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KABASAWA YOUHEI BLOG
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「規制しようとする対象は、国民の日常生活だ」
「秘密保護法の制定は民主主義の窒息死を意味する。制定されてしまえば、市民が『これは軍事情報っぽいから、ネット検索はやめておこう』などと委縮するようになる。モノが言えない社会になってしまう」
「戦争批判を封じ込めて『国家総力戦』を遂行するため、国民を軍事情報に一切触れされないようにすることが目的だった。一般の人びとを脅し、政府が国民を管理、統制すること。軍などの組織の統制が目的ではない」
山口大 纐纈厚副学長はこう警鐘を鳴らしてます。
スパイ防止という側面を前面に打ち出しながら、国民の日常生活や言論にも影響を与えないようにと動いてるのは秘密保護法です。秋の国会で何とか廃案できるよう引き続き政治家へ働きかけが必要です。
「軍機保護法」の復活か〜秘密保護法の怖さ(東京新聞特報 10/8)
臨時国会が15日から始まる。焦点のひとつは特定秘密保護法案の行方だ。防衛省では2006年の通達で、職員たちに部外者との接触について報告を課した。他官庁でも情報管理が進む。にもかかわらず、この法案は何を狙うのか。戦前、「軍機保護法」という法律があった。機密保護を名目に、国民の日常生活を統制した。「秘密保護法は軍機保護法の復活」という指摘も出ている。
◆防衛省通達 情報管理で先取り
「取材・報道の自由は侵害しないとの明文規定を盛り込むべきだ」
日本新聞協会の特定秘密保護法案に対する意見書の一部だ。 法の運用次第では、取材は情報漏えいの「そそのかし」とみなされ、記者が罪に問われかねない。その危機感を表している。ただ、仮に報道の自由が明文化されても懸念は残る。それは取材対象者の側が委縮してしまうことだ。
同法案によれば、情報漏えいの罰則は懲役10年以下。現行の国家公務員法や地方公務員法の1年以下よりはるかに重い。新聞協会も「公務員らの情報公開に対する姿勢を過度に委縮させはしないか、という疑念は残る」と指摘している。 だが、すでに同法案を先取りしたような省庁もある。例えば、防衛省などはそう見える。
「こちら特報部」は、第一次安倍政権時代の06年12月に防衛庁(当時)事務次官名で出された通達「部外者からの不自然な働き掛けへの対応要領」を入手した。この通達によれば、職員は部外者との接触を「保全責任者」に報告するよう求められている。 第一の問題点は「部外者」の規定にある。別紙のQ&A集によると、「記者、国会議員、他省庁の職員等」とあり、記者クラブの「防衛記者会」メンバーたちも含まれる。
次に「不自然な働き掛け」とは何か。いわゆる金品や飲食の提供に限らず、通常の取材活動も対象になりかねない。 Q&A集には「電話、手紙、Eメール等の交換は含めない」とあるが、同時に「再三にわたって情報の提供等を求められたりする」場合は「不自然」に含まれる。だが、記者にしてみれば、しつこく不明な点を問いただすことは日常作業だ。 どのようなことが秘密になるのか。例えば、同省の文書には「秘」 「防衛秘密」 「特別防衛秘密」のほか、指定のない「ヒラ文書」もある。このヒラ文書についても、問題がないかどうかは組織が判断することなので、内容を求められた場合は報告の対象になる。
逆に事前の了解なしに報告対象の部外者と話してよいケースとして「道路上で突然出会い、会話を無下(むげ)に断ることが非礼にあたるため、一定の会話を行う必要がある場合等」という例が挙げられている。息苦しい。 報告を怠った場合の罰則について、防衛省広報課の担当者は「上司から指導はされるだろうが、服務規定での罰則などはない」と話す。ちなみにこの取材は「不自然な働き掛け」なのか聞くと、「あなたが問い合わせた文書(通達)の種類からして、微妙なところ」と言葉を濁した。
◆規制の対象は「国民」
すでに国家・地方公務員法や改正自衛隊法、日米相互防衛援助協定(MDA)に伴う法的規制などがあり、役所内部の情報統制はされている。それに前出のような通達まで存在している。 それなのに、なぜいま秘密保護法案なのか。米国との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結に伴う国内措置という面もあるが、山口大の纐纈(こうけつ)厚副学長(日本政治史)は「規制しようとする対象は、国民の日常生活だ」と警鐘を鳴らす。
先例があるという。戦前、戦中にあった「軍機保護法」だ。著書「監視社会の未来」でこの法律を分析した纐纈副学長は「安倍内閣が制定をもくろむ秘密保護法と軍機保護法の狙いは同じ。『スパイなんて自分と関係ない』と見過ごすと大変なことになる」と語る。
軍機保護法は日清戦争直後の1899年に制定されたが、日中戦争が開戦した1937年に全面改定された。軍事施設の測量、撮影、模写などを禁止しただけでなく、陸・海軍大臣が秘密と定めたものすべてが対象で、言論統制に使われた。
最高刑は死刑。それほど重い刑罰を科すのに、実施の運用例は軽微な事件がほとんどだった。観光客が列車から軍事施設の写真を撮影した、船の乗組員が軍港に停泊中の艦船を日誌にメモした─といった理由で次々と市民が検挙された。
「戦争批判を封じ込めて『国家総力戦』を遂行するため、国民を軍事情報に一切触れされないようにすることが目的だった。一般の人びとを脅し、政府が国民を管理、統制すること。軍などの組織の統制が目的ではない」(纐纈副学長)
軍機保護法により、命を落とした人もいた。「宮沢・レーン事件」の被害者だ。41年12月、北海道帝国大(現在の北海道大)の学生、宮沢弘幸さん(故人)と英語教師のハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻(同)が軍機保護法の違反容疑で、特別高等警察に逮捕された。 「ある北大生の受難─国家秘密法の爪痕」の著者、故・上田誠吉弁護士と事件の追跡調査をした藤原真由美弁護士は「秘密保護法ができれば、同じような事件が繰り返されかねない」と危ぶむ。
事件の概略はこうだ。旅行好きだった宮沢さんは千島列島に旅した帰りに、汽車で根室の海軍飛行場について乗客が話すのを聞いた。それを帰宅後、レーン夫妻に話した。それが容疑事実だったが、この海軍飛行場の存在はすでに広く知られていた。つまり、罪に問うべき「秘密」など、実際にはなかった。
だが、宮沢さんは激しい拷問の末、懲役15年の実刑となり、網走刑務所に送られ、重度の栄養失調と結核を患った。敗戦で釈放されたものの、このため1年4カ月後、病死した。レーン夫妻は43年に最後の捕虜交換船で帰国した。
宮沢さんの裁判は秘密保護を名目に非公開で、大審院(現在の最高裁)の判決文も伏せ字だらけだった。藤原弁護士は「事件の追跡すら難しかった。なぜなら、記録が伏せ字だらけで読めない。問題は暗黒裁判ゆえに、捕まえる側以外は誰も、情報が保護に値する秘密か否かすら分からないということ」と話す。
纐纈副学長はこう警鐘を鳴らす。「秘密保護法の制定は民主主義の窒息死を意味する。制定されてしまえば、市民が『これは軍事情報っぽいから、ネット検索はやめておこう』などと委縮するようになる。モノが言えない社会になってしまう」
[特定秘密保護法案]
漏れれば、国の安全保障に著しく支障を与える恐れがあると定義された情報を特定秘密に指定し、取得することを制限する。報道の自由については「十分に配慮」と明記したが日本新聞協会などは不十分と指摘している。国民の「知る権利」の保護が明文化されず、行政機関の職員や特定秘密に接する民間業者の個人情報が調査されることなども問題視されている。
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