http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/738.html
Tweet |
2020年の東京オリンピック開催が決まった途端、9月12日に死刑が執行されたのは、決して偶然ではあるまい。特にヨーロッパでは、死刑を執行するのは野蛮な国という価値観が強く、EU(欧州連合)は日本に死刑の停止・廃止を強く働きかけている。当然、日本の官僚がそれを知らないはずはない。定期的な死刑執行と同時に、五輪開催地の決定に不利に作用しないようにと「配慮」した結果なのだろう。
しかし一方で、死刑の停止・廃止を求める日本国内の世論が盛り上がっているとは言えないのも事実だ。国会でも同様のようで、一時は100人を超えた超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟(死刑廃止議連)」のメンバーは、昨年来の衆院選・参院選で落選が相次ぎ、激減したそうだ。自公政権は当面、ハイペースの死刑執行を続けることが予想される。
では、どうすれば良いのだろうか。
そんな折、日本弁護士連合会(日弁連)が9月下旬に「最高刑シンポジウム」を開いた。副題は「死刑に代わる最高刑として、仮釈放のない終身刑についても議論を」。つまり、刑務所から一生出られない刑罰を設けて、死刑の代替刑にできないか、という問題提起である。なかなか興味深い議論が行われていたので内容を紹介し、その是非について考えてみたい。
シンポでは最初に、アメリカ・テキサス州へ「終身刑調査」に行った日弁連・死刑廃止検討委員会から視察の報告があった。
テキサス州は、米国内でも死刑執行が断トツに多い州だ。米国で死刑が復活した1976年以降、これまでに500人以上に死刑を執行した。これは米国全体の約4割にあたる。昨年も15人に執行しており、5年前の半分近くに減ったとはいえ、米国全体の3分の1以上を占めている。
そんな州が2005年9月に、死刑を存置したまま仮釈放のない終身刑を導入した。提案した州議員によると、「死刑にしないと被告人が将来社会に戻ってくる。でも冤罪かもしれない」という両面で不安を抱く陪審員の心理的な負担の軽減が大きな目的だった。犯罪被害者の遺族にも「凶悪な犯罪者が再び社会に戻ることはない」と一定の理解が得られたそうだ。
私が驚かされたのは、導入の理由の一つに「死刑事件にかかる費用の削減」が挙げられていたことだ。米国では、死刑事件には「スーパー・デュー・プロセス」と呼ばれる特別に厳格な手続きが定められており、公費負担の弁護士費用などが膨大になる。死刑執行に至る費用は1件あたり230万ドル(2億3千万円)にものぼり、単純に計算すると、終身刑や懲役刑で40年服役した場合の3倍になるという。日本ではどうなのか、検証のために法務省による詳細な情報公開が必要だ。
テキサス州では終身刑の導入後、どんな変化があったのだろう。
検事は「死刑の求刑件数が減った」と説明した。05年以前は、死刑の対象になる殺人事件のうち10件に1件の割合で死刑を求刑していたのが、20件に1件でしか求刑しなくなったそうだ。その結果として、死刑判決も減少した。04年の24件が、05年から10件台前半で推移し、09年以降は1ケタになっている。背景に米国内での死刑の減少傾向はあったとはいえ、同州の弁護士も検事も「終身刑の導入が死刑減少の一因」と分析している。
日弁連・同委員会は「終身刑が導入されていなければ、06年以降の死刑判決が増加した可能性も否定できず、終身刑によって少なくとも死刑判決の増加を阻止することはできたと言える」と捉えたうえで、「被害者や陪審員(日本で言う裁判員)からもそれなりの賛同が得られており、米国の死刑廃止州のほとんどで終身刑が導入されていることからも、終身刑が死刑の代替刑として一定の機能を果たすことは明らかである」と評価していた。
その後のパネル討論で、終身刑導入を推進していく意向を表明したのは、死刑廃止議連会長の亀井静香・衆院議員である。
「自由無期刑(終身刑)の導入によって、死刑を事実上なくしていく。廃止の一里塚にしたい」と亀井さんは強調した。終身刑の創設には自民党の幹部級からも賛意が寄せられていたそうで、議論の準備を進めるために5年前に加藤紘一・元自民党幹事長を会長とする超党派の議員連盟が発足している。こちらも、加藤会長をはじめ落選者が相次いでしまったらしいが…。
半面、慎重論も出された。パネル討論で、笹倉香奈・甲南大准教授(刑事訴訟法)がいくつかの問題点を指摘した。
その一つは「社会復帰という刑罰の理念を捨てることになる」点だ。終身刑は、一生出所できない=社会には戻れない。現行の無期懲役刑なら、可能性はかなり低いとはいえ仮釈放の希望もあるが、全くそれがない中で、どうやって刑務所での生活を送らせ、受刑者を更生させれば良いのか。テキサス州の刑務所では脱走する終身刑受刑者もおり、刑務所幹部から「処遇は非常に困難」との声が聞かれたそうだ。
日本の法曹関係者の間にも「かえって残虐な刑罰になる」との懸念があるらしい。アメリカの連邦裁判所は「18歳未満への終身刑適用は憲法違反」との判断をしているという。欧州人権裁判所でも最近、服役後の再審査が制度化されていないイギリスの終身刑は欧州人権条約に違反するとの判決が出た。
笹倉さんは、刑罰が重くなる心配も示していた。実際、テキサス州では、これまで有期刑が適用されていた犯罪への刑罰が、終身刑にシフトしているそうだ。すでに重罰化の傾向がみられる日本でも起こり得る事態だろう。刑罰全体のあり方という観点からの検討が必要になりそうだ。
実は日弁連は、厳罰化のおそれなどを理由に終身刑の導入に反対する意見書を出したことがある。とはいえ、死刑の執行停止や廃止へ向けてほかに妙案があるわけでもない現状では、亀井さんの言うように当面は終身刑創設の動きを進めることによって「死刑廃止の一里塚」にしていくしかないのだと思う。笹倉さんも「終身刑が必ずしも死刑廃止に結び付くとは限らない」とクギを刺しながらも、「運動論としての導入ならあり得る」と話していた。
ところで、政府が死刑存続の根拠として錦の御旗のように掲げるのが、内閣府が2009年に実施した世論調査の結果だ。「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認派)が85.6%、「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」(廃止派)が5.7%だった。しかし、容認派の中には「状況が変われば廃止してもよい」と答えた人も34.2%おり、終身刑の導入=状況の変化と位置づけて、この層を死刑停止・廃止に引きつけていく取り組みが必要だ。
ちなみに、世論が死刑を支持していても、政治主導で廃止した国は多い。日弁連の資料によると、1981年に廃止を決めたフランスでは当時の死刑支持率は62%、69年廃止のイギリスでは81%だった。「生命権をはじめとする基本的人権の侵害は許されない」という認識が「世論」を超え、死刑廃止に動いたわけだ。日本でも、終身刑という代替策を示すことで世論にアピールしながら、人権や国際感覚に根ざした政治的な決断を促していくしかあるまい。
亀井さんは「議論の基本は、冤罪のおそれもあるのに、国家権力が生命まで奪っていいのか、ということ。人の生き方や痛みについて、国民が思いを致さなくなっている」と語った。たとえば「飯塚事件」のように死刑執行後に冤罪の疑いが強まり、遺族が再審請求しているケースもある。「袴田事件」のように、事件発生から50年近くも無実を訴え続けている死刑囚もいる。冤罪が発覚してから死刑の停止・廃止を議論するのでは、あまりに遅いし、哀しい。
終身刑の導入は、長年くすぶっているテーマだ。いかに課題を克服し、死刑の停止・廃止へ向けた一歩にしていくか。改めて具体的な議論と提案を積み重ねていくべき時だと思う。
http://www.magazine9.jp/article/hourouki/8824/
- 千葉大生殺害 裁判員裁判の死刑破棄 「計画性ない」(死刑制度に司法も疑問?) 戦争とはこういう物 2013/10/12 15:16:27
(1)
- 袴田事件の再審を強力にアピール(イノセントプロジェクトは日本では無理なのか?) 戦争とはこういう物 2013/10/12 15:29:10
(0)
- 袴田事件の再審を強力にアピール(イノセントプロジェクトは日本では無理なのか?) 戦争とはこういう物 2013/10/12 15:29:10
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。