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2013/9/24 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
平成の「治安維持法」ともいうべき「特定秘密保護法案」成立へ向けての動きが急だ。公務員が外交や安全保障など、とにかく、政府が勝手に「機密」と指定したものを漏らせば、最高で懲役10年を食らうという「言論弾圧」だ。
政府は「米国などと機密情報を共有するために罰則を定めた法案は不可欠」と言うが、こんなもんが成立したら、福島原発の真相だって「機密」になりかねない。国民の知る権利が制限され、政府が好き勝手に情報操作できるようになってしまう。まさに戦前を連想する悪法なのだが、安倍政権は10月中旬に召集される臨時国会に、この法案と「日本版NSC(国家安全保障会議)」創設関連法案をセットで提出する。もちろん、出されれば、与党の数で自動成立――。
◆集団的自衛権の行使容認は“結論ありき”
国民は目を白黒させているのではないか。こんな法案のことは夏の参院選でまったく争点にならなかった。自民党内でも議論になっていなかったし、新聞もほとんど報じてこなかった。それが、今月3日にひっそりとパブコメ(意見公募)を開始し17日で締め切ると、手続き完了。一気に法案提出という猛スピードだ。
日本版NSCも、今年6月に関連法案が閣議決定されたと思ったら、よく分からないうちに法案提出の運びとなった。成立すれば、来春にも日本版NSCがスタートする。首相、官房長官、外相、防衛相の4大臣で定期的に会合し、外交・安全保障の基本方針を決定するのだが、要するに、米国との連絡を密にし、中国はこうなっている、北朝鮮はこうだという情報を官邸が一元化。自衛隊を戦争ごっこのように動かすわけだ。
大臣の下には、首相補佐官と100人規模の「国家安全保障局」も新設する。そこに出入りする官僚たちの口を封じるために、秘密保護を強化し、秘密保護法案を成立させる。それを受けて年末には防衛大綱を見直し、こちらでは自衛隊の海兵隊化を進める。そうやって、ソフトとハードを整えたところで、いよいよ集団的自衛権を解釈改憲で容認する。こんなスケジュールがガッチリ組まれているのである。
NSCのベースをつくるのは、今月12日に発足した「安全保障と防衛力に関する懇談会」だ。座長は北岡伸一・国際大学長。集団的自衛権の行使容認の是非を議論する「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」でも座長代理を務めている。その北岡氏は、22日の読売新聞でこう言っていた。
〈(安保法制懇の)焦点は、集団的自衛権の行使を可能ならしめることである。それは日本の自衛のためのカードを一枚増やすということである〉
もう結論ありき、ではないか。
◆戦争をすることが平和主義というア然
大新聞は、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認には、「公明党が慎重姿勢」だとか、だから「変更手続きは来春以降に持ち越される」などと書いている。秘密保護法も公明党が「知る権利」や「報道の自由」の尊重を要求、政府がそれに配慮する努力義務を盛り込む検討を始めたなどと、いろいろ“モメている”ように報じているが、冗談じゃない。時期や与党内調整、法案の修正という瑣末な問題ではないのだ。戦前に大きく舵切りするような流れを是認するのか。今、この流れを食い止めないと、アッという間に国の形が変わってしまうことになるのである。
「安保法制懇も秘密保護法も日本版NSCも、全ての動きは絡み合っていて、結局、日米同盟を強化するためのものです。集団的自衛権の行使を容認し、日本が直接攻撃を受けていなくても、米国を助けて、いつでも戦争ができる国にしようということです。驚いたのは、安保法制懇の初回会合で安倍首相が『積極的平和主義の立場から、国家安全保障に関する基本方針を策定する』と言っていたことです。戦争することが平和主義なのでしょうか。ただ、政府は米国のために集団的自衛権の行使容認を急いでいるわけですが、いま米国は、日本に中国と事を構えて欲しくないと思っている。米国が喜ぶと思って、望みもしないのに日本は着々と準備を進めている。それを近隣諸国はどう見ているか。日本は今まさに、危機に一歩踏み出そうとしているのです」(九大名誉教授・斎藤文男氏=政治・憲法)
この調子でいけば、アレヨアレヨという間に、平和憲法もなし崩しになってしまう。戦後日本の礎であり、世界に誇る憲法が捨てられてしまう。しかも、国民はまったく知らない間に、だ。こんな暴挙を許していいのか。
今夏「少年H」が公開されたのは偶然なのか
安倍の狂乱政治を止める手立ては今、見当たらない。野党は腰砕けだし、メディアは政府の手先同然だからだ。その結果、この国はどうなってしまうのか。
映画「少年H」が今夏、公開されたのは偶然なのだろうか。外務省国際情報局長だった孫崎享氏が最近のメルマガでこう書いていた。
〈1997年に原作が刊行された当時と、映画が作製された今2013年では多分メッセージは大きく異なるのではないか。降旗監督らは現代に危機感を感じてメッセージを発信しているのではないか。今まさに、おかしいことをおかしいと自由に発言しづらくなっていく時代になっている〉
少年Hは作家・妹尾河童氏の自伝的小説だ。厳しい軍事統制下で誰もが口をつぐみ、父親にスパイ容疑の嫌疑がかかる中でも、おかしなことには疑問を呈していく主人公の少年H。孫崎氏は、あの当時と今が同じだと、警鐘を鳴らすのだが、実際、秘密保護法が成立したらアウトだ。そりゃ、国民の手前「知る権利」や「報道の自由」は守るということが明記されるだろうが、そんなもんは無意味だ。法律の運用なんて、権力者の都合でどうにでもなるからだ。
「秘密保護法は、何を機密にするのか、など最初から中身がハッキリしない不透明な法律です。つまり政府の裁量の余地が大きい。運用次第で何でもできる法案なのです」(元外交官で評論家の天木直人氏)
権力を批判すればニラまれる。官僚は口をつぐみ、そうやって、言論は死んでいく。気がつけば、おかしいことをおかしいと言えない世の中になっていく。その時、政府が無謀な戦争を始めたとして、誰も批判できなくなっている。こうやって国は道を誤るのだ。善良な市民がいや応なく徴兵され殺された、まさしくあの恐怖の時代に逆戻りである。
◆大新聞に「言論の自由」は守れない
この国のメディアは、なぜ、秘密保護法の危険性をもっと書かないのか。ブログでこの法案を批判した女優の藤原紀香の方が目立っているのだから、ヒドイものだ。朝日新聞は、「秘密保護法案 読み解く」という連載をやっている。その初回の冒頭、藤原のブログを紹介した。自らが真っ向から切り込むのではなく、女優のブログをネタに逃げ腰批判だから、情けないったらありゃしない。
反原発デモもそうだったが、この国の大メディアは、誰かがアクションを起こさなければ報じないのだ。それを「客観報道」と気取っている。そうこうしているうちに、秘密保護法は成立してしまう。安倍の狂気にメディアの堕落。この組み合わせが怖くなる。
「政府はその大きな裁量によって、大メディアに流す情報については大目に見ると思います。これまでのように大メディアが官僚から情報を取って流すのは合法とする。しかし、これを喜んではいけません。メディアは政府の批判記事を書きづらくなる。こうして、政府は大メディアを意のままに従わせるのです。国民の『知る権利』は秘密保護法によってではなく、権力に服従するメディアによって奪われるのです」(天木直人氏=前出)
そうまでして、安倍はこの国をどうしたいのか。明らかなのは、国民よりも国家が優先される社会だ。その国家を為政者が動かす。国民は知る権利どころか、カヤの外に置かれ、増税だけ強いられ、犠牲になる。
その時、とっくの昔に魂を抜かれた大新聞に言論の自由が守れるわけがない。守れれば、今頃、大キャンペーンを張っている。しかし、それをやらないから、国民も危機の瀬戸際にいることに気がつかない。五輪に浮かれるそのさまは、まさしく、1940年の幻の東京五輪を想起させるのである。
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