20. 2013年10月02日 13:58:33
: S2ksoSFczA
>>06 様へ >菅直人のどこがまずかったのか具体的な指摘を一切聞いたことがないんです。大手マスコミの姿勢としては記者クラブ制度や電波利権の恩恵を受けているほか、総理から直接に接待を受けているのですから報道内容に抑制が働くのは当然でしょう。官房機密費も札束として手土産になっているものと想像しています。具体的な情報は、地方紙や一部のタブロイド紙、インターネット、NHKではなく国会で配信している「衆(参)議院インターネット審議中継」で見ることができます。 カン政権については、脱原発・自然エネルギーへの転換など評価できる部分もあるのではないかと思っています。どこがまずかったかについては、10様、16様、19様の指摘と重なるところもありますが、ネットからの情報を中心に次のようにまとめてみました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1、市川房枝議員の事務所に出入りして後援会名簿を無断で持ち出し、あたかも了解・支援があるかのごとく装って市川市の後援会を回り選挙資金と票を無心したこと。市川氏は、彼を信用できない人間であると評していた。 2、エイズの発症と対策の不備について世論が高まる中、厚生省の一技官のメモ(郡司ファイル)を「厚生省エイズ研究班の隠蔽の証拠」であると断じてエイズ訴訟原告団と和解する一方で、「厚生省+ミドリ十字+安部英(あべたけし)氏」による薬害事件として宣言し、安部英氏と厚生省を犯罪者に仕立て上げた。カンは冤罪をねつ造し自身はヒーローとなった。この件を契機に厚生省を始めとする官僚組織はカン直人を敵と断ずることになったことだろう。(下記の引用2へ続く) 3、2002.10.25「日本が自滅する日」を著した石井紘基議員が刺殺された。当時注目を浴びていたカンは、「必ず石井先生の遺志を継ぎます」と大見えを切った。石井議員の後援会からは候補擁立の動きもあったが、小宮山洋子が「遺志を継ぎます」としゃしゃり出て立候補・当選。その後、遺志は忘れ去り倉庫の書類とともにお蔵入りとなったままである。故人の死を踏み台として党勢拡大と自身の人気取りに利用した。 4、2009.9.16、鳩山政権誕生。カンは副総理兼国家戦略担当となったが、2010.6.8の任期満了まで何ら実績がない。鳩山総理は普天間基地問題に関し、防衛省・外務省の高官計4名を呼んで機密であることと移設に向けた作戦を練ることを確認したものの、翌日の新聞にその内容が暴露された。そのような困難な中にあった鳩山総理を傍観し、ただただ無駄飯を食っていたのである。その後財務大臣となるも、財政・金融について無知・無能であることが露呈し官僚の言いなりとなって予算の大胆な組み換えなどはせず官僚に丸投げした。 5、マスコミによる小沢バッシングの中、「小沢さんはしばらくおとなしくしていただきたい」発言。2010.1.15小沢氏の元秘書である石川知裕衆議院議員が逮捕、後に起訴され小沢氏自身も強制起訴された。2010.6.8カン政権誕生。判決も出ていない時点では「推定無罪」が原則であるにもかかわらず、共同謀議により小沢氏に対しては党の規約にもない半永久的な党員資格停止処分とした。政権を奪取した民主党最大の功労者に対し、援護や庇うこともなく排除へと動いたのである。 6、カンは既得権益を守ろうとする官僚・政界・財界・報道・米国の下僕となり、小沢一郎氏を政治的に葬ることを目的とした悪徳ペンタゴンの一員として暗躍した。鳩山政権で破棄した米国版の日本支配テキストである「年次改革要望書」はカン政権下において「日米経済調和対話」として復活した。同志であり国民との約束であるマニフェストを重んずる小沢一郎氏の冤罪事件を是認・推進し、同志を助けるのではなく同志の失脚のために力を注いだ裏切り者である。(悪の巣窟同窓会名簿) 7、「増税の前にやるべきことがある。無駄を省く。予算を組み替える。」という2009マニフェストの原則を党に諮ることもなく独断で反故にし、参院選挙前に消費税増税をぶち上げた。そして参院選挙大敗という結果を招いた。マニフェスト破りの主犯であり、民主党破壊と凋落の責任者である。 8、2010.914、民主党代表選挙においてムサシという選挙違反を請け負う会社と通じ、プライバシー・シールのない党員とサポーターの投票葉書がつくば学園郵便局に局留めとなった。伝えられた開票結果は予想に反したものだった。街頭演説では小沢一郎氏が圧倒的な支持を得ていたものの党員とサポーターの票は異常に少なかったのである。そして民主党からムサシには1億9500万円という巨額の支払いが行われており不正行為の賄賂と見られている。後に官房長官となった仙谷由人は「民主党代表選挙では公職選挙法が適用されない」とうそぶいている。カンは不正選挙で総理大臣になったのである。小沢氏とカンの演説は当然ながら月とスッポンであった。また、この日に合わせたかのように検察審査会による2回目の「起訴相当」の結論が報じられ、小沢一郎氏は裁判の被告人となった。これは小沢一郎氏の総理大臣就任を阻むための既得権益集団による謀略の結果と見られている。 9、311の対応について・・・1 >3.原発事故のSPEEDI(?)なる放射性物質の飛散予測情報を公開しなかった。 >4.枝野に「直ちに健康は影響がありません」などという官僚主義的答弁をさせた。 >フクイチ事故をあろうことか総理大臣がヘリを飛ばして見に行ったこともそうだ。 >国も一定の責任をもって事に当たらなければならなかった。 >菅は「これで2年(総理が)続けられる」と喜んだ・・・などに留まらない。 元総理の中曽根康弘、読売の渡部恒雄らの了解を取った小沢一郎氏は、「これは国家・国民の危機だ。与野党を越えてこの事態に対処しなければならない。自分は何でもやるから言ってくれ。」との申し出をカンは断り、自分の取り巻きと自分のつてだけを頼ってこの事態を解決しようと無駄にもがき状況を悪化させた。 10、311の対応について・・・2 更に指摘すべきは自衛隊・警察などの一部を除き、国家の機能である官僚機構を動かさなかったことである。震災の規模や被害の実態が明らかになり、各省庁では震災への対応案を作り官邸地下の大部屋でスタンバイしていたと言われる。国家存亡の危機にあたり、いち早く非常事態宣言(現行法では、災害対策基本法に基づく災害緊急事態の布告)を発して震災対応と復興のための特別法を提案・成立させ、担当大臣と各部門に精通する議員や各部門の専門家などのスタッフを置き、各省庁には垣根を越えた対応策を打ち出させることが喫緊の課題であり必要なことであった。関東大震災においては帝都復興院が設けられ、後藤新平が担当大臣として任にあたった。 カン内閣は本人を本部長とする会議も含め、「緊急災害対策本部」「原子力災害統合対策本部」「福島原発事故対策統合連絡本部」、「被災者生活支援特別対策本部」、「震災ボランティア連携室」、「電力需給緊急対策本部」など15の組織を設置し、官僚機構の上に屋上屋を設けたのである。その後判明したのは、これらの会議のうちの10組織は議事録を作成しておらず、5組織では議事概要もまともに作成されていなかったのである。 11、6で指摘した「日米経済調和対話」の復活に加え、国家主権の侵害を内包するTPPの本質も知らず、官僚や米国の圧力のままに「平成の開国」と称して売国への道を開いたこと。国民との約束はもはや眼中になく、悪徳ペンタゴンの完全な操り人形となったのである。 12、2011.6.2、カン政権に対し、311事故への対応に不満が爆発。野党のみならず与党民主党からも不信任の動きが表面化した。民主党設立の中心であった鳩山由紀夫元総理が仲介した結果、民主党の代議士会でカンは「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」と述べたことで、小沢氏らの派閥のほとんどは、棄権あるいは不信任案への反対票を投じたため、菅内閣不信任案は反対多数で否決された。しかし、カンは「一定のめど」の意味をめぐって延々と引き延ばし、辞任の日を明言しなかった。その後、辞任の9月2日まで国会内の混乱は延々と続き震災への対応は更に遅れることとなった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― カン内閣に評価できる点があるとすれば、@311福島原発事故で東電の撤退を止めこと、A海水の注入を指示したこと(1基5000億円と言われる原発を廃炉にする決断)B海水注入をカンが止めたと吹聴する安倍シンゾウを訴えたこと、C大地震が予想されるなか、総理からの要請として浜岡原発を止めたこと、D電力の自由化と脱原発の動きを作ったこと、であろう。Cについては、各電力会社をはじめ電事連や数多くの関連企業・天下り団体・学者・文化人など、原子力村の住人にとっては到底許しがたいことで、今後もバッシングを受けることだろう。しかし、ウソの安全神話を振りまき地域独占と総括原価方式による電力供給体制はもはや改変を余儀なくされるだろう。また、311の事故の悲惨さを見れば脱原発の動きは必然である。 ここまで整理し再認識できたことは、@カンによるエイズ事件の捏造、「官僚は馬鹿である」発言とその影響、A不正選挙によって小沢一郎氏を蹴落とし、自らが政権の座に就いたこと、B少数独裁による政権中央の運営と孤立、C政治主導の履き違えD総理・閣僚など政権担当者の無能さが浮き彫りになった、E国民の命や震災復興よりも自己保身のために小沢一郎氏の影響力の排除を優先してきた、Fマニフェストを反故にして既得権益集団の輩に堕したこと、などです。 総じて繰り返し言わなければならないことは、国民との約束であるマニフェストを独断で反故にし、自らは総理として権力に巣食う利権集団の頂点としてその座に居座り続け、被災者や国民よりも自分の地位や利益を優先してきたという事実です。調べるほどに軽蔑すべき利権人間であり、政治屋であることが明らかです。 0>衆議院・参議院インターネット審議中継 http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=41993&media_type=wb http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php 2>読み物:「薬害エイズ事件の真相」現代人文社 http://uonome.jp/read/983 2の続き〜当時、エイズについては世界的にも知られておらず、安倍英氏は血友病研究の第一人者であり、非加熱製剤だけが当時唯一の有効な治療薬であった。安倍英氏は国会での証人喚問や裁判での心労も重なってか、晩年はアルツハイマーを発症。担当した弁護士は弘中惇一郎氏らであり裁判では無罪になったものの、カンのウソから始まった世論による非難の嵐を受け失意のうちに他界した。同様な論調で安倍英氏に一度も取材することなく犯罪者に仕立て上げて冤罪を補強する本『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の著者である桜井よし子は、第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。安倍英氏から名誉毀損で訴えられ勝訴するも、著書は絶版となっている。血友病の患者の命を救うため誠意を尽くして研究に一生を捧げた安倍英氏の晩年における失意の深さと不条理に対する悲しみはどれほどのものであっただろうか。罪深き者たちは今もなお恥さえ知らず大きな顔をしているのです。 3>日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 の紹介 http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/903.html 6>悪の巣窟同窓会名簿 http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/44347142.html http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/516.html#c6 6>「年次改革要望書」を通じ、政策は米国の意向に基づいて起草されていたのだが、小沢・鳩山政権は発足直後にこれを破棄に持ち込んでいる。C‘米国による内政干渉の排除’を実践し、つまり宗主国に対し反旗を翻したのだから、実働部隊である東京検察庁が国策捜査を発動し、反逆者を粛清するのも当然と言えるだろう。「年次改革要望書」は、その後に発足した管政権下において「日米経済調和対話」として刷新され、復活したことは周知のとおりだ。> http://alisonn003.blog56.fc2.com/blog-date-201211.html#entry288 8>「株式会社ムサシ」と民主代表選をつなぐ点と線(3) http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-7baf.html 8>動画で振り返る 菅VS小沢 民主党代表選挙 http://www.youtube.com/watch?v=KNqVbhB1zoc
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