http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/720.html
Tweet |
http://sun.ap.teacup.com/souun/12247.html
2013/10/9 晴耕雨読
毀誉褒貶は人の世の常ですが、昭和天皇ほど、立場や時代と時期により、その評価が激しくぶれる人もいないでしょう。
そもそも戦前は現人神、戦後は人間になったこと自体、天地ひっくり返すようなことですから。
私は、今、天皇制について考えていますが、昭和天皇は多くのことを語り、教えてくれます。
「手紙をありがたう。しっかりした精神をもって元気で居ることを聞いて喜んで居ます。国家は多事であるが、私は丈夫で居るから安心してください。」(高橋紘「象徴天皇」岩波新書から)。
これは45年9月9日、日光湯元ホテルに疎開していた11歳の皇太子明仁に送った手紙の一節。
普通の親子ですね。
同じ手紙の中で、昭和天皇は「敗因について一言いはしてくれ 我が国人があまり皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである 我が軍人は精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである」と我が子に語りかけています。
自らの責任の自覚に欠ける第三者的な言い方だと批判する人も多いでしょうね。
昭和天皇は「明治天皇の時には 山県、大山、山本(権兵衛)らの陸海軍の名将があったが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考へず、進むを知って 退くことを知らなかったからです」と続けています。
語り手を隠せば、納得する人も多いのではないでしょうか。
さらに続けて「戦争をつづければ 三種の神器を守ることが出来ず、国民を殺さなければならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである」と書かれています。
この文章になると、皇室崇拝者以外では反発を覚える人が多くなるでしょう。
でもまぁ、我が子への手紙ですからね。
昭和天皇について書かれた本は沢山あります。
最近のものでは古川隆久「昭和天皇」(中公新書)がいいですね。
山のようにある一次資料を読み込み、公刊されている関連文献は全て目を通したと思われるくらい徹底した研究した成果をアウトプットした本で、中公新書としては異例の大著。
お奨めします。
昭和天皇はおそらく大正デモクラシーの影響を最も強く受けた一人でしょう。
「中央公論」「改造」「解放」など当時の主要な総合雑誌や新聞も時間をかけて読み、当時としては進歩的、民主主義的な思想を持ち、対外関係についても平和・協調主義的な考え方をもっていました。
そして科学者でもありました。
昭和天皇が、それだけの資質を持ちながらも、自己の意思を貫いたのは一度だけ。
27年6月4日の張作霖爆殺事件。
首謀者関東軍参謀河本大作に対して、厳正処断を約束しながら行政処分だけで済ますことを認めた田中義一首相を辞任に追い込んだことだけ。
あとは不満はあっても軍部に引きずられます。
31年9月満州事変勃発は積極的に作戦に口を出し、最後は自ら対米開戦を決断。
初期の勝利に酔い、戦況悪化してからも有利な条件ができるまでとのめりこみ、国民に、アジアの人々に筆舌に尽くせない苦難を及ぼしました。
戦後も度々政治介入しました。
天皇制とは人間をかくも変えてしまうものなのです。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。