27. 2013年9月29日 06:02:12
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>2013年9月26日(木)【深夜のメッセージ】 経済権力と軍事権力は裏表 国家を私有 人類の歴史は戦争の歴史であったと言われる。戦争は権力者同士の戦いだ。権力の在り方も時代と共に変わってきた。自分なりに表現してみると、軍事権力の時代がずーっと続いたと思う。嘗ての権力者は政治権力者と言うより軍事権力者だ。王や皇帝という存在は結局は軍事権力者だ。 この頃の権力者はイメージだけで言うのもアレだが、残虐性を持っていただろう。国民、庶民は大変な苦しみの中で生き抜いてきたものと思う。宗教の助けなしには生きられない過酷な時代だったと思う。平均寿命も短いものだった。 今現在世界を支配している権力は経済権力であるが、人類は軍事権力時代から経済権力時代に移った事になる。経済権力も軍事力を背景にしていて、根っこは繋がっていると見ていい。軍事権力も経済が基盤だから、嘗ての軍事権力も経済権力と言えば言える。軍事と経済とどっちが表になるかで違いが出ると言う事だ。嘗ての軍事権力は軍事が表で露骨だったし、今は経済が表に出てスマートになっただけという事だ。本質は変わっていない。だから人類は戦争を繰り返して来たのだ。 軍事経済権力は戦争を繰り返す。軍事権力は国家を私有化していた。王や皇帝は国家の支配者で私有化していた。だから今の経済権力も国家さらには世界を私有化しようとしているのだ。 嘗ての人類は単純な軍事国家を築いていた。しかし産業革命以降は、経済の拡大と共に軍事力以上に経済力、就中金融力が物を言うようになった。単純な軍事力より経済力こそが力の大小強弱を決めた。 ここで何千年と金融業を生きてきたバビロンが権力掌握に乗り出した。自然な流れである。バビロンは自らの国家を持たず、言わば金融を国家とする特殊な民族となった。各国を金融で手懐け、戦争資金を融資し戦争をけしかける。戦争でどんどん金融業が発展拡大する。戦後は復興需要で丸儲けだ。バビロンは戦争金融で力をつけた。遂には国家も超える力を持つ。バビ金融国家が地図上の国家を支配する形となった。 米と言う国家はそういうバビロン金融国家の地上天国として作られたのだ。米は金融と軍事で世界を支配する。正にバビロン帝国である。 今そんな金融軍事権力が傾き始めた。金融の巨大詐欺が墓穴を掘った。巨大軍事力を賄うカネが無くなってきた。それで今日本をTPPで消費税で搾り取って息をつなごうとしている。しかし、米の巨大過ぎる負債はもうすぐ米を飲み込む。経済権力も終焉が見えてきた。今断末魔で暴れ回っている状態である。 人類の権力は軍事権力から経済権力と移って、次にどんな権力になるのか。 次こそ、政治権力である。今でも形の上では民主主義体制であり、そこから出てきた権力は政治権力であるのだが、経済権力に変質している。と言うよりも、人類の権力は未だに軍事経済権力の範疇で動いていると言える。まだまだこの範疇を抜け出せない。形だけの民主主義では抜け出せない。長い長い権力の歴史がまだ終わっていない。新たな権力の時代はまだ始まっていない。米と言う国は古い権力の頂点を作った。それが今崩れ去ろうとしている。 政治権力とは国家を私有する権力ではなく、国民の幸福の為の公権力である。権力の基盤は国民の良識である。カネでもなく軍事力でも無い。カネも軍事も必要だが、もうそこを抜け出す権力である。民主主義は国民の高い意識によって初めて成り立つ。権力に私有されない国民が多数となる事で、真の政治権力を生み出す事ができる。 我々が前面に出なければならない。 >2013年9月27日(金) 【朝のメッセージ】 公正選挙実現が経済権力を殺す 民主主義の仮面を被った米に占領された日本が民主主義国家になる筈が無かった。 しかし、当初はファシズム日独伊を打ち破った民主主義米という触れ込みであったから、米は民主主義のチャンピオンとしてかっこつけなくてはならなかった。表向き日本は民主主義国家の体裁を持った。初期の選挙は今と違い人手のみでやる選挙であったから、公正選挙の可能性が高かったと思う。しかしそれでも米は選挙を監視していた筈で、本当に公正だったかは甚だ疑問である。 それでも日本社会には民主主義の厳かな空気が満ちていただろう。そこから出て来る立候補者の質も今よりは遥かに健全だったろう。米の監視の中にありながらも、日本の権力は幾分なりとも政治権力の色彩を帯びていたと思われる。霞が関にも愛国官僚が当たり前にいた筈である。嘗ての通産省は日本を防衛していた。やはり、社会の厳かな空気が官僚気質にも反映していたのだ。 しかし、経済権力国家米の管理下にある日本が政治権力の色彩を薄めて行くのは明らかだった。経済が発展し財閥も蘇り自民党独裁が長く続けば、政治権力の経済権力化は時間の問題だった訳である。恐らく選挙も回を重ねる毎に公正から遠ざかった筈である。 我々は小沢事件で国家権力の実相を知った。巨大不正選挙の連発で選挙の実態を知った。表に見えている風景と裏の実際の風景は全く違う。我々は欺かれていた。今やっと国家の実態、権力の実体が見えてきた。 それは国家を超えて世界の権力の実体にも及んだ。米と言う理想の国が全く違っていた。歴史の無い人工国家はやっぱり歪だった。我々は表向きの顔、仮面だけ見せられていたのだ。実体は経済権力国家であった。一般の米国民も知らなかった。今やっと気づき始めている。世界的に同じような覚醒が起き始めている。あまりにも異常な事が繰り返されるからである。何か変だぞと誰でもいい加減気づいてしまうのだ。 権力を握った者は権力の魔力に魅入られる。そこは別世界である。アクセルを踏めば勝手に動き出す。ブレーキを踏めば勝手に止まる。車を動かすように思い通りに国家を動かす事ができる。一度この快感を味わったら二度と離したくない。人間心理として当たり前である。 権力は利権である。政治権力はカネと直結する。ここに経済権力の淵源がある。利権と一体の権力はカネに飲み込まれて行く。公の政治が私の政治に変質する。私の政治の究極が経済権力である。それは最早政治に非ず、国家の私有である。 今我々が見ている安倍政権とは経済権力であり、安倍は政治をやっているのではない。安倍は国家の私有を進めている。安倍は世界権力のパシリであり、命令に従っているだけである。世界権力の日本国家私有の現地管理者というポジションが安倍に与えられている。 政治と経済は一体であり、政治権力と経済権力は一体と言える。政治権力が強い理性を保てば経済権力への変質を防げる。しかし世界権力の巨大な力で政治権力の強引な変質を強いられる事もある。 我々は権力と言えば政治権力と思い込んでいたが、実際は経済権力だった。権力と利権が一体である限り、政治権力は経済権力に変質する。更に米と言う世界権力が各国を監視する中では、この変質は人工的に起こされ、固定化される。表向きの民主主義が機能しないように仕組まれる。 小沢事件から巨大不正選挙の連発の過程は、経済権力が民主主義を無効化する過程だった。我々はそれを目の前で見た。我々は今新たな認識を得なければならない。権力は政治権力か経済権力かどちらかである。政治権力は公権力であり、経済権力は私権力である。米は私権力国家であり、安倍政権は私権力である。 政治権力は経済権力に堕する。それを防ぐのは公の精神である。権力は選挙に由来するが、選挙は完全に公の精神で行わなければならない。自民党に献金していたムサシの導入などあり得ない訳である。選挙管理員会は政党関係者が構成するが、それは完全な公正とは言えない。 完全に公正な選挙とは何なのか? 原点から考え直さなくてはならない。完全に公正な選挙が実現できれば、安倍政権は無かった。政治権力の経済権力への変質を完全にブロックする為に、公正選挙を実現しなければならない。 政治権力は公正選挙から、経済権力は不正選挙から生まれる。経済権力は常に公正選挙を歪めようとする。不正選挙が経済権力の命綱なのである。我々は絶対に公正選挙を実現しなければならない。この点は小沢一郎にも及ばない部分である。経済権力支配下の政治家には不正選挙システムを覆す事はできない。国民が公正選挙を実現しなければならない。国民を覚醒する為に公正選挙実現新党を旗揚げしなければならない。 カネの力を国民の力で倒さなければならない。政治権力は国民が作るのである。 > 3128
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