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2013年10月11日
今日は、古賀茂明氏が若者に語りかけている「日本が生き残るための処方箋」と銘打つロングインタビューを、そっくり引用し、本日のコラムに替えさせても貰う。すべてを是とする内容ではないが、マスメディアなどに登場する識者コメンテータの類では、最良に属する人物なので参考になる。筆者と異なり、革命的国家像を描かなければ、古賀氏の考え辺りが、良識派の考えの落ち着きどころなのだろう、と感じた。皆さま。それぞれの感性で、読んでいただきたい。
≪古賀茂明ロングインタビュー 「日本が生き残るための処方箋」 【前編】
■日本が生き残るには
安倍政権になってから、急に世の中の雰囲気が明るくなりました。日本の景気は海外要因に大きく左右されています。今回の景気回復は消費主導と言われ ていますが、きっかけは、アベノミクスで円安が進んだことです。自動車メーカーなどの利益が大幅に増加し、一部の業種でボーナスが増え、これが消費にも反映されました。
しかし、それらのメーカーがやっていることは、価格競争に過ぎません。つまり、輸出価格が安くなるから円安で喜んでいるのです。 ですが、歴史的に見ると、価格競争をしている限り、必ず後発の発展途上国にある新興企業に追いつかれ、追い越されることになります。新興企業の商品価格は、様々なコストを犠牲にすることで安く抑えられるからです。 おそらく、あらゆる産業において、価格競争で勝利し続けてきた企業は存在していません。
グローバリゼーションは、世界全体で労働賃金などのコストを均等にします。グローバリゼーションで格差が拡大すると言いますが、世界全体で見ると格差は縮小しています。日本人と中国人の給料がだんだん近づいているのはその好例です。 これは、公正なことが進んでいるとみるべきです。ユニクロの『世界同一賃金』宣言について「日本人を貧乏にするのか」という批判がありますが、アジア諸国の若者はユニクロの方針を「公平、公正、透明で素晴らしい」と絶賛しました。
では、グローバリゼーションの中で日本はどのように生きていけばよいのでしょうか。 これまでの日本は、他の途上国よりも少し早く欧米先進国に追いついて、欧米よりも少し安い製品・サービスを作る「術」を身につけました。そしてその製品・サービスを途上国を含む世界に売って、途上国よりもいい生活をしてきたわけです。そうやって日本を支えてきた製品・サービスの大半は、比較的マネすることが容易だからすぐに欧米諸国に追いつくことができたし、滅私奉公的な労働慣行のおかげで先進国より安く作ることに成功してきたのです。
グローバリゼーションは、賃金だけでなく、知識も能力も均一化していきます。そしてその状況下における価格競争は、基本的には生活水準切り下げ競争になってしまうのです。 これまで日本を支えてきた製品・サービスでは、日本を支えられなくなります。生き残るためには、生活水準を切り下げていくか、他の国が追い付けないようなことをやっていくか、2つの選択肢しかないのです。
■消費税増税と成長は関係ない
アリとキリギリスのたとえで言えば、日本人は、こつこつ働いて将来のために貯金をするアリというイメージがありますが、これが政府レベルになると、まったく逆になっています。将来世代が稼ぐ分まで借金をしてしまったキリギリスなのです。 しかし、世界中の人たちはまだ、日本人は勤勉なアリだから何とかなるのではないかと見ています。確かに、日本の個人金融資産は1500兆円ほどあります。
なので、これだけ借金があっても世界中の人は「日本はなんとかなるだろう」と思っています。ここが、ギリシャやスペインとの違いです。 しかし、ギリシャやスペインが駄目になったのは借金が多いからではありません。借金の絶対額も、同じく対GDP比率も、日本のほうが上なのです。
では、ギリシャやスペインのどこが問題なのか。それは、他国から多額の借金をしたことだけではありません。それを返済する力、すなわち「稼ぐ力」がなくなり、そのことをマーケットに見抜かれたために危機に陥りました。 逆に言えば、「日本にはハイレベルの技術があり、労働力の質も高い。企業にも個人にも、まだまだお金が余っている」「だったら、成長しないはずはない」という当たり前のロジックが、国際市場ではまだ、力を失ってはいないということです。
だから外国はアベノミクスを信じ、株価が一時急騰しました。ところが、しばらくすると「成長戦略の中身がない」と、メッキが剥がれて株価が下がったので、「秋に成長戦略の第2弾を発表する」と安倍晋三首相は話しました。 「日本はまだまだ成長できる」というのが本当なのか、みんな不安になってきたということです。 そして、安心してもらうため、具体的な成長戦略を出さなければいけない秋、同時に消費税の増税の決断を迫られるのです。
しかし、10%に増税したところで足りません。財務省からは、10%増税の直後にまた15%、さらにもっと引き上げが必要、という話まで出ています。 財務省は消費税を上げれば、日本の再生・再建ができると思っています。しかし、ギリシャやスペインも増税しています。消費税率が高いヨーロッパ諸国の中でも、19%なのに成長しているドイツのような国もあれば、18%から23%に引き上げたのに事実上破綻したギリシャのような国もあります。 つまり、消費税を上げることと、経済がよくなることにはまったく関係がありません。大切なのは、稼ぐ力なのです。稼ぐ力は経済、雇用、社会保障のためにも大事です。稼ぐ力さえあれば、いざというときの増税も容易です。
■安倍首相は既得権と戦え
多くの高齢者は「もう日本にモノはたくさんあるから、欲しいものなどない」と言いますし、共産党は「所得再分配が大事」と言います。でも現実には、本当に困っている人に、お金も、たくさんあるモノも行き渡っていません。 たとえば、今のままでは、どんどん年金給付開始年齢を引き上げるしかありません。そこで「70歳まで働いてもらいましょう」ということになってきます。
しかし、企業が高齢者をどんどん採用していくと、今度は若い人の仕事がなくなっていく。ますますパイが減るわけです。 貧しい人たちに十分な分配をするために、金持ちに増税しようとしても、とてもじゃないけど足りません。
それに、人から施しを受けて過ごすことに幸福 を感じるという人は少ないでしょう。みなが幸せになるためには、結局、雇用を増加させないといけません。雇用を増やすこと、それがまさに経済成長です。 そして、経済のパイ全体を拡大する中で、弱い人たちへの分配をより強化することこそが必要です。それが、成長の本当の意味なのです。
だから「日本はもう十分だから、分配だけでやっていきましょう」という理屈は成り立たない、ということを理解しないといけません。結局、社会保障を維持していくのに必要なのは「稼ぐ力」なのです。 安全保障にもっと予算を使うべきだ、などと言う人たちもいます。ですが、私がその人たちに言いたいことは、日本の今の問題点は、中国との関係ではなくて、日本の稼ぐ力を取り戻せるかどうかである、ということです。
日本を守りたいのならば、安倍首相は、戦争に命を賭けるのではなくて、経済を変えていくための改革にこそ命を賭けるべきです。戦争をしたところで安 倍首相ではなく、若者が徴兵されるだけのことです。安倍さんは、議席を賭ける、つまり政治家にとって命を賭ける覚悟で改革をやらなければなりません。 それはつまり、既得権にしがみついている人との戦いです。これこそが、国を守るための戦争なのです。有権者は、安倍首相や日本政府をそう動くようコ ントロールしていかなくてはなりません。ネット右翼のように「安倍首相頑張れー! いけー!」と日の丸を振るのは、まったくのピントはずれです。
■原発はもうコスト高
私たちが稼ぐ力を身につけ、既得権と戦わないと、本当に日本は破綻してしまいます。一例として、ここで原発についてお話ししておきます。 いまだに「原発は安い」などと考えているのは日本だけです。今、日本の原発メーカーは、安全基準の低い途上国には原発を1基5000億円で売り込み、安全基準の高いヨーロッパに持っていく場合は、1兆円で売り込んでいます。高い安全基準を達成するためには、倍のコストがかかるのです。
一方、再生可能エネルギーは「コストが高くてペイできない」と考えられてきましたが、現在では、発電コストが急激に下がってきています。日本の新聞は、原発を擁護するような記事を載せています。しかし、先進国では、再生可能エネルギーでの発電が主流となりつつあります。かつて太陽光発電システム設置のための補助金政策が行われ、今はなくなった国でも、太陽光による発電量は増加し続けています。
これまで、原発は「夢のエネルギー」と言われていました。燃料を中東に依存せず安定供給できる。加えて二酸化炭素が排出されないクリーンエネルギーだとされていたのです。 そして再生可能エネルギーは「夢のまた夢のエネルギー」と呼ばれてきました。理屈だけは素晴らしいが、技術が追いつかない高コストな発電方法とされてきたのです。
しかし現在では、再生可能エネルギーは最も現実的な発電方法となっています。その理由を説明しましょう。 「原発は安全でなければならない」ということは誰でも合意しますよね。安倍首相も「安全が大前提です」と言っています。そうなると「日本には原発を本当に安全に動かす能力があるのか?」という疑問がでてきます。世界最高の安全基準とか言っていますが、本当は全然安全ではありません。 「原発事故の確率は1万分の1にしよう」ということですが、100基あれば100年に1回。200基あれば50年に1回、事故が起こる計算になります。世界には400基を超える原子炉があるとも言われています。
すると、人間一人が生きている間に必ずどこかで複数の事故が起こることになるわけです。現にスリーマイル、チェルノブイリ、福島と起きています。 すると当然「事故も織り込んでコストを考えましょう」ということになります。ですが、事故が起こった際にかかるコストをすべて、電力会社が払えるのですか? これから、福島第一原子力発電所の事故処理には何十兆円とかかります。しかし、東電は「払いたいけど、実際にはお金がありません。政府が何とかしてください」というスタンスです。
事故があったら責任を負えませんという企業が、何もしないで発電するのは許されません。 普通に考えれば、そういう時は保険が必要になります。だから私は「原発に保険をかけなければならない」という法律を作るべきだと思っています。です が、そうすると保険料はとても高くなり、その保険料を払うとなると、他の発電システムに比べてはるかに高い発電コストになってしまうのは確実です。 原発ではなく、再生可能エネルギーを軸にした成長戦略の中で「稼ぐ力」をつけていくことが現実的だ、ということになるのです。
■原発は倫理的にも問題
ここまで言っても、原発に賛成する人たちがいます。そういう人たちは、何らかの形で原発から恩恵を受けている人たちです。 もっとも典型的なのは、原発メーカー、電力会社、そして彼らと癒着した、経産省などの官僚、自民党の議員、電力総連の支持を得ている各党の議員などです。さらに、学者、マスコミの一部にもいます。こういう人の意見を聞いてはいけません。
さらに、原発の立地自治体の住民がいます。その人たちにとって、原発が無くなるとお金が落ちてこなくなります。 これについて私は、非常に冷たく感じるかもしれませんが、「これまでの贅沢は諦めてください」という考え方です。 原発がある所に行ってみたらわかりますが、地域環境には似つかわしくない、とても立派な施設があります。それから、かなりの所では、手厚い子育て支援があったり、直接の現金給付があったりします。つまり、その地域に住む家庭や企業に、事実上、お金をばらまいている形になっています。
また「原発は東京のために電気を作っていたじゃないか」という話も必ず出てきます。ですが、決して無理やり作ったわけではありません。「お金をあげるから原発作らせて」と言ったら「是非ください」となったのが実態です。 私たちは電気代と一緒に電源開発促進税を払っていますが、それは原発のために使われています。原発がなくなれば、その税金分も取られずに済むはずです。
他の地域では、大きな工場が閉鎖されたりしています。炭鉱が閉鎖されて困っている地域もたくさんあります。夕張はその一例です。こういう地域では、地域住民が必死で頑張っています。原発立地地域だけ特別扱いする理由が私にはわかりません。 また、原発について語る際、もう一つ大事な視点があります。それは倫理的な側面です。 私は、原発は基本的に許されないエネルギーと位置付けています。
その大前提として、事故が起きた際の被害が他の事故の場合と比べ物にならないほど甚大で、しかも不可逆的、すなわち、元に戻すことができないものだという異質性をまず、はっきり認識しなければなりません。 こんな言い方をすると怒られるかもしれませんが、実は、福島の事故は本当に運が良かったと思います。ケタ違いに大量の放射性物質がばらまかれていてもおかしくなかったし、そうなっていれば東京にも住めなくなっていたでしょう。原発とは、それほどまでに危険なモノです。
あの事故で「自分の生活に危険があるかもしれない」という状態を経験したのに、「原発は経済性がよく、事故があるとしてもめったにないことだから、まあいいか」と言う人もいます。 原発で金儲けをしていなくても、安全でない原発を保険もかけずに動かして、そのおかげで電力料金を少し安くしてもらっているという消費者や企業の方々には、よく考えていただきたいのですが、それによって、万一事故が起きた時の損害、リスクを、自分たちだけではなくて、その地域に住んでいない世界中の人々に押し付けようとしているわけです。
つまり、他の利益を犠牲にしてでも自分の利益を守ろう、と考える自分勝手なことをやっている。それは、倫理的には、許されないことです。 もう一つ、倫理的な問題としてあるのは、放射性廃棄物の問題です。たとえば皆さんの孫やずっと後世の代になって「原発なんか間違いでしたね」という ことになっても、孫たちの世代は危険な放射性廃棄物の処理というコストを何万年という単位で払い続けなければいけないのです。
今の世代が得するために、将来の世代に犠牲を押し付けているという意味で、身勝手なエネルギー、倫理的に許されないエネルギーだと思います。 ドイツが原発存続の可否についての結論を出す際に作った『倫理委員会』という組織があります。これは、原発の専門家や技術者が集まって議論する組織 ではありません。倫理委員会のメンバーは、哲学者や消費者などの一般国民です。つまり原発の問題は、お金とか技術の問題ではなく、人の生き方、すなわち、 倫理、哲学の問題だという認識に立って議論したのです。 その結果として「やはり原発なんてあってはならない」という結論が出て、脱原発となりました。私も基本的な立場はここです。
■官僚の仕事とは何なのか
そういう状況下において私はどうするのか。それをお話しする前に、私が経済産業省を辞めた経緯について改めて説明しておきます。 私が通産省(現・経産省)に入省したのは、「何か日本のためになる仕事をしたい」という漠然とした気持ちからでした。ですが実際に働いてみると、先輩達が昇進するにつれて、そんな目標とは程遠い、省益を守ることに熱心になっていくのを知りました。
自分は、もちろん、そんなこととは関係なく仕事をしていくのですが、その間、出世したいという気持ちにはなりませんでした。そして、課長になる前後から、幹部の言動を見ていて、偉くなるためには、自分が絶対にやりたくない仕事、国民を裏切るような仕事を嬉々としてやらなければいけないのだということを知るようになって、その気持ちはますますはっきりしました。 特に、事務次官が、天下り先拡大に奔走したり、大臣の機嫌をとったり、先輩が文句を言わないように様々な天下り先の人事までやらなければならないのを見ていて、本当に格好悪いなと思っていましたから、次官になりたいなどとはまったく考えたことはありませんでした。 むしろ、こんな人間にだけはなりたくないという気持ちが強くなりました。
有能で人格者で人望が厚ければ出世できる、などというのは夢物語なのです。 私が退職を考え出したころ、公務員制度改革や原発政策について様々な提言をしましたが、それは聞き入れられず、結局は内閣官房への出向を解かれ、「経済産業省大臣官房付」という仕事のない部署にずっと留め置かれました。つまり仕事を干されました(笑)。ただ、省外やマスコミの人など、直接関わりのない人たちからは応援していただき、とても励まされました。
しかし、最終的には「今の仕事が、自分のスタイルに合っているのか」という問題になりました。官僚として情報発信をすることには大きな意味がありま した。だから現役官僚として『日本中枢の崩壊』や『官僚の責任』を出版したのです。おかげで官僚としての立場から、色々な考え方を世の中に広めることができました。しかし、それにも恐らく飽きられる時が来るだろうという感覚がありました。 それに、仕事がないのに給料を貰っていることに辛さを感じていました。
「今を耐えれば、また仕事が貰えるのではないか」という可能性があるうちはまだよいのですが、当時の海江田大臣や枝野大臣とのやり取りで「もう仕事は絶対に来ない」と悟ったとき、辞めるという選択しかないと思いました。仕事を貰うために自分の信念を曲げて、原発推進に転向するなんてできませんでした。 辞職する決意をした後、じゃあ、天下りの斡旋を受けるかという問題もありましたが、もちろん、それはきっぱりと断りました。 自分のスタイルを貫くことと、生活の安定とを天秤にかけ、「天下りを拒否して、経産省と決別する形で辞職したほうがいいな」と判断しました。
私は、生活の安定より、心の平穏を選んだのです。 この選択は正しくないという人もいるでしょう。しかし、これが私の生き方、スタイルであり、それは他人の評価を気にして変えられるようなものではないのです。 綺麗事かもしれませんが、これを読んでくださる皆さんにも、自分のスタイルを持って、人生を送って欲しいです。もちろん、お金を稼ぐことはとても大切なことです。だから、自分が嫌いなことでも仕事のためにやらなければならないなど、仕方ない面もあります。しかし、それが、人を裏切ることや、世間に顔向けできないようなことだったら、自分の生き方を優先するという選択肢も必ず、考えて欲しいと思います。(前篇終わり)
■政治家でなくても戦う手段はある
日本を成長させるのか、破綻させるのか。政治家の頑張りがそれを決めるとも言えます。ただ、その政治家も現状を見ると、さまざまな既得権者との関わりに縛られて、身動きができない状態です。これは、今すぐにでも解決しなければいけません。
「古賀さん、選挙に出てください」という声を多くの方々からいただきます。それは、今の政治家に対して、もう期待できないという国民の声を反映しているのだと思います。今までも各党から声をかけられてきましたし、7月の参院選でも立候補を打診されました。第三極の政党から出馬すれば、当選できたかも しれません。 しかし、やはり政治の世界は、近くで見れば見るほど複雑です。
小泉純一郎元首相などを見ていると、一人の力で郵政民営化をやったように思えます。ですが、あの仕事は自民党の総裁でなければ実現できなかったというのが現実です。 日本維新の会共同代表の橋下徹さんでも、まだ、国政では何もできないまま、今は挫折の一歩手前です。あれだけの強烈なキャラクターの持ち主でも、知事、市長を歴任し、その後数年経って、ようやく国政に影響力が持てたとしても、そう簡単に何かを実現できるわけではないのです。
このように、一から階段を上るというのも一つの選択肢ですが、私の場合、もう58歳です。すでに政治的に力があり、自分と考え方が近く、行動力もある人がいれば、そういう人たちに自分のアイディアを売っていくほうが手っ取り早いと考えていました。 だから私は、改革派的な政治家との付き合いが多いのです。今の自民党で言えば、塩崎恭久さん、あるいは河野太郎さんのような人たちに政策のアドバイスをしています。
ちなみに安倍首相も気分は改革派ですけど、一度原発関連で説明に行って以来、声がかかりません(笑)。 たとえば、塩崎さんたちが公務員改革を一生懸命にやっている時は、その法案の材料を提供しました。 民主党であれば、野党時代に公務員改革に手を付けた人たちが数名いて、そういう人たちにアイディアを出し、長妻昭さんのように大臣になった人には、改革の助言をしました。 みんなの党の渡辺喜美代表や江田憲司さんに対しては、党結成のときからずっとお手伝いをしてますし、橋下さんが維新の会を立ち上げる際にも、公約集 である維新八策の内容を提言したり、大阪のエネルギー戦略会議で脱原発の議論などを主導したりしてきました。
こういうやり方で、国の政策に関わっていく方法もあります。 橋下さんからは、大阪に呼ばれ、大阪府市統合本部特別顧問になりました。霞が関とか永田町で改革を目指していてもスピードが遅い。そこで橋下さんは、大阪から日本を変える、というアイディアを持っていました。それは非常に面白く、橋下さん自身、力を持ちそうな政治家だと思えたので、大阪で手伝ってみようと思ったのです。ただ、結果的にはうまく行きませんでしたね。 このように、自分が政治家にならなくても、自分の話を理解し、実行してくれる政治家がいれば政策に関与できます。自分がゼロから頑張るよりも、こういった力のある人たちにアドバイスなどをして動かしていくほうが早いのではないかと思っています。
■政党のサラリーマン議員
こういう立場になって分かったのは、野党再編は、簡単には実行できないということです。維新の会は伸びず、橋下さんも国政からしばらくは距離を置くようですし、みんなの党も内部分裂して、江田さんは幹事長から更迭され、議員の離党騒ぎも起きています。 私自身もなにか動かなければならない、と思うこともありますが、実際に議員になってからのことを考えると、とてもその気にはなれませんね。
既存の政党に入ってしまうと、その党の一党員になってしまいます。党から出馬すると、当選しても「サラリーマンの生活」が始まるのです。 もちろん、政治家はひとりひとり一国一城の主であり、相当なことができます。たとえば勉強しようと思えば、ありとあらゆる情報を役所から取ることができます。年金問題を勉強しようと思えば、毎日厚生労働省の官僚を呼んでデータを出させることができますし、問題があると思えば、それを国会で質問し、追及することもできます。 ただし、実際に政策を動かすためには、少なくとも党の一員として党の方針に沿って動かなければならないし、その党が勢力を持っていなければ、そもそも戦うことができません。
また、党の中でもある程度力を持っていなければ影響力を行使できません。 党内で認められるためには、国民的な人気も必要ですが、党にどれだけ貢献できているかが重要になります。 この仕組みは、役所にどれだけ貢献しているかが官僚の出世の物差しになる、というのと同じことです。 たとえば、私がどこかの党で議員になったとき、人を集めることができるという理由で、○○候補者の応援へ行ってくれ、となったとします。その場合、自分が認めていない候補者であっても、応援に行かなければならないのです。それが、党への貢献ということです。改革派として有名な自民党の議員でも、自分と政策が正反対の農協のおじさんのような人を一生懸命応援したりしています。 また、何かの法案に対して、賛成・反対の決定は、自分の考えと違っても、党の方針に従わなければなりません。 「議員がサラリーマン化していく」とは、そういうことです。 私は、役所を退職してせっかく自由の身になったのですから、またサラリーマンになるのは避けたいんですよ(笑)。
■政治家になるなら新党結成
そういうこともあって、選挙に出るならば自分で党をつくり、党首になって出馬するくらいの力がないと意味がないなと思います。 勘違いしないでください。新党を作って出馬すると言っているのではありませんよ。少なくとも今の私にはそんな力はありません(笑)。
それはともかく、仮に野党が再編する、という場合で考えてみましょう。 政党というものは、政策の面である程度似た方向性の議員が集結しているように見えて、実は違うのが現状です。 たとえば、民主党は明らかに方向性が違う人たちの集まりになっていますよね。特に最近は、組合に依存しないと当選できないグループと、そうでないグループに分かれています。さらに組合に頼らないグループ内でも、前原誠司さんや長島昭久さんのような自民党に近い考えのタカ派がいる一方で、ハト派の議員たちがいます。民主党は3つに分かれているわけです。 このような分裂状態を解決するには、いくつかの軸を作って、そこを明確に区別していく必要があります。まず、いくつか党の軸となる政策を作ります。 それらを受け入れられるかどうかを確認した上で、すべてを受け入れた人のみを党のメンバーにする。私はこの方法を「踏み絵」と呼んでいますが、新党を作るならばこうした方法でプラットフォームを作っていかなければなりません。
■the fourth quadrant(第4象限)の党とは
単純化するのは難しいのですが、政策の軸を2つ作ります。1つ目は、経済社会の構造を改革していくかどうかの軸です。2つ目は、外交や安全保障の面で、ハト派でリベラルな政策を目指していくかどうかの軸です。 まず1つ目の経済社会の構造改革についての軸は、大きな政府、小さな政府、という言い方もできますね。ただし、構造改革については、単純に小さい政府にすればよい、ということではありません。大切なことは、今まで既得権をもった人たちと、一線を画していくということです。
意外に思うかもしれませんが、既得権を持っている人たちは、実は多くの場合、弱者を装っているんですよ。 たとえば高齢者。高齢者は弱いから、高齢者のために社会保障政策を講じていこう、という世論が形成されていますよね。ほかには農家もそうです。農家は気の毒だから、守ってあげないといけない、だから聖域は守り、補助金は出します、ということになります。これは今の日本では、当たり前のような状態です。 しかし、私はこういう人たちのことを「エセ弱者」と呼んでいます。こういう「エセ弱者」を守ることは、言い換えれば「既得権」を守ることになります。 今の自民党あるいは民主党には、「弱者」という隠れ蓑を使って既得権グループに過剰な分配をしようとする、こうしたスタンスの人がたくさんいるのです。
2つ目の軸は、外交・安全保障です。外交や安全保障の面で、いわゆるタカ派かハト派かで分けようと思っています。この2つで分類すると興味深いことに、ほとんどのタカ派は原発推進で、ハト派は脱原発なのです。 こうして2本の軸を引くと、4つの象限(quadrant)ができます(下図)。 構造改革派か分配派か、という軸は、たとえば、農業では、減反を廃止して農協改革にも手をつける、医療では、混合診療を解禁して株式会社の病院経営参入を広く認める、そして、電力では、直ちに発送電を分離し、東京電力の破綻処理をするといった、今まで自民党も民主党もできなかった改革を恐れずに推進するのか、それとも農協、医師会、電事連のような既得権グループの支持を得るための政策を掲げるのか、という形で踏み絵を踏ませることができます。
最近では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に賛成か否か、という軸にもなります。 私はTPPに賛成です。本当に保護すべき人は限られた層ですし、そういった人たちは手厚く守らねばなりません。ただ、「エセ弱者」のような人は守らなくてよい、というスタンスなのです。 そして私はハト派で脱原発派なので、図では第4象限(the fourth quadrant)に入ることになります。 実は、脱原発派だがTPP賛成という政治家は少ないんですよ。私を脱原発派だから応援する、という人は多い。そこで私が「TPPはやればいいじゃないですか」と言うと、なぜか「古賀さんは脱原発なのにどうしてTPPに賛成なんですか」と質問を受けるのです。
しかし、実際には、私は「脱原発派で、TPPに賛成」という、第4象限の勢力が大きなニーズとして存在すると考えています。ビジネスマンなどには、 「戦争は絶対に避けるべきだが、経済を改革しないと日本は潰れてしまう」と考えている人が多いんです。しかし、その層のニーズに応える政党がありません。 ニーズに政治が追いついていないんですよ。今年の都議選や参院選では「改革して欲しいのに、改革派で脱原発派の政党がない」と多くの国民が悩んだと 思います。その結果として、迷った末、第3象限に属する共産党に票を入れたというわけです。社民党もこの仲間ですし、公明党もここに近いのかもしれません。
第2象限には、分配派でタカ派の麻生太郎さんのような政治家が入ります。第1象限には、表向き改革派を標榜し、タカ派でもある安倍首相が入ります。 しかし現在は、第4象限の有力な政治家がはっきりしません。みんなの党は、タカ派も結構いますが、最近の渡辺代表の発言ではハト派志向を強めており、江田憲司さんは第4象限を目指していくと言っています。 他方、日本維新の会の橋下さんは第4象限とは思えませんね。橋下さんと以前話した時には、「自分はタカ派というよりはむしろハト派ですよ」なんて言っていましたが、それは、石原慎太郎さんとの比較かな、なんて思います(笑)。 最近は、「そういうレッテル貼りは意味がない」と言っていますが、やはり第1象限でしょうか。 私が政治家なら、「既得権と戦っていく、ハト派」といった第4象限の党を作りたいと思います。
■憲法改正には反対
では、現在タカ派が有力だからといって、日本は近い将来に戦争を始めてしまうのでしょうか。実は、私はそうは考えていません。 日本は、「本格的に戦争するな」と世界に思われた瞬間に破綻してしまうでしょう。そんな危ない時に日本の国債は誰も買いませんから。 潜在的には、戦争するしないに関係なく、今にも破綻するリスクはあります。ただ一方で「日本は戦争なんてしないだろう」「アベノミクスで改革が進み、景気がよくなるのかも」と考えている人もいます。まだ世界が日本の国債を買ってくれているのは、アベノミクスで経済成長し、それで増税にも耐えられる 強い経済ができる、と考えてもらえているからです。
また、タカ派政治家のストーリーでは、万が一戦争になったとしても、日本人の愛国心が高揚して、戦費調達国債を無利息で買うと考えているのでしょう。そうでなければ、戦争しようなんて考えない。 ただ、私は真っ先に日本人の資本が外に出ていってしまうと思います。つまり日本人投資家が日本国債を一斉に売る。従って国債価格は暴落して破綻が訪れるのです。 また、実際に開戦することも不可能です。 これは、そもそもアメリカが戦争まで持っていかせない、という意味です。アメリカが絶対に避けたいのは、中国と日本の双方から「味方するのか、しないのか」と踏み絵を迫られることです。
アメリカは尖閣問題なんかで、そんなものを踏みたがりはしないでしょう。従ってアメリカは、戦争になる前に、言いなりになる日本へ「何とか中国とうまくやれ」と譲歩を迫ることになります。 そして、集団的自衛権とは、戦争の際にアメリカを守るというものです。もし安倍首相が希望するように、日本が集団的自衛権を確立したら、おそらく中国は「アメリカだけでなく日本とも戦争しなければならない」と考えるでしょう。つまり、中国に軍拡の格好の口実を与えることになります。
安倍首相の発想からすれば、それに対応して日本も軍拡する必要がある、となります。しかし、そんなことができる大金など、今の日本にはありません。 本来は、「いかに中国に軍拡の大義名分を与えないか」を考えるべきです。今、中国は国際社会の評価を一番気にしているので、中国を止めるには国際世論を形成することです。 その手段として、改憲派は、憲法9条をもっと理解すべきです。 憲法9条は批判を浴びていますが、前文とともに見るべきです。前文には、国際社会の信義によって自分たちは守られていく、という哲学があります。これは夢物語だと言われてきましたが、むしろ重要な考え方なのです。 つまり、中国から身を守るためには、平和を維持するという国際世論を形成して、中国を抑え込む方法が有効なのだ、そういう時代が来ているのだ、ということなのです。
■若者が政治を変えるには
最後に、皆さん若者がこの政治状況を変えるにはどうすればいいのか、お話ししましょう。 高齢者は若者よりカネもヒマもあり、数も多いです。一方、若者はその逆、三重苦です。なので、若者は高齢者の3倍頑張らなければなりません。 ですが、高齢者全員が若者の敵ではありません。高齢者の中にも、未来のために負担をしなければいけないと考える人もいます。 若者は、そういった人たちを味方につけ、とにかく活動していくべきです。選挙に投票に行くというのは最低限です。選挙期間中は選挙運動、講演会などに参加しましょう。積極的に政治と関わることで、候補者はどういった人か、どういう政策なのか見えてくるのです。 選挙活動に参加する際には、議員をサポートするだけでなく、自分の周りに輪を広げていく必要もあります。
若者はその手段も持っています。ツイッター やフェイスブック等のSNSです。今はまだ、ネット選挙にも様々な制約がありますが、いずれはなくなるでしょう。若者は、そういったツールを活用し、政治参加する若者を増やしていきましょう。 しかし一番重要なのは選挙の後です。選挙期間以外にも、ずっと政治と関わっていくべきです。議員というのは、当選した直後から、次の選挙に当選する事を考えて活動しています。そんな議員に対して、団体や企業が集まってサポートします。こうした関係が、既得権の塊のような政策を生むのです。 最初は既得権打破を訴えていた議員も、徐々に取り込まれていきます。しかし、取り込まれる議員が悪い人間なのではありません。普通の人間だから、誘惑に負けてしまうのです。「俺の考えと違う団体や企業から、献金を受けない」と言える議員はほとんどいません。
また現在、後援会などの活動を支えているボランティアのほとんどが高齢者です。そんな中で「医療費2割負担になれば困ります」と言われたら、目の前の高齢者を優遇した政策提案をすることになります。 議員にも本当は正しいことをやりたいと思っている人はいますが、どうしても自分と深い関わりがある組織を意識してしまいます。無下にしたら、自分の評価が悪くなり、票が減ってしまうと考えるからです。
■ネットを使って政治を見張る
若者は、政治家がそうならないようにチェックしていかないといけません。「若い人のために戦う」と言って当選した議員が、「(高齢者に負担を求める)社会保障改革に反対です」なんて言い出したら、若者はその議員の事務所に電話で抗議した上で、ネット上に情報を拡散するべきです。 議員はフェイスブックやツイッターを常に見ているので、非常に効果があります。
私も橋下さんに対して、原発再稼働や、太陽の党について、かなりツイートしました。それには3000件以上のリツイートがあったので、これには橋下さんも反論できず「古賀さん、貴重なアドバイスありがとうございます」と言っていました。それくらいネット上の書き込みに対しては気を遣っています。 それから若者たちが主導して政治集会を開き、そこに議員を連れてくるのも良いでしょう。 議員というのは、自分の名刺を配ることが最大の喜びです。加えて握手しただけで票が入るかもしれないと考えるので、たいていの議員は来てくれるはずです。 そこで若者は、ただ話を聞くだけではなく、「高齢者は大変だけど、僕たちのほうがこれからもっと大変だ」と声を上げ、問い詰める。そして得た答えをネットに残していくべきです。 こうやって、若者の声を広めていくのです。若者が声を上げれば、サポートしてくれる中高年の方も出てくるはずです。
■若者が高齢者に「貢ぐ」仕組み
原発問題についても同じです。今のマスコミの原発に関する発言は、非論理的です。そんなマスコミのせいで若者に「どうせ変わらない。いくら騒いでも再稼働する」という考えが染みついてしまっています。 あの官邸前デモは有効でした。実際に、かなり野田政権を制約したと思います。ですが現在では、ずいぶん縮小してしまいました。さらにデモに群がる団体が出てきて、余計に一般の人が参加しづらくなっています。 60年代のデモでは学生など若者が力を持っていましたが、今回のデモでは、若者がどれだけの働きをしたか、見えてきません。もしかしたら、ネット上で意見を言うことで、デモに参加した気になっているのかもしれません。
しかし、「生活できるから大丈夫」「難しい話は分からないからいいや」なんて言っていると、いつしかまったく違う国になっていてもおかしくありません。 もし、何かが起きた時、一番損をするのは若者です。基本的に、お年寄りはみんな逃げ切れます。最後は、どうしても、自分の生活さえどうにかなればいいと思う人が大勢になります。若者が一生懸命働いて納めたお金で、年金をもらい、質の良い医療を受けるのです。若者が頑張って年寄りは何もしない、そういう仕組みになってしまっています。
これは高齢者が若者に「貢いでくださいね」と言っているようなものです。それをお人好しな若者が「アベノミクスでなんか景気が良くなるらしい」とか「安倍首相が日本を守ってくれるらしい」とかナイーブに応援していると、ただ搾取されて終わってしまいます。 でも若者に聞くと「未来は暗いだろうな」「私たちがたくさん税金を払わなければならない」など、その程度の危機感しか持っていないようです。すべてを受け入れる覚悟があるとは思えないのですが、とてもお人よしな状態です。
■ナチのような独裁国家に
トルコの例をお話しします。
トルコは中東圏内では世俗主義的で宗派対立などを越え、経済成長を優先した国というイメージがありました。私もある意味、優等生で民主的な国家だと思っていました。 ところが今年、トルコでは激しい反政府デモが起きました。
そこで、再度トルコについて調べてみると、実際には、非常に厳しい言論統制が行われていました。経済成長や経済的な合理性ばかりを考えているうちに、国民の生活に自由がなくなっていたのです。 日本も現在、経済を中心とした生活スタイルになっています。確かに、経済は重要であり、その点において、経済中心の考え方は正しい。
しかし、一方で経済以外の非常に価値あるものが重視されなくなっています。 私が一番危ないと思っているのは、憲法21条の言論の自由、表現の自由についてです。今の自民党の憲法改正案では、こういう部分にまで手を付けようとしています。その案が出ること自体、非常に恐ろしいことです。 しかし、マスコミはこういった国民の生活の根幹に危険が及びそうな時に限って、見て見ぬフリをします。
これが故意か圧力なのかは別としても、このようなことが起きると、まず国民が危機感を持てない状態になります。 そうなると、麻生太郎さんが言っていたような「ナチスみたいに知らないうちに日本の根幹が変わっていた」というような状況が現実に起こってしまいます。 さらに、安倍首相の考えているような集団的自衛権行使の容認なども、極めて危険で重大な政策変更ですが、簡単に実施されてしまいそうな勢いです。 憲法は改正しないけれど、様々な制度をいじることで、結果的に独裁国家ができてしまうという、恐ろしいことが起きる。
■近い将来、日本は破綻する
このままでは、30〜50年後は、今の若者、そしてその時の若者にとって、大変な時代になります。昔は、10人以上で1人のお年寄りを支えていましたが、それが4人になり、3人になり、3人を切り・・・、そういう時代になっていきます。したがって、単純計算では、今の若者でさえ、今のお年寄りが稼いで来た2倍稼いでも経済的な意味で同じ生活ができません。 このままでは、10年もしないうちに、日本は破綻してしまうと考えています。
ただ、破綻するなら早いほうが良いと思うところもあります。ボロボロになって何もなくなってから破綻するよりは、まだちょっとは残っている段階で破綻したほうが少しは良いのではないか---と思う程度ですけども。 単純に考えて、このまま進んで、日本が回っていくのでしょうか。本当に優秀な「昔の人より3倍稼げます」という若者がたくさん出てくれば、話は別です。そうでなければ、これからの若者たちは、最低限でも1人で昔の人たちの2倍稼がなければいけないのです。 「それぐらい能力が高くなれますか」ということが問われることになります。だから学生は今のうちから能力、「稼ぐ力」をたくさん身に付けて、日本を支えられるよう頑張ってください。(後編:了) ≫(現代ネット:メディアと教養・古賀茂明ロングインタビュー 「日本が生き残るための処方箋」)
注記:(構成/嘉悦大学ビジネス創造学部小野展克研究会) 取材・執筆/木下範之、安齋勇登、山本圭祐 写真/重山力也、リュウ・チョウ 記録/金子隼人、小島久尚、宮澤優 ※本インタビューは嘉悦大学の学生に向けて2時間半にわたり語り下ろされ、『g2(ジーツー) vol.14』 4〜23ページに掲載されたもののノーカット版です。
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