19. S.T 2013年9月13日 20:43:25
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>阿修羅掲示板にドグロを巻いているような、共産党崩れの左翼小児病的な馬鹿ども 小沢氏周辺にトグロを巻いているような、自称小沢信者崩れのネトウヨ的小児病的な馬鹿と言えば・・・wしかも自身のブログにて誹謗中傷を行うなんて、たこつぼで叫んでいる状態ですって。 小沢氏が受けて来た弾圧に比べたら、阿修羅掲示板での反論でこれほどまで切れて悪態をつくとは、器の差を比較するのも馬鹿らしい。 短気は損気。 小沢氏を見て来たのなら、なぜ小沢氏がこれほどまでに叩かれようが司法が無茶な判断を下そうが、どうしてそんな司法に対して悪態をつかないのか考えた事も無いだろう。 後世に残る日本の暗黒歴史として関係者はしっかりと名前を残されるという事を自覚していないのだろう。 今さえ良ければ未来はどうなってもいいのですかね? いくら組織を潰した所で何の解決にもならないどころか、潰せば混乱するのは明白。 ならば裁判官など司法側がすべて悪人じゃない訳だから、気付いた人こそ司法としての職務をまっとうすべきことへの気付きを問うている。 それが「お天道様は見ている」という裏返しだと思う。 本当にうるさいほど「説明責任を果たせ!」と言ってた連中は無罪判決が確定したあと、てめらの個人への犯罪者的扱いを謝罪し、なぜこれほど前のひどい弾圧を行って来たのか説明責任を果たせと言いたい。 最も日本人的な道徳心を無くした連中が破廉恥な行為を破廉恥だとも思わずに一方的にまくしたてる。 こういう日本人にはこのブログで紹介されている事を肝に銘じて欲しい。 =========================================== 大摩邇(おおまに)さんのブログより 今、日本を見直すべきとき http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1801027.html (長いので部分転載します。詳しくは上記アドレスで全文を是非とも読んで見て下さい。日本人ならば読んで損する事は無いでしょう。) 現代の第二の聖書として、聖書の次に読まれている教育勅語 「The Book of Virtues」(道徳読本) 道徳教育としては、明治天皇が発表した『教育ニ関スル勅語』(通称・教育勅語)と「修身」の教科書があります。 明治36年に文部省より国定修身教科書という、修身の教科書が発行され、この教科書に基づいて「修身教育」が行われました。 修身教育は、明治、大正、昭和と3つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきました。 そして、修身は、昭和20年の敗戦にともない、同年12月31日の占領軍指令「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」で授業の停止と教科書回収が決定され、日本の教育の現場から姿を消してしまいました。 「海外における修身の復活 W・ベネット氏」 日本では、既に過去のものとして社会から消え去ってしまった日本の修身が、アメリカでレーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され、米国の教育の道徳教育で使われるようになったのです。 米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版しました。
また、イギリスのサッチャー首相(当時)も日本の『教育勅語』を用いて、乱れていたイギリスの教育を立て直した。されにドイツでも『教育勅語』は絶賛されています。 このベネット氏の本のオリジナルとなったのが、日本の教育勅語・修身の研究で有名な小池松次先生が、昭和40年代に出版された 『修身・日本と世界』でした。 この「The Book of Virtues」は、現代の第二の聖書と呼ばれるくらいにベストセラーになり、アメリカだけでなくドイツやイギリスにも広がりました。 日本の修身が、現代になって再び認められるようになったということは、日本の失われた道徳教育は正しいものであったということが証明されたので、非常に喜ばしいことです。 「教育勅語と修身 道徳教育」 「人間も動物だから、教えられてはじめて人間らしくなる」 その人間らしさを教育するのが道徳です。 日本の道徳教育の柱は先祖崇拝でありました。 「悪いことをしたら、ご先祖様に顔向けができない」という道徳感が戦前の日本人にはあった。 「先祖や年配の方には敬意を払わなければならない」という日本古来のあたりまえの教えが道徳なのです。 (部分転載ここまで) =========================================== >文藝評論家=山崎行太郎 本当の評論家なら、一度は道徳心をしっかりと思い返して「何を評論すべき」なのか本質を見直して、今一度ご自身の正義心はどこに向いているのか、まずは考えてみるべきだろう。 いくら悪態をついた所でご自身にそのまま跳ね返るのは明白だからね。 いつから日本人はこれほどまでに道徳心が失われて来たのだろうか。
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