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安倍政権が唱える「集団的自衛権」行使容認のトリックとインチキ改憲論 〜国民不在の安倍暴走劇〜
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2013年10月11日 暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜
これまでのエントリーにて繰り返しコメントしてきたとおり、安倍晋三がしきりに論じる「集団的自衛権の行使容認」が真に意味するところは、「自衛」でも「国防」でもなく、自衛隊を米軍の「属軍化」することである。
金融博打に興じて天文学的な負債を抱え、イラク・アフガンに対する事実上の”侵略戦争”に多額のカネを突っ込んだ結果、アメリカはもはや借金漬けでデフォルト寸前である。
そして「八百長侵略戦争劇」にウンザリし、これを忌み嫌う国民が大多数を占めている現状、志願して入隊する”変わり者”は激減し、その結果、米軍は深刻な”人手不足”に陥っているのがその実情である。
早い話、アメリカには国家にとって一番の資源とも言えるカネもなければ、ヒトもいないのである。
実際、米軍の展開する作戦においては、遠隔操作による”無人爆撃機”が主たる攻撃手段となり、敵国にて軍事展開する際には各国からカネで呼び寄せた”傭兵”により編成された”多国籍部隊”が「米軍」として作戦の実行に当たっているのである。
そんな状況の中、「米戦争屋」連中が”肩代わり”的に日本に無償でヒトもカネも出させんとして、安倍政権に指示をして「集団的自衛権」の行使容認を急がせているというのが”事の真相”である。
中国の軍備増強、尖閣・竹島問題、北朝鮮問題といった東アジアにおける緊張状態は、「米戦争屋」が自らの戦争ビジネスを行うがために明確な意図を持って創出したものであり、「東アジア各国間における冷戦構造」そのもの自体が”意図的”に創り出された”マヤカシ”である。
安倍政権は、そのマヤカシの「冷戦構造」にマンマと乗せられて日本の軍拡化を推し進め、今や大本営発表と化した大手マスゴミ報道を通して”国粋主義”を煽り立てることにより 国威発揚をはかり、日本の軍備および兵隊(国民)を米軍に捧げんとしているのである。
随分前置きが長くなってしまったが、今回、取り上げたのは、集団的自衛権の”トリック””デタラメさ加減”を糾弾し、国家の宰相自らが率先して、国会と国民を差し置いて、現行の憲法の条文からはあり得ない解釈をしようとしている点について厳しく批判する記事内容である。
以下1つ目の記事にて軍事ジャーナリストの半田滋氏が「集団的自衛権に関する4類型」が実際には起こりえないケースと指摘しているが、そのとおりであろう。
特に「世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのか」との指摘は実に的を射た指摘であると感じる次第である。
また、安倍晋三や石破茂のような真の戦場・自衛隊の現場を知らない”軍事オタク”レベルの政治家が、空理空論にて自衛隊の未来を決めんとしていることに対して警鐘を鳴らしているが、全くもってそのとおりであろう。
一方、以下2つ目の記事にある憲法学者・小林節教授の立ち位置も、基本的には先の半田滋氏同様、国家の宰相自らが率先して国会と国民を差し置いて、現行の憲法の条文からはあり得ない解釈をしようとしている点について厳しく批判するものである。
そもそも憲法は「権力者が暴走しないよう拘束するためのもの」であるが、今の自民党改憲案の立ち位置はまったくと言っていい程、その”真逆”である。
また、小林節教授は、改憲発議のハードルを国会議員の3分の2以上から2分の1以上に下げようという発想を「邪道」と切り捨て、「立憲主義の否定」「憲法に対する侮辱」として強く非難しているが、至極ごもっともな指摘であろう。
さらに小林教授が明言しているように「政府は『地球の裏側まで行くことはない』と言うが、大うそ。集団的自衛権の行使とは地球の裏側まで行くもの」との指摘についてもまったく同感である。
「96条改正を訴える際には『憲法を国民の手に取り戻す』と叫んだ首相がいま、国民の手の届かないところで解釈改憲による変質を図ろうとしている」
結びで語られているこの一言が、安倍政権の実態を如実に表していると断じてよいであろう。
(転載開始)
◆集団的自衛権行使、想定批判の本出版 軍事ジャーナリストの半田氏
2013年10月7日(月) 埼玉新聞
憲法解釈による集団的自衛権行使について語る半田滋さん
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/db/5a61099aa3a5944a61913c94ea564112.jpg
○集団的自衛権のトリックと安倍改憲
憲法解釈による集団的自衛権の行使を目指す安倍政権の動きを批判した「集団的自衛権のトリックと安倍改憲」(高文社)をベテラン軍事ジャーナリスト・半田滋さんが刊行した。首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、集団的自衛権を行使するケースとして提言した4類型について「現実には起こりえないこと」と同書で指摘している。「解釈改憲は法の下克上」という半田さんに聞いた。
半田さんは、1992年から自衛隊などを取材し「『戦地派遣』変わる自衛隊」で日本ジャーナリスト会議賞を受賞した。
「安保法制懇」が提言した4類型とは「公海での米艦艇の防護」「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」など。半田さんは、同書で四つの類型を軍事的常識などに照らして現実に起こりえないとし「集団的自衛権のトリック」と批判している。
例えば、「公海での米艦艇の防護」について、現代戦で艦艇の攻撃に使われるのは、魚雷と対艦ミサイルの2種類で、艦艇は潜水艦への警戒から数キロの距離を取って行動するのが常識で、日米の艦隊が密集して並走することはあり得ないとしている。「弾道ミサイルの迎撃」も、現在の技術的水準では不可能としている。そして「なによりおかしいのは、世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのか」と疑問を呈している。
「軍事を知らないから、荒唐無稽な4類型をめぐった問答になる。憲法解釈を変えなければならないほど、差し迫った事態は起きていない。必要性に迫られた議論ではないので上滑りしている」と半田さん。今後の安保法制懇の議論について「これができる、できないという議論をしていくときりがないので、集団的自衛権の全面解禁に踏み切ろうとしている。何でもあり、と示される恐れが出てきた」
92年に国連平和維持活動(PKO)協力法が成立。自衛隊が海外派遣されるようになりイラクなどで自衛隊の活動を取材してきた。自衛隊の現場を知らない政治家の空理空論で自衛隊の未来が決まってしまうことに危惧を抱く。「自衛隊と一緒に海外の現場に行って自衛官は何を考えているか、日本の政治がいかに無責任か感じてきた。自衛隊に厳しいことも書いてきたが、私と自衛官が感じたことは同じだと思う。海外派遣を命じられる自衛隊は孤独にさいなまれる。政治は『行け』と決めるだけで、どこまでやれば任務終了か、いつ撤収するか決めないで送り出す。自衛官が死ぬかもしれない集団的自衛権の行使に防衛省は慎重だ。憲法9条が極めて抑制的に働き、海外で武力行使をしないで、PKOや国際緊急援助隊として、台風、地震、津波などの被害に遭った国で人助けをしてきた。それが日本の高評価につながっている」と力説する。
「この本は『国のかたち』ががらりと変わってしまう状況から危機感をもって書いた。東日本大震災への災害出動もあって政府の世論調査で、自衛隊によい印象を持っていると答えた人が91・7%に達した。自分たちを助けてくれる自衛隊であってほしいという国民の願いと安倍さんの海外で戦争をさせようという構想とは百八十度違う」と話す。
◆集団的自衛権を考える 立憲主義の否定と怠惰、憲法学者・小林節教授
2013年10月7日 神奈川新聞
憲法学者、小林節教授(64)=慶応大法学部=は怒っている。集団的自衛権=注1=の行使容認に向け、憲法解釈の変更へと動く安倍晋三首相のやり口、思想にである。「手続きは憲法破壊。内容は憲法9条の改悪。これは完全にアウトだ」。安倍首相が唱えた、改憲発議要件を緩和する憲法96条改正も「邪道」と一刀両断にした論客、その鋭い舌鋒(ぜっぽう)に込めた真意を聞いた。
「護憲的改憲論」を唱え、憲法9条=注2=の改正を主張してきた。憲法をよりよいものにするために改正するという立場だ。
9条は自衛のための武力行使までは否定していない。否定しているのは侵略戦争だ。
ならば侵略は二度としないと明確にした上で、自衛は必要だから軍隊を持つ、集団的自衛権の行使も認めると明記する。「そもそも、実質的な戦争支援で9条はすでに壊れている」。アフガニスタンとイラクに自衛隊を派遣し、米軍を支えた。これは立派な戦争参加だ。そうである以上、歯止めが必要だ−。
○裏口入学
集団的自衛権の行使を認める点は一緒だ。では、なぜ怒るのか。
安倍首相は9条が禁じる集団的自衛権の行使を従来の憲法解釈を変更することで、容認に転じようとしている。自ら設置した有識者懇談会=注3=から報告書を受け取り、来春以降、行使容認に踏み出す構えだ。
「憲法は、そもそも権力者が暴走しないよう拘束するためのもの。あろうことか、最高権力者である首相が憲法をすっ飛ばし、国会と国民を差し置き、憲法の条文からはあり得ない解釈をしようとしている。憲法に対する侮辱だ」
やるなら正攻法。議論を尽くし、理解を得られるだけの理論武装と仕組みを整理し、国民の審判を仰ぐ。つまり憲法改正を発議し、国民投票に諮るべきだ。
それを避けて通るのは政治の怠惰だ。改憲発議のハードルを、国会議員の3分の2以上から2分の1以上に下げようという発想に重なる「邪道」と「立憲主義の否定」を、そこに見る。「いわば裏口入学。現行では、どう読んでも集団的自衛権の行使は憲法に抵触する。しかも、有識者懇談会には、日本の憲法学会の通説を代表する人物が一人も入っていない」
○米国追随
有識者懇談会では、米艦船が攻撃されても自衛隊が反撃ができないことなどを問題点に挙げる。
だが、日本の領海なら、それは日本の有事だ。従来の個別的自衛権の解釈で対応できると考える。
ではなぜ、安倍首相は行使容認に躍起なのか。「政府は『地球の裏側まで行くことはない』と言うが、大うそ。集団的自衛権の行使とは地球の裏側まで行くものだ」
事実、安倍首相は地理的概念にとらわれない考えを示している。
歯止めなき容認の危うさは日米双方の姿勢から浮かび上がる。
「日米安保条約にはこうある。日本が攻撃されたら米国が守る。米国が攻撃されても集団的自衛権を行使できない。代わりに米軍基地を置き、費用を負担する。バランスは取れている。なのに、『本当に守ってくれますか』と聞くから『そちらの態度次第だ』と、集団的自衛権が人質になっている」
そして米国追随。アフガン侵攻支援も、イラク派遣もそう。解釈という譲歩の余地がある限り9条は揺れ続け、骨抜きにされていく。
○理念変質
「だが、これ以上の解釈はさすがに理屈が飛んでいる。だから改憲して『侵略はしない。自衛はする。海外派兵には厳しい条件を付ける』と、世界に発信すべきだ」
歯止めとして国連決議と国会の事前承認が必要という条件を付ける。「国連決議は常任理事国の全会一致の賛成がいる。中国とロシアは反対するだろう。だから実質的には発動できない。両国も賛成なら、それは世界のどこから見ても『悪』ということ。それでも国会が反対すれば発動できない。二重三重の鍵をかけるわけだ」
時の政権の一存で左右されず、かつ堂々と国際社会と渡り合える隙のない法典へと昇華させるための改憲。ここに「護憲的改憲派」の本質がある。「よりよく改正する」とは、時代の変化に合わせながら、したたかに憲法の平和主義の理念を守り抜くためのものだ。
解釈変更がなされればその理念は捨て去られる。いら立ちは旧態依然の議論にも向かう。「護憲派、改憲派というお決まりの二項対立。不毛さに気付くべきだ」。何が何でも手を入れるなという護憲派、米国に押し付けられたものだと全否定の改憲派。「同じ土俵に立ち、冷静に、現実的な議論をする以外に、憲法の在り方をよりよくする方法はないはず」
96条改正を訴える際には「憲法を国民の手に取り戻す」と叫んだ首相がいま、国民の手の届かないところで解釈改憲による変質を図ろうとしている。
憲法は権力の暴走を縛るためのもの、手綱はわれわれの手の中にある、怒れる憲法学者は、何度もそう繰り返した。
注1=集団的自衛権
密接な関係にある国が攻撃された場合、自国への攻撃とみなして反撃する権利。国連憲章51条は自国への侵害を排除する個別的自衛権とともに主権国の「固有の権利」と規定している。日本政府は「国際法上、集団的自衛権を有している」としながら、憲法9条が戦争放棄、戦力不保持を明記しているため、行使は「国を防衛するための必要最小限度の範囲を超える」と解釈し、禁じてきた。
注2=憲法9条
一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
注3=安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会
安倍首相が集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈見直しに向けて設置した私的諮問機関。官僚OBや学者ら有識者14人で構成する。第1次安倍政権では公海上の米艦船の防衛や米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など4類型を検討。安倍氏退陣後の2008年6月に解釈変更を提言したが、当時の福田内閣は聞き置くにとどめ、実現しなかった。第2次安倍政権発足に伴い13年2月にあらためて検討を再開し、今秋をめどに報告書を安倍首相に提出する。
(転載終了)
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