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2013年09月24日
今さらだが、野田佳彦などと云う“季節外れのオバケ”を引きあいに出すのは恐縮だが、原発汚染水のコントロールが儘ならない段階で、安倍が「汚染水は政府のコントロール下にある」とIOC総会で招致演説をしたのには腰を抜かしたわけだが、そもそも論で言うならば、野田の壮大な嘘「原発事故収束宣言」が唐突に出されたことにすべての責任がある。野田が民主党を大敗北させ、易々と下野させた罪も、断罪に値する罪だが、民主党と云う糞政党の憂き目であり、民主党政治家の総ざんげ、と受けとめることも可能なだけ救いがある(笑)。
いま「世界」の10月号を読んでいる。無論、今でも“フクイチ事故(福島第一原子力発電所)”の現場では、日夜休みなく現場作業員の放射能との闘いが演じられている、到底冗談でも“収束”等と云う言葉を使ってはいけない状況だ。「福島第一原発作業員」と云うルポタージュ(片山夏子)があるのだが、現在の原発作業員の悲惨な実態がルポされている。その中で、ひと際筆者が興味を持ったのは、野田の「収束宣言」以降、劇的に作業員の労働条件が悪化したと云う部分だ。
2011年12月、野田政権は唐突に放射性物質の外部流出抑える「冷温停止状態」と発表し、事故そのものは収束に至った、としたのである。なんだか、嫌に遠い昔の出来事のようだ。しかし、たしかにそのように野田は言った。霞が関用語に包まれているとしても、国民の多くが懐疑的耳を疑ったわけだが、公式には「収束」の言葉が一人歩きをしてしまい、あちこちに悪さをして歩き、事故対応のあらゆる面に、悪影響を及ぼしているようだ。この収束と云う考え違いが、その後の、原発再稼働や原発輸出と云う暴挙に繋がっている。
単に、原発労働者の苦労話に共感するとか、そう云う問題ではなく、原発作業員が日本から居なくなるような事態まで想定できるのだから、忌々しき潜在的原発放射能汚染の危機なのである。何故、原発作業員がいなくなるかと云うと、早い話が原発作業員の被ばく線量は、上限は5年間で100ミリシーベルトとし、1年間20ミリシーベルト以下で管理することが建前になっている。しかし、放射線量の高い場所では、毎時30ミリ〜100ミリシーベルトと云う現実があるので、一人5分〜10分の人海戦術が取られている。それが今のフクイチの現場の実情なのだ。そうなると、被曝線量の高い区域の作業要員が不足する事態になる。既に2年半が経過し、原発作業から引退したベテランの作業員はおびただしい人数に達している。つまり、7次下請けとか色んなことが言われるが、最終的には原発作業員の枯渇問題に突き当たると云うことになる。
枯渇する以前の現在でも、問題は限りなくある。原発の作業員の放射能被曝問題は現在でも多くの問題を抱えている。上述のように、年間被ばく線量や5年間の被ばく線量が定められているので、作業員は、その許容量を超えると「解雇」と云う道が待っている。そうなると、「被ばく隠し」をしないと職を失う。或いはひ孫請けの企業自体が原発作業の要員を準備できず倒産の憂き目を見る。こうなると、作業員も請負企業も「被ばく隠し」をするべくしているジレンマに襲われることになる。
本来であれば、政府か東電が、原発作業員の被ばく線量が過大にならないよう労務管理に気を配るべきだが、まったくそんな問題は自己責任、と言わんばかりになっている。東電の一次下請けの作業員の場合、高線量作業と低線量作業の組み合わせで、リスクを回避しているようだが、二次、三次以下のことは、誰ひとり考えもしない。しかし、毎時100ミリシーベルトを超えるような現場作業は、ひ孫請けの下請け企業の作業員が行うことが多いのだ。
この野田佳彦の、根拠なき「事故収束」という文言が独り歩きし、“死に物狂い”で事故に立ち向かう姿勢を、あらゆる方面の関係者に与えた。特に東電に事故収束の後始末をさせることにした政治家や官僚は、事故前と変わらない無責任要塞の祠に籠ってしまった。現場では、放射能が目に見えて減少しているわけでもないのに、全面マスク重装備は大袈裟だとして、装備の緩和が進んだ。また、この緊急体制を解くことによって、収束作業への契約方式が、コスト重視に切り替わった。コスト優先が続けば、請負企業側も経費削減に血道をあげることになる。
その結果、日当の切り下げや危険手当の打ち切りを企業側は堂々と言えるようになったのだから、労働条件は悪化の一途だ。このコスト削減で競争入札は激化し、従前から原発作業を請け負っていたベテラン技術者を抱える企業が落札できない事態が起きている。被曝線量が基準値を超えると云う問題とは別に、ベテランの被術者が次々と、フクイチの現場から姿を消すことになる。従来であれば、殿さま商売に徹している「東電」の仕事は、美味しかった。しかし、東電の殿さまと云う地位は遠の昔に失われ、社外取締役らが東電の公共事業性を無視して、資本原理を要求するに至っている。つまり、原発の収束作業をする事に、利益重視の概念を持ち込む本末転倒が展開されている。
現在フクイチで原発作業をしている作業員の給料は、年収に換算すると300万程度にしかならないそうである。民間企業の経営原理を持ち込んだ東電フクイチの仕事は、今では美味しさのなくなった仕事になっている。これは、東電の元請けの下に何重もの下請け企業が連なることで起きる、給与のピン撥ね現象でもある。上位下請けの作業員の日当は危険手当等を含み数万円だと云うのに、最下層の請負企業から派遣された作業員の日当は、6千から8千円だと云うのだから、命と食いぶちの交換のような地獄が現実にあるようだ。事故発生当時は、日当10万円以上等と云う話もあったが、今や夢物語だそうである。
原発の収束作業においては、「収束」とか「コントロール下」とか、永遠に口にしてはイケナイ言葉なのだろう。核燃料が空中に浮き、地下に潜っている状況で、引用は不謹慎だと云う誹りは免れない。効果があるのかないのか、イタチごっこのような除染作業では、確実に危険手当1万円はゲット出来るそうなのだから、作業員の嘆きも理解できる。今後、汚染水対策にせよ、使用済み核燃料の取り出しにせよ、まして、溶融した地下に埋まっているであろう核燃料の取り出しまであるわけだから、作業員の安全を守ると同時に、危険手当のコントロールを、何らかのかたちで管理しないと、本当に作業員が枯渇する危機が迫るだろう。
チェルノブイリ事故に動員された作業員の数は定かではないが、20万人から60万人と言われている。フクイチと事故の形態は異なるだろうが、フクイチはなんといっても、メルトダウンした原子炉が3基あり、基礎も危うげな使用済み燃料プール4号機が1基分あるわけで、数10年単位で作業員を必要としていることを疑う人はいないだろう。現在のような環境下で作業員を放射能被ばく作業に従事させておいては、人海戦術が取れなくなるのは必定だ。旧ソ連時代のように、囚人や軍人を強制的に?などと云うことは出来ないわけで、政府が考えるべき重大な喫緊の課題である。原発を他国に売り込む前に、するべきことをしたらどうなんだ、安倍官邸よ!
年間被ばく線量や5年間の累積被ばく線量の見直し、下駄を履かせるなどと云う暴挙はないだろうが、人材を国外に求める可能性は充分にある。まさか、そのことも考慮に、TPP批准、外国単純労働者の解禁など考えているのではないだろうが、原発マフィアや霞が関なら、考えないと断言は出来ない。既に太平洋を放射能汚染させて、国内のみならず世界各国に迷惑をかけているわけで、そこで原発事故現場の作業員を、貧困にあえぐ海外の人々に求めるのは、あまりの恥知らずだ。しかし、霞が関であれば、何らかの搦め手を打ちながら、名目ボランティア制度のようなものを創設する可能性は大いにある。そのようなことが、万が一にも起きない為にも、被ばく線量の調整作業を行う労務管理を政府が法律の下、行うべきだ。また、被ばく線量が超過し、何年か働けない間の生活保障も考慮すべきだろう。原発事故は、政策上の事故であり、人災であると同時に、「国災」なわけで、敗戦の責任と同様だ。勿論、”総懺悔”など願い下げだ!原発を導入した責任者出てこい!
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