http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/658.html
Tweet |
80年代の何時からだか、"わかりやすい" は良い事になった。
これは、新時代の身分制であった。
プロの存在を許さない、素晴らしき平等世界である。
医者も八百屋もなんだか分からない技を持つ(ていた)が今はそれはTVエンターテイメントの中にしかない。
現実でやれば、ヘンな人となり、疎外される。だから今の医者は検査に励み診察をしない。
"平等"な人々には現実を解釈する自由はない。なぜなら、"同じ"人間なのだから、ワタシが分からないことがアナタに分かってはならない。
全てのアナタはワタシです。分かってよいのは、ゴッドサイダーの預言だけである。
また、世界は言葉で出来ており、全ては消費可能だということだ。
世界ほ一筋の流れだから、先に言ったことがウソでもホントなのだ。
その昔、閉じた共同体では、ここそこに夫れぞれ小さな神や天狗がいた。
能力を持つ者が存在できた。
しかし、この一神教の時代にはそれは許さない。
平等とは皆奴隷ということであり、奴隷主体では民主的という。
自由奴隷は"理解"で躾られているからね。
いずれにせよ時が"成長"するためには常に奴隷が必要だということだ。
あちら世界でも神と結ばれた個人から、神の恩寵を待つ奴隷主体社会となっている。
ずうーとSNSをやっている。
この場合、バイブルと奴隷相互確認バインドが重要であり、スマホはこれを満たしている。
神国ニホンは改革途上で国民国家的だから、不自由奴隷で・no sexが必要だ。
神と神の側の"専門家"(神官)のみが解釈と説明を行う事ができる。
彼らが"テレビ"で安全と言えば、そうだよねー。それに逆らう者は共同体から弾かれる。
神国ニホンから。
そして一神教といえば終末であり、その時には人体の隅々に迄神が宿る人類補完な融解ワンワールドが出現するだろう。
人体市場主義。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。