ですよ」と言った。
そうか、だとすると、国民が何も考えなくなったのにはやっぱり、必然性があるのか。思考停止の国はこれからどこに流されるのか。その心配すらせず、宴に興じている国民は悲しいくらい滑稽だ。
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