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2013/10/05 15:30
ここ最近、気持ちが暗くなる事件や事故が余りに多過ぎるような気がする。つい先日も同じフィルムを廻しているのかと思えるような登校児童を傷付け命を奪う無謀運転者による事故がまた起こってしまった。
ドリフト走行して曲がらなければならないほど急ぐ要件でもあるのか、と運転者に聞きたい。たとえそうだとしても、人の命を奪う権利は君にない。
踏切内で倒れた(もしくは自殺志願者か)老人を救助に向かったご婦人が死亡する事故があった。そのご婦人はたった一人でそこにいたわけではない。多くの人たちが悲惨な事故を直近で目撃している。
そう、彼らは目撃していたのだ。ご婦人一人で無理だと咄嗟に判断して救助に手を貸す人は現れなかった。一人前の大人の男たちがご婦人が一人で救助しているのをただただ見守っていたのだ。
つい先日は三十代の父親が二歳児の足を持って水深の殆どない川底に叩きつけて殺害した。足の片方は足首から下が切断されていたとも、河原に叩きつける前に頭を踏みつけていたともいう。何というおぞましさだろうか。
また同日か、27歳の女性が三人の男女により遺体をバラバラにされて衣装ケースに入れられていたという。彼らは互いに面識があったようだという。人の命や人への優しさに欠ける男女がいかに増えたのかと、慄然とせざるを得ない。
盗人にも三分の理があるという。おそらく彼らにもそれなりの言い分があるのだろう。自分自身の精神が破綻しない言訳が用意されているのだろう。しかし、それらは独りよがりの身勝手な理に過ぎないのは指摘するまでもないだろう。
翻って、先日来の放射能汚染水漏れで菅官房長官は「首相の云う汚染水をコントロールしている、というのは全体としてみればそうだ」と記者の質問に対して解説して見せた。
放射能汚染水は1リットルたりとも漏水させてはならない、というのは常識だ。放射能除去装置アルプスはしっかり稼働して低濃度化し、環境基準をクリアした汚染水を放流するというのなら理解できる。しかし現実はアルプスはマトモに連続して半日も動いたことがない。現在も稼働停止したままだ。それが何百億円もかかった放射能除去装置だというから森閑とせざるを得ない。
放射能汚染水を溜めこんだ林立するタンクは早くも錆が浮いている。耐用年数二年の代物だという。汚染水は二年で片がつくと思っていたのだろうか。
安倍首相からして世界の公式な場で大嘘をついた。自身ではそれなりの理屈があったのだろう、菅官房長官が「全体ではコントロールできている」と発言したのもそれなりの理屈だろう。しかし自動車運転と同じで「全体としてはコントロールできている」では困るのだ。すべてが完璧にコントロールできないなら運転してはならない、というのが自動車運転の常識だ。安倍氏の放射能汚染水に対するコントロールやブロックに対する認識はユルユルな間の抜けたものではないだろうか。それを世間では屁理屈という。
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